富士山はあまり人の手入れられん | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

富士山って、昭和の時代に霊能が長けた人が上がったら様々な精霊に登る途中で会うらしいわ


そこで審査を受けてその人の霊性がそれ以上山を登れるかが決まるがと。
精霊にオッケー出されんかったらそれ以上を登ったら厄に合いよったらしくてね


まあ、霊感が強いと人一倍その影響は強いのかも知れんがな


引き返す人も多かったらしいわ。


今となったら誰でも登れるようになったけど
まあ、それも一つの何かの意志でそうなったがやろうけど
一応あそこは神聖な域らしくてねー


因みに自然界の精霊というものは、意外にも人として生まれてみたり、人の精神の一部であったりすることがあるから、山の動きは人の動きとなる時もある


まあ、そうでなければ、自然界への信仰なんぞ生まれはせんがな。
人間も自然界の一部であるし
人間に好き勝手されたくなければ、自然界の精霊が人とくっついておらないかん。
まあ、好き勝手してくれれば災害や不幸で死ぬだけだが、それを守る共存の意識がある霊的なモノに守られているのが人間ともいえよう


山の神が自分を守ろうとする時は人を動かす


伐採で丸ハゲになった山を見て怒りよったら、神というものが動くけん伐採があったと言うた


じゃあ産業でガンガン切っているのもそうかと言えば、あれは比例せんと。




キリストにはよく、精霊と父といい、精霊精霊と出てくる。
そんなもんを見たことがない時には精霊とはメルヘンの事やろうと思うたけど、実際はおとぎ話とは違ったみたいや。


その精霊というやつ、怒った時に人の霊体に対しての影響は、その精霊が引っ付いた部分へ癌が発生すると教えられた


確かに、いろんな形の精霊と先祖が呼ぶものがおる
まあ、病気の成り方はそれぞれでも、一部は癌になるとこないだいいよったわ


大きな山は心に礼儀をもって入らないかんね


因みにどういう事か、精霊があることに対して怒り出しておった時があったけど、それを止めたのは先祖やった
でもその逆はできんらしい、また先祖を止めれるのは自分の本心だけらしくてね


人の精神構造とは複雑やと思うよ
やけん葛藤の多い生き物ながやろうね