さっぱり美味しい黒鉄無害 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

昨日気がつけば脳ミソが勝手にイエスキリストの教えの事を思いよったら、それに付け加えて会話が聞こえてきた
 


霊界で三人の霊が話しよったわ
その中の一人は自分の声やったけど


『まるで黒い鉄板が胸に入っているかのよう』

『罪を汚れらして』
『あれをどうしょう』
『頭に一線たまっていきよるがやけどね』


これはキリストを守りよる大勢の外国の人を指していいよったね


今宗教や教えでやらないかんことは、教えにそうて、こうしなければならない!ああしなければならない!という教えにそった戒律をガンとしたものにするというよりは、心を開くというものが必要な時期ながよ。
その心を開くというのも、言い方を変えればス直というがやろう


スッチョクやなくて、素直よ。



キリストが戒律のようなものをしっかりいうのは、社会で欲を発揮して生きているという前提に対してのもので
子供達には、しなければならない、こうである、こういうものである、というものよりも、自然に生きらせたほうが、尚良い。


私もそうながやけど
いかんことはいかんし、やられんことはやらん。っていうてガッチリ内側をそうやって生きて生きよったら、光がないがよ
真っ黒なが。
その真っ黒というのは黒いから悪いというものかと言えばそうではなく、それを汚れさせた状態が悪い。


戒律をしっかり守るというのはそりゃあキリストである神様に対して失礼のないように、神のご加護を受けるためにそのように、神の道がそうであるからそのように、バチに当たらんようにとするがやろうけど


そうなった時のやりすぎのリスクっていうのが、神の道から外れたような人を許してやらなければならない、という判断の時に
誤る。


極端に言えば、頭がイカれているために人殺しをしたというても二通りある。


一つは何十年にも渡って長い苦しみを故意に受け正しい認識をする余裕を与えられず解放されるには消すしかなかったという場合と


もう一つは興味で人間を殺してみることをすること。これにはその殺される人間の他者との繋がりや人生や経路という人間染みたモノを一切考えてない、ただの肉の塊とみての実行。
猪を殺すように殺るがよ。


神の道を単純に守りきりよると、こんなものを許せんがってね
やけん石をぶつけてタコ殴りにして、許すということの意味すら考えんと戒律の規則だけに生きる


悪は殺せとね。
神もそんなことは言うてないし、キリストやちそんなことを言いたいがためにきちんとした戒律を作ったがではないけんこそ、悪に殺されたろう。
あれを善はやはり悪に殺されて、神もクソもこの世にはないんだ!と取りよっちゃあいかんぞ


神様と言われるキリストさえ人間に殺されたじゃないか!というのは違う。


キリストはきちんと悟っていたが、やけんこそ、この世で人が生きるとは罪を積みそれを汚す事をしてはならないとあれで言いたかったがよね。



さっきの話の、人殺しの前者に石を投げた場合、残念ながら罪汚れるのは投げた側よ。


正義から人殺しを憎み許せず嫌うがやろうけどね。
その殺人者の背景をどれ程見て認める洞察力と寛容さがあるかないかで、やることなすこと自分に罪を作ることばかりする


その戒律だけ、を、守り過ぎるがゆえに。


たまに魂から人間ではないものの要素が強いもんがおるが、それは人間にはわからんことだから、人間である以上怒りから仕返しはせられん。
返ってくるけんね。


やけんこそ、見えん神様というものがやることに任さんと自滅するがよ。


難しかろう。
教えというても一言では言えん。


これ程情報社会になって、犯人や常識をやぶる人らの社会背景も見える中で、それでもこの野郎!とやるのは既に恐怖と怒りしかないけんね


やけどそれっていずれ返ってくるけん。


やけど、わかりあおうとする努力や行いが本当に真をついてできておれば、それは見えんところで人の怒りを鎮め、不幸な事に巻き込まれんとでるろう
やけん努力をしながら神様に任せるとせないかん。
その努力の仕方が天道でなければ、ならないのだがね。



うちがよくいう先祖、いや神と呼ばれるモノがなぜ黒い袴を着て出てくるのかというたら、それ以上がない。という意味ながよね


裁判官も真っ黒なスーツながは、何者にも染まらない、やろ。


大黒柱がなぜ黒という文字が入るのかといえば、この柱がなければ何も成り立たない初めの中心であり始まりであり、絶対に折れてはいかんものやけんなが。
家の作りすらそうせんとできんろう。人間の内面すら管理者や政治家や総理というものは、そうおらんとできんもんながぜ。回らんがよ。
世界の企業家=富豪家らもそうぜ。これ、世代交代した時に潰れる可能性がでかいけん子孫はしごいちょってもらいたいがやけどね。
二年前に『富豪家をまとめるリーダーを作ります』と言いよったけど、どうやろうねえ。
まだ結果が見えてこんけど。


黒とするモノは絶対的な存在であったり、絶対的な始まりであったりという意味があるがよ。


いうてみたら天皇よ
やけど日本の天皇は光の世界の人よ
この天皇がもし、政治を運行する立場に巻き込まれた時には、光ることのできん黒にならないかん。
やけん私は今の天皇の立場を政治から外す時代の流れであったことは、正解やと思うちょる。


黒も光も絶対的であるにせよ、内面が陰陽、天地、裏表、と180度違うものになる。


光の世界は人を何人たりとも許し、天国へ導くことをするろう
やけど黒の世界は、悪い事をして改心もする気がないなら死んでもらう。この世におったちやることやらんなら生きちょく意味がないけんね。そしてあの世で鬼に命令してその人間の尻を100万回焼いた鉄の棒で尻がただれるまで叩きつける


これ程違うがよね。
やけん天界と神界って光と闇と同じで性質か違う。



やけど、一般の人が戒律を守りすぎると黒い鉄板ができてしまうがよ
それって人との間に鉄板をおいちょるようなもんで、人の親切や繊細な優しさが、わからん感受性ながね。
やけんキリスト信仰しながら、ひとりよがりやったり、人を汲んでやるとかいうことがないがよ
逆にそんな勇気いらんやんね。自分はこう思っているからあ!って言い切ってしまえば。
そこに神様への熱い信仰心を強化してしまえば、人とは遠いものになって、いっつも人へ合わす思いやりもないまんま規則だけ守って罪を作り続けるようになるわ


そして死んだら真っ暗の世界でなんで僕は地獄にいるんですか!?あれほど熱心に規則を守り神だけを全身全霊で信じてきたのに!!ウ゛~~~悔しい!悔しい!!となる
その信仰している心の世界は、死んで一人夜しかない真っ黒な世界で荒野をさ迷う内面やったというだけの話よ。


そしたらいつまでたっても、バチを与える人になってしもうて、人を喜ばせる為には喜べる自分になろうという勇気も努力もせんなるがよね。


正義は怒りがあるために現れるがやけんね。
それが悪いとは言わんけど、キリストが言いたかった事とズレルようになって、罪を作るけんね。



やけん黒い鉄板をおいた状態って、アメリカの法律と同じで、隣の人が襲われていても見てみぬふりをしなさい、自分の身は自分で守りなさいってことになるがよね
そこまであからさまにはならんけど、違うものを認め合おうとか、そんなことはせんなる。一線ができるけんね。


痛い目にも合わないかん事を仕方ないではなく馬鹿らしいと思い、なぜ自分がこんな目にと思うたら聖書に目がいき、自分はこうなのに、相手はわからないやつだからだと納得し


それで終わり。



生きちょったらいろんな目に合うで。
やけど仕方ない事やけん、人に見切りをつけるのではなくしょーーーがないことやとおかんといかんがよね。



仏教でもキリストでもそうやけど、生きる間は信仰をしようがいろんなことが起こるわけよ


事故もするし、老いぼれてきたら白内障になるし骨折もしやすいし転倒もするし、子供やったら怪我もする


そんなことは当たり前の事ながやけど、神様を信仰しよったら、どっからどこまでが仕方のないことで、どこが自分に非があったかなんとなく分かりだすがよね。


やけん正しい判断をできるようになる


そしたら無駄に怒ったり悲しんだり恨んだり憎んだりをせんなるがよ。


無駄な思考・概念・怨念・被害妄想・歪んだ目・そんなものを持たんなるが。


やけん意外とあっさり爽やか、アイスで言うたらゾーダー味なのにサッパリ美味しいみたいなもんになるわけよ。


それを仏さんともいうがやけどね。