何かが起きるね | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

朝方



『覚悟はいいか』



『バラバラの肉を踏む覚悟だ』





その瞬間、外国の緑の服を着た兵が死んで二人重なっておる腹の上をスニーカーの足が踏むのが見えた
無地にも近い草色の軍服は、胸に星のバッチが一つだけついてあった




ああ、私がやらないかんことかと
いや、私がやってきた因果の結果かと。

戦争か。




『今からが難しいがでー』と聞こえてきた




そういえば、ウクライナとロシアが偉い騒動になっておるらしいね








『背徳は俺らをダシに使う』




背徳とは、表で良いことをする徳のある人間の、裏でそれと同じ威力で道徳を無視する動きを見せる者と、感覚で言われた
いうなれば、その表の権力者を使い裏でコネテ動く奴

非道徳を行うにもそれなりの陰の徳が必要でね
かというて、直接人の為にというのではないし、自分の利しか考えてない

いつの時代もはびこる天才の黒幕よ


大神の分神を思い出すなあ



ダシか。








『人の気持ちを自重せん悪魔だ』




うちを悪魔と言うけどどういう状態を悪魔と言うが?って言うたら

こう帰ってきた


自重か。






因みに悪魔は、ダシにしたら利益って出るがやろうか











話しは変わって


私は、パワースポットとして人が行く神社を、好き好んで回ることが嫌いである

なぜかイライラする
目的がない事で観光で歩くだけなら足が痛い


いや、それ以前に、地の神など信じてなかった


私の見える霊的な者は、袴を着た人間と
光そのものであったり、または観音や仏
幽界にも落ちれぬ落神、後は悪魔や魔物
それと、ハットを着た風船宇宙人と精霊


地上に由来する人間の霊魂や、神社の神々というものは、見たことがない

何もおらんようにしか見えんし、パワーを感じる事も、地磁気を感じる事もない


やけん土地の地磁気で過去を見るという霊感もない






一昨日、本屋にいったら伊藤三巳華という人の漫画を見つけて、楽しそうやったけん読んだ


霊感のある人で見えたものを漫画で書きよる


うちも四年前、本当は友達に漫画にするように協力をあおいでおったため

この本に興味を持った



でも、私の見えん事を沢山書かれていて、少しは地上の神に興味を持つキッカケになった



ハッキリ言うて、人を生け贄にするような神は邪であり、そんなものを崇める意味がわからんし、それで死ぬ時代も命も、その程度の世界観であるということそのものが、くだらんかった


やけん嫌いやった。



そんな浅はかなものを




誰が天変地異を止めるのに、人を生け贄に出せと言うのか?と
それをいう霊的なもののやり方が気に入らん
生け贄にして殺す為に生かしておるがやない。



それでも、そういう次元が実際あるがやなと、本を読んで思うたわ。




私は宗教で多少の霊感があり、神社を巡りそこの霊に憑依されて、思考を錯乱させる人間は好かん



伊勢神宮も出雲大社もなにも私は感じん


外宮の気は体の不調にはよく効いたか。


内宮でゲッソリやったが。


小さい神は見えん


やけど、今の環境で人を理解しようと励んだ際に、そこを考える波長は精霊の次元やった
挙げ句やり過ぎて人の道を外して魔界のものまで見えて自分が2本足で立つ赤い牛の魔物にもなった



最後は人間はもう知らんと思うと、その牛の両角が中より破裂して自分の手が左右から出てきて



『もはや悪魔ではなく

神落ち



と天津の神に言われた。




心の事よ
霊的な事というのは。
魂のね




多少は幅が広まった気がしたが
国ありきの神を信じることが今まで難しかったね





やけど夏目友人張も、見る人が見たら本当にある実話の世界かもしれんねー