世界だって一つだよー | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

私が書きよるのは、真理というよりも、その道筋かもしれん


まあ、うちみたいな奴は腐るほどおるがね。


真理ってもんはね、一つしかないがよ
やけど究極に辿り着くまでに答えを出したらいろんな答えが出るがね
答えを出したら、というか、出てしまうがよ


一つの真理をそれぞれの教祖が自分自身の究極から答えを出して宗教が世界にあるやんか
日本でさえ仏教は人の解釈だけ宗派にわかれてね


やけん自分に合うやつに行ったらええし、縁があるもんに入ったらええがよ


真理が必要のない人には情報すらいかんけんね
そんな人は真理や神様なくても全然かまん人なが。


教えられんでも人生長く生きたらなんかの動きがあるけんどっかで身を任せてきたけんこそ、やれてきたというのをなんとなくわかっちょるし


陽気で呑気なアホの子は勝手に生まれた頃から守られよるけん、今から神様知る必要もないしね
しかし、そんなもんはやっぱり神縁が発動するけん、親か祖父母が信仰深いということもあり、なんらかの目に見える繋がりは施すろうね




宗教がいろいろあるのはいろいろな民族があってその土地での生き方があるけんながよね


日本の島は外国から孤立しちょるし、面積は狭いし人口も限られておるけんこそ、今の神道であり仏教であることが行えよる


神道を面積の広く、他国と隣接した人口の多い国に伝えたところで、日本のようにはよう扱わん。
やけん外国に持っていくもんでもない
いや、持っていくのは勝手やけどね


この世単位で見てみるがいい
この世で徳を積もうとしたら、人に施すか金で施すか、とにかく人や自然という自分以外の為に何かをすることであるのは、世界共通ながよね


人間、喜怒哀楽があるろ
人種や性別、年齢が違おうとも
悲しい時に起こる感情、嬉しい時に起こる感情というのは、度合いは違っても同じ感情よね
怒っておる時に、牛のようにわけはないけど鳴いてみた、という感情で「もーーーー!!」っていう人おらんろ?


やけん喜怒哀楽でくぐれば、この世には大まかに四つのもので構築されているものが人種といえよう


その構築の素材が同じ以上、宗教というものがどれ程あろうとも、究極や根源に違いが出ることはない。


が、しかし


答えを出した位置がどこであるかで、価値観により派閥もできるろう。


そもそも価値観という理屈で比べる事ができるものは、争いが生まれるからな
頭ではなく、腑に落とさせないかん
理屈でカタはつかんのだから。
理屈は書類上で充分。



おかしいと思う教えがあったとして、それを訂正しようとしても無理なことよ
段階というものがある
自分にしろ相手にしろ、段階というものをふまん限り、説明されただけでは頭は理解しても心がついていかんなら、頭は負ける。
心が納得せんかったら、人の言うた事に、でもでも、だってだって、違う違う、とごねだすけんね。
本人が信じておるもんに、そんなごねらすことをする必要もないがよ。
やけんこんなもんは自分の意見でとどめておく方が利口。


またこんな教えというものは、人生の価値観に触れるもんやけん教えだと称して人の人生を踏んでしまうこともある
やけん人に教えるのではなく、人が自分で自分に当てはまるようにとらないかん。
誰の色でもない、自分の色を持ったまま。


心は人の経験からできたものやけん、その経験が本人にある限り確信も不安もあるろうけん、突然それは違う!と言うたところで話が進むわけもないがやけんね


起こるけんね、ちゃんと
次の段階にいく出来事が、勝手に。
それを待ってから話したらええだけの話よ


宗教同士でもそうよ
まあ、高い僧はそんな争いはせんがな。


後戻りじゃなく、進化と成長しか解決する事はないけんね。




やけん動かないかんけど
急いだこともないわけよ