自由 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

いろいろと知っていると、誰が一番の原因かよくわかる



家庭内の揉め事も、結局うちが運命を自分の手で握ってしもうたことがそもそもの始まりやった




勝手に嫌でも霊線は身近な者と繋がっていて、運を引っ張ってしまうのに、その上、手でつかむなど、自由がなくなる一方よ




両方にね。






初めから手で掴まなければ、争いなんぞ起こらんかったにと、今思うがよね。



まあ、怨みもあったしこうなるとわかってやったけど






初めから握らなければ、自由にさせていれば、自分も自由におれたし


いさこざなんぞ起こらんかったのにと





やっと思うたことよ。







本当に神霊に言われた通りよねー







さて、自分は一切のモノを手放そうと思う

まあ、それって、幼稚な感情の事やけどね。




利益になるならんという
損得というね




手放せんなら手放す手法を考える。




こんなものの頭があると、自分を自由にはせんから





全部こうなるとわかっていながらねえ





全部が良くなるのは、私が握らなければそれですむ話やのに






いろんな理由があってこうなったけど




ま、それを止める勇気というのもまた、一つの手かな。








何を言うにも、なぜそっちが正しいのかは、間違えた方をやってから、結末を見て、初めて言える事やけんね。





間違いじゃあ、なかったけど、その生き方は私のタイプではできん

そのあげく天命から反れる





人を守るために自分を犠牲にする生き方は、ある意味間違いじゃあない。



そうやって、志をもって死に際までやる奴もおるろう。


それも美徳の1つ。






でもやっぱり、二次的より、一次的予防やね。






私やで、何もかも。







私が全ての運の向きを引っ張ってしまいよったがよ。





自分が、自由に生きんと、人は息苦しく


水槽の中の魚



ああ、水槽の中の、魚ね。
夢で凄い見せられるがよ昔から





因果応報を身をもって知ってきたけん、それを変えてやろうと思うたがやけどね


そうじゃなくて、そんな小さい事より、この世の運の向きの問題や。




人道は政治的に憲法に盛り込むもんや


普通の人はその大きな規定の中で、自由に生きたらええ。








何もかも、次元があったか。








本神の方が、本当の神様やったみたいやね。