ウジウジしたがは嫌い | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うちねー
勿体ないって思う事がいっぱいある




人はよお、自分で思うちょることより、メッチャええ所いっぱいあるのによお


本人が自信なかったり、後ろ向きやと、凄い残念に思う



だってうちはその人やないし、そんなネガティブな事思うちょるが知らんし



やけん自信ない人や、暗い若者には、ええ所いっぱい言うて、凄いね凄いねー、たすかる助かるー、ありがとう有り難うっていうて、一緒におったりする(゜▽゜*)



なんかネガティブ言うてきたら、でも、だって、って褒める事に言い換えて言い返すがよ




そしたら、本人はゆっくり言わんなる。




というか、本人のネガティブをメッチャ意識せんと、ふっつーーーーにおったら本人も自分の悪い所に目を向ける意識をせんなるってわかってきた
それはこっちの雰囲気にも引っ張られることもあると思うし
ま、楽しい事や面白い事をやりよる時間が増えたらええだけでもあるがやけど





ただ、そのネガティブを常識ってものを持ち出されて距離とガードを張られたら、私はもう手がつけれんけん、どうにもせんけどね。







鼻ペチャでも足の長さに自信がある者


チビでも持っている資格に自信がある者


胸がなくてもヌーブラを入れて自信を持つ者


デブでも開き直って明るい者


足が短くても肌の艶に自信がある者




いーろいーーーーろおる





っつーかね
虐められるかどうかは、本人の雰囲気であって内面や外面の欠点ではないわけよ



自分に非があると思う人間は目に見えんグレーのオーラをまとうわ

それ負のオーラながやけど


文字通り、過去の自分に負けている負のオーラ




これを見たらね
うちね、机に花瓶起きたくなるし、カバンに落書きしたいし、教科書破りたい


ということはしたことないけど


少なからずこんな気分を持たせる





どんなに、キモくても社交的で明るくてめげずに人の気持ちもわかって、前向きな人間は、虐められる事はない



それはうちから言わせば、とりよる行動ではなく、オーラよ。



まあ、そのオーラも、魂から発露されんといかんがやけども。









勿体ないって思う事ばっかりよ
勿体ないね






ネガティブな人は重いわ
自分で立ってないけん
いっつも誰かの支えがいるけんね

猫背になるし
顔のたるみは人より早くでるし
シワは出るし
つまり老化が早い!





やけん実は好きじゃない。
やけどわかるね、気持ちが




自分を否定したときから闇は始まるけん
明るく前向きになるとは、どれか一つでも否定しないということながよ。




もう!こーーーながよ!しかたないがよ!
こうながやけん!って



かというて、人に我を出して私はこうなんだから、しかたないのよ!っと、あーでもないこーでもないと言う状態に振り切らせるものでは


ない。






間違えてもかまんし
正しくなくてもかまんし
ダメでもかまんわえ



それが最後に認識できたらエエがやけん



その時の正しさや過ちが重要なのではなくて、それを最後はどうしたか。


が、大事ながやけん。




かまんがよ。












ただ、理屈言うたりせられるがは、イラッとくるね

パーン!ときたらパーン!と返すけど
理屈述べられたら、最後はならお前は何が言いたいがぞ!ってことになる


理屈は心じゃない。
脳やけん。
脳と心は違うけんね。



それはこの世の既定やけん

その人の心の感じた意見じゃない

その人が自分に言い聞かそうとして心をねじ伏せる理論や。


やけん、理屈の真理は好きじゃない。




真理は理屈とは比例するような次元にはないけん。


理屈はモノ言いも自分だけ納得したらええという感じで、人の事を思うて組み合わせれるものではないわ



やけんその言葉がいう本人の魂の立場を越えた部分を軽くしごく時がある


その時はえらい一部違和感が出るわ。



低い言葉で高い事を述べろうとすると、勘に触る波動を含むがよね

理屈ってネガティブ系ながよ。
やけん性格的にイラっとすることが多い(笑)



うちの言葉も小学生並みやけど、極力我や理屈は控えちょる。
かというて、溜まりきっても困るけん、パーンと出す。
嫌いな奴には嫌いと言うし
かというて嫌いにならんでええように工夫もするし、理解もしょうとする
待たないかんことなら、待つし
それなりの対応はして生きていきよる
それをせんと言うだけなら馬鹿でも言える




ワガママもかまんがよ
ただ、それなら、人のワガママもきかんといかん
それができんなら、初めから言われん
人に話を聞いてもらいたいなら、まず自分が聞かんといかん。それと一緒


人のワガママも大きい心で聞いてやれたら、こっちが多少ワガママ言うても嫌わんけんね










人は個人に限った意見に賛成はできん。




人の気持ちを自分に照らしてこそ、理解する。



共感や同化、同調とはそういうことよ。



やけん私は心が要ったがやけどね。





子供産んだ人に、子供を産んだ事がない人は出産の痛みを共感や同調することはできん。
やけん経験がいる。





やけん書く内容は必ず心のある位置を書かんといかん。




伝えろうと、思うならね。






ま、そこまで誰も生活がかかっているわけではないし、力む人はおらんろうけど






力むこともしたらいかんがよ


人に絶対を求めるけん







やけんなんでも、バランスになってくるわね





ネガティブもたまには言うたら、反省に使えるし


ポジティブは言い過ぎると我を通すようになる場合もある。





やけん、程々がええ。