神様出てきちゃいかんのだろ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

こんなことを書きよると、たまに思う事がある



ってか、アメーバ変わったな。

慣れるまでがじゅうが悪い





宗教は役目もあるけん、すがりたい人も中にはおるわけで、すがってなんとか生きていけるならそれはそれで大事なもんやろうと思う



でも、うちは宗教のように神の指し示すままにその方針に従って生きることを、信仰やというて自分のやらないかん選択肢まで神に従う必要はないと思うのよ


道理道徳礼儀さえ常識内で守っていたら

後は自由にしたらいいのよ。


そもそも宗教の言いたいことは、日本の学校の教育ながやけん

学校→悪いことを人にしてはいけませんよ
宗教→自分に返ってくるからです

学校→人を大事にしなさいよ
宗教→徳がたまるからです

学校→親孝行しなさいよ
宗教→先祖を大事にしましょう


こういった具合よ



一々見えるしわかるけんと、一般の事に口出しする必要はないがやけどね。



うちは今、人の普通に合わせろうとしよるけん、先祖や魔神や神霊のゆうことを鵜呑みにしよる

それほど普通とはわからんけんなが。



人は困った困ったと言うけど、本気で真底困っておるわけやないけん
シラーとしてサバサバしておったら、強すぎると言われたがよ
もっと人に合わせと。


いろんなことが見えらーえ、悪いけど。


それをそのまんま反応するなと言われるがよ

トラブルになるけん
見えてもそれは人の生き方であり、方法であり、経験したことから自分の身を守る術でもあるがやけん、なんでもかんでも自分の物差しで図るなと
人には人の大変さがあるがやけん、自分を貫かれんとね。


その意味と感覚がわからんけん、調節しよるがやけどよ




やけん、イカれらえ。
自分で生きれんけん。



そもそも自分には教養がなかったがよ
人の裏も見えたら、人の限界や性格や辛さというもんもはかれる
やのに、うちは人の裏ばかりに視点をおいて、仕方なさというものを丸切り無視してきた



四角で生きたら自分も人も絞めるけん
丸になる必要があると判断した。


やけんこの自律神経の崩れも、いずれやらないかんかったことやと思うちょる。








かというて、うちは霊的な事もわかるし
世界の事も、神界の事も、大元がどうしたいかもわかってここで喋りよるけどよ



それを人の前に飛び出て、こうしなければならない!この神は大事だ!感謝をしなければならない!今からはこうなるんだ!神様がこうするようになっている!

というのは

どうでもええことよ。



人には人の価値観や都合があるがやけんね
納得するものを納得しただけ好きに自分の意志で信じたらええ



ハッキリいうてもう修行することはない。


そりゃあ子育てや人付き合いというものはそれなりの修行になるがやけど、霊的真理的な側面ではもうないわ。



やけん好きなところをとって、自分の人生に対して腑に落として、自分が自分に納得して、誰かに方向を指し示めされるがやなしに、自分で見出だす視点を絶やされんわね



死ぬ時は一人ながやけんね


人に指し示めされた選択肢で進んで、死ぬときは一人で、最後何が救うてくれるというがやろうね



自分を腑に落とさんと
人に言われた暗示って最後の時の自分を誤魔化せんがよ



でも、まあ


多分、ここまで考える人もおらんか


って、最近人の死を眺めながら思う




以外と普通に死んでいくもんながって


ほんま、自然に。





やけん自分の言いよることは、若くて病気で苦しんで闇におる人の、普通よりまだ覚悟が必要な人への言葉になってしまうがかなと思うた。




やけんスピリチュアルとか、軽いがよね
目的が死についてではないけん
何かを信仰している人も、私にとっては軽いわ


死が近づいて、神様は死ねという役目をくれるがやけん、すがるもんて実際無いけんね



やけん、結局自分が神様でもあるがやけん、自分で全部決めたらどうですかと

上の神がどうのこうのというても
じゃあ、誰が上の指示を実行するのか?と言えば

自分じゃろ。

上が決めた事があっても、自分がそれに従うと自分で決め自分で責任を持ち自分で死んでいかんと、自分やなくなるで。
それがこの世で「生きる」という意義やろ。


うちは肉体がある分上の神よりかは力も存在も断然劣る
分神の身分であるなら尚更よ。

やけど、上の神ができん事を自分が生まれてやりよるがやけん、下とも思うてない





なんか終末期のブログやなーって思うてきたわ(笑)






いくら、高い霊力、高い霊魂、高い神格、高い権力、高い血を持つ人間が、高い高い事を言うたところで



人には人の都合がある、価値がある、器がある、力がある、能力がある、存在意義がある


それをわかるなら、絶対的な事は言わんはずや



やけん人に合わし、人と生きる事がそもそもの正解やろう




高い真理も大きい影響を出すには必要がない。



低ければ低い程絶大な影響を及ぼすろう



やけん時代の真の聖人は表に出んと弟子が有名になったろうよ








力はある一部にしか必要はない。
普通に生きていけるのが本当のこの世ながよね。







やけん私は自分の事をここに書く。
それを見てどうとるかは人次第よ。