得積んで徳とれ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

最近老化が早くなっておるらしくて、昔と違うてちょっとしたことでもストレスになるがよねー(´・ω・`)


なんか寝よる時に体が小刻みに振動しよるけん、なんでやろうと思いながら朝まで寝たけど
『寒い布団でよく眠れるな』と先祖に一言言われて、寒いけん体がふるえよるがやと気付いたがよ
気温みたら部屋の中ゼロ度やってね(笑)



話それて
人には雰囲気ってもんがあってよお
なーんかホワーとする人や、呑気で陽気な人や、メッチャ明るくて人から注目される人っておるやんかー、しかも前向きで心折れん奴とか


これね
本人の持つ徳で決まるがよねー


練習してなるもんやないがよ


自信っていうもんも、確かに何かを乗り越えてできる自信もあるけど、本来は理由もなく内側にエネルギーがなんでかあるために自信があるというもんなが。
子供は何かを大人みたいに乗り越えてないのに、自信のある子やちおるけんね
これも、徳によるがよね。


なんやろね、フト思うたがよ
お笑い芸人おるやんか
人を笑わせるって、光を与えよるがと同じことながよ
よくうちの周りも人を笑わせるエネルギーを持つ人がおるけど『光を配りよる』と本神は言うわえ
人を笑わせると徳が溜まるがよね


徳というのは、自分が悪いことをした時にも庇うてくれる働きをして、人を故意に怪我させてもその後車に跳ねられて自分が死ぬということはないわ
けど、自分に何も起こらん分徳は削がれていきよるがよねー(*゜▽゜)_□

 

お金ってもんはね
ただで入ってくるもんやないがよ
自分の徳が金に変わりよるだけなが
やけん大抵人はその徳分で人生どれ程のお金が大概手にはいるか決まっておる


けど、徳が金に変わったら、金は使うけんなくなるやんか
やけん金を使うにも人のために使わないかん
金は流動させてこそ、生きるけんね
溜めるもんではないがよ


まあ、オレオレ詐欺でザマに金が動きよるけど、あれは経済の為にはならんけんね



うち見よって思うがよ

人は金をもてれる金額と、手放さなければならない金額とがあるがやないろうかと
結局はその家に最後どれ程の財産が残るかという残量の調節ではないかとね。


まあでも、気づく人が助けちゃらんと、削がれる一方で悪いことは止まる術を知らんけんね



うちらやち金はないけど、どうしても事故と病気をせないかん時というのがある
時期とタイミングはもっとも損害の少なく出る最小限に抑えるよう場所を整えてはくれるがやけどね


時期はズラせても、必ずやらないかんことがあるがよね。



ま、なんにしろ、徳を積むということは大事であるのよー( ・∇・)


芸能人や芸人には、前世修行僧して人のために施した人が多いがやってさー
その分人気がでるってー
そこでまた徳を溜めれるほど人の役に立てば未来永劫繁栄するがよね


一発芸人とか、後が続くかどうかというのは売れよる時にどれ程人の為にやっちょるかで後が変わるわー


神社の神は現在進行形に働きかける存在であるから、仕事なくなってから拝みにいくには遅いのよ
仕事があるうちに今後についての行動を祈願しにいかなければね。


やけんトントン拍子にいく人もおれば、いかん人もおって、それは努力とかチャンスとか能力にどうして違いが出てくるのかと言えば、本人の持つ徳であるのよ



徳が高いと神様に守られておるわ
それって頭がええし、勘がええがよ
人より少しの努力で結果を出すしなあ


でもそれって祖父母の信仰心のお陰であったり、ひいばばの善行為を子孫が引き継いでおったりとして、その人には徳があるんじゃ


それはもう家系のもんなんじゃなーーー


やけん何かをしたければ、徳を積むことよ


徳を積むって、うちは考えよって、そりゃあ仏教の教えにあるような施しをする事でもあるがやろうけど、もっと根本は、人に対する愛情ながよね


愛情って優しさやないかな?って思う


優しさって人への理解やないかと思うで


腹が立つまでにイライラで押さえるには、人を理解せないかんけんね( ̄∇ ̄*)
まーその理解も、ただの理解やなかったりいろいろあるがやけど



そんな面倒なことより
明るく人を笑わせてやれるほどに自分がおることやね


人を笑顔にさせちゃろって思うのも愛情であり
赤子が人の為にやる初めの働きかけでもある純粋なもんやろうよ

物事は単純なものが一番威力を持つけんね


やれやれ
疲れる。。