仏と菩薩 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

眠くてたまらん


何回も書くけど
人の魂とは肉体に宿る時に土地神の一部と融合して一つになり今の我らの魂がある


やけん土地神大事。氏神か。


これ死んだらきちんと分離して、あの世で人生どうやったかって神様と反省交えて話したりする人もおるらしいね
霊感あったら生きておっても直接話すけど


ほら、嘘をついてもお天道様は見ているよ!って言われるの、この融合しておる神様が自分の行いを偏りなく公平に中で判断するけんながね
人に見られんでも、中の神様は常に自分を知っておる
良心が痛むというのは、自分の行いを中で見られているというのを無意識に感じて、やろうね


そして罪の意識でさえ。これがナリワイの大元やないかと思うよ。
 
 

そこで
お遍路さんの同行二人って、この融合しておる神様を入れての数よ


仏教ではこの融合しておる神様を仏と言うわね


因みに仏って悟りきったモノをいうし、菩薩とは悟りよる最中の事で、人っていうてみたら皆菩薩よ
人生あれやこれやと揉まれてねえ
 


この魂に融合しておる仏は自分の一つ上のレベルの姿でおる
いうたら、次に成長した時なる心、とでもいおうか?
あんまり自分と離れすぎたら分離が起こるがよ
そしたら、病理学的にいうたら心筋梗塞が起こるろう。ポックリ病


この仏は自分が成長する度に、姿を変えて次のレベルとなっておる


やけん、霊感があったら本人の状態の菩薩と、それに融合して一緒におる仏の両方が見える人も中にはおるかもしれんね。

 

仏ってね、悟りきったら人に説法をして救おうと思うても
悟りきったモノっていうのは、人間のわかるように説明できる感覚を持ってない


やけん仏は菩薩にレベルをわざと落として姿を変えて、自分を未完成に置くことで人としての感覚を半分持ち合わせ、人の立場から説法をしてわかりやすく言おうとするがよ


仏は私が人間を創りましたと言うけど
菩薩は人間は最後に神様のもとへ帰っていくのですよ~って言うわえ

 
因みに神様がレベルを落とした姿が仏ながよね


神様という存在は生かすか殺すかやけん説法というもんは説かん


人間だけを生かしよるもんやないけんね

 
仏教と神道の話はうちが喋ると混合になるけど、大抵縦の並びがええ


日常生活については仏教が得意とするわ
お釈迦様は生きておったしね







ああ、

今からいろんなことが起こると思うけど

その問題は

正しさと公平を見返さないかん事が起こるろうよ。


こういうものって、必ず自分に起こるけんね