自然界は人間の左手 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

人間と自然とはまったくもって繋がりがないように見えるろう

木は喋らん、花は動かん、土は考えん

それでも人間は死ねば土にその身は帰るし
草を野菜として口から食べ肉体を作る
水は飲んで血液に変えて使うし

人間の身体と自然界はまったく性質は違っても素質は同じであるわ

やけん災害についても、人間の生きるエネルギーが関係しておる

人間の肉体の仕組みと自然界の仕組みは同じでね

人間怒ると頭に血が昇るだろう
そして火山の爆発とは必ず上にマグマが上がって起こるものだろうが。

ワザワザなぜ上に上がる仕組みなのか
上でなくても、怒っても手に血が登っても足に血が下がっても、腹に血がたまってもよくないか?

ワザワザ噴火も上でなくてもよいのよ
横からはみ出ろうが、下に噴火しようが、地震が起きたらマグマやなくて空が割れてもかまんだろう?

なのに、この世はこうなったらああなるという現象が決められていて、それは必ず肉体と、自然界は重なってある。
自然界もぶちギレたら上に、人間もぶちギレたら上に、行く

自然界が荒れる時は、人間界が先に荒れている現状がある。
やけん国家は必要なのだ。

神は自然界とも繋がっているが、その自然界に災害を起こす程の念を与える人間も重要でね

そうなるとまず国を治めろうとするわ。

人間は社会で生きていると自然界の一部が型どって動いて生きているのが自分達であると忘れるわ。

自然界=人間なのだとしたら、どちらが偉いかは一目瞭然火山や地震を持つ自然界にある

直ぐに殺される事のできる人間は、神社を沢山構えて神に感謝し、治めていた
自分の左手を動かさないようにとね。

それが人間の意識が高くなったら、自然界と連動しているのが知覚と感覚でわかりだす
それを霊感ともいうがやろう
そこに霊能力かあったら、ますます精霊や自然界の気という意識である神と話すことになる

怒るとは畏れるもんながぞ
人の命の尊さや、高貴さという小さいモノにおく視点がなくなるのだから

良心とはこの逆で人の尊さや懸命さや思いやりなどを汲んでくれる。
まだ人としての感情がある。

その為に人間を守る神は良心を所持するために人形をしておるが、自然界の霊は人としての視点や感覚や感情などないために人ではないから龍や獣や妖精のような姿をしておるわ

この自然界の霊が一回動き出したら、とことんやらんと止まらん
やけん動かす事そのものをせられんがよ。

人間の守護は祖母や祖父など家系の先祖だけではない。
多少の自然界の精霊も付随しておる。
精霊の方が強く現れると、世でいう不思議ちゃんになってしまうのよ

守護霊は必ず精神面に現れて子孫を気付かれないやうに救って助けているからな。
高級な霊はしゃしゃりでてこんのよ

やけん
気付かん。

けど、なんとなく今まで生きてこれたというのが、守られておる証拠ながよ。

見えるように守って、子孫の気付きの体験を奪って、依存させて、結局病気になっても一人で耐える強さも勇気も本当の寂しさも味あわさんと助ける事が、本当のその人を思うての守護やろうかね?

何にでもてを出して
選択肢を奪って
考える能力を低下させて
決断する覚悟も知らず

そんな子供欲しいろうかね?

私はいらん。

やけん、守護とは見えんし、なんとなく感じる程度で終わるから、感謝は適当にでもせないかん。

そしたら、それは自然界にまで貫き影響して

地震すら治める

やけん自分の人生をちゃんとやらないかん。
地震をこらしたくなかったら、高い知識らいらんがよ。

自分の人生を生きたらええだけなが。

そして、ちゃんと想定をして生きていく

そしたら、そのわきまえた心と態度は、図が高い意識は退いて、地震も小分けにしちゃろうかねと言う意識が自然界に関与して人間を守るわけよ
それは土地の神様やったりするがで。

うちねえ、たまにある一定の容量を超えたら、立腹したらええがやけど、上にいかんとスーーーーと感情が下に落ちていって消え失せて人の人格をもたんなる時があってね
それになったらいかんと言われてメッチャ心の反射をバンバン起こされて悪い事を心中で思うたら痛い目に合うから良心を外すなと小さい頃からやられてきたわ

なんかたまにおるがやけど、スッと心に入って触れる事ができる能力の人間がおるがってね
それが悪い感情でスッと心に入ってこられたら、良心で守っておったものをすり抜けて触らんようにしちょるもんに触るがよね、嘲笑いって。
向こうの能力にガードする間もなくて気に触るけん、人格変わりそうな時が一回だけあって、爆弾やなーって思うたわ(゜▽゜*)