神社に感謝にいくのは良いことです
神社へ願い事をしにゆかずとも、日々事故もなく守られており、それこそが土地神の霊力と先祖の加護
さて、水子についても言われていた
☆御参りにいったら水子が憑くといわれた
というね
そりゃあ身内の水子なら憑く
自分のじゃなくても親族の水子も自分にくる時があるし
かというて、悲しくてついているものばかりではない、守りたくてついている場合もある
自分の身内の水子なら、悲しんではいかんよ
その念は水子をこの世に引っ張り止め、長い間そのマイナスの念で巻いてしまうと霊体がくすんで重くなる
普通先祖がその水子を世話してくれるのだから、ごめんねとありがとうと思いやりの供養をかけ、後悔を残さないことだ
中絶も流れたのも、仕方ないことではあろうが、それを受け止める覚悟を持っておらんと後悔するしおを引く
神社には管理する神がおるのなら水子をあづかってくれておるかもねえ
やけど、おかしいねー
水子は…まぁええわ
他人の水子がついても、そりゃあ悪気があるわけやない
愛情が子供に豊富な人には少しそれを求めてくいていくかもしれんが
マレじゃな
おいておったら血縁者でもないし、そっとまた消えてゆくよ
気にする事もないし
何をどーするということもない
低レベルの霊能力者は霊力であげてやるというだろう
別に霊能力者だから霊が上げれるという特殊能力は、ないのだよ
霊能力がなくてもお前達は日々先祖を供養する行いで上げておるし心一つで影響させておる
それが見えんから効果がわからんだけで、誰にでも霊能力はあるのだ
しかし無駄に霊を見聞きできる力だけをこの世の人間は霊能力者と呼ぶ
阿呆めが
人間は皆本質は霊である
霊が霊に影響させれることは当たり前じゃ
精神疾患の患者を見てみい
あれら皆霊界のものが見えており幻覚幻聴があり皆霊能力者よ
しかし低層次元のモノしか見えず耐える器も真理も持ち合わせておらんがために振り回されておる
それなりの器がいるのだ、魂でも肉体でもね
上の神に繋がらん限りただの精神疾患とこの世ではなるたろう、日常が送れんからの
まぁ
つまりね、愛情もってこの世に生きておればなんでも悪いものは浄化できるし、まず波長から悪いものはつかん
愛情の波長につられてくるなら愛情があるよい水子だろう
ほたくっておればよい
なんでもかんでも周りの情報にまどわされるのではなく、なぜ、そのような情報が世にあるのかの一つの事実を元に真実の現状をみなければいかんよ
というか人間は自我がある限り変なものは皆つけておる
人間の幽霊だけではない、邪霊やお化け動物霊共々いろいろだ
それは身体に害を及ぼすが、ついておらん人間は1つもおらん
というよりそれに引っ付かれておらんことには肉体に入っておれん仕組みにしとる
だから人間その悪に影響されて邪心を自我にて持つのだ
しかしそれこそが人間というものだろう?なぜ人間に悪の心が存在するのか、常に取り憑かれているからだ。
しかしそれも含めて自分だろうが
何を今更恐れる
生まれる母体の中ですでに家系の因縁と魂の因縁にて善悪両方の霊が己についておるわ
しかし死なれては困るからそれに引っ付かれてもそれ以上の力で守るようにしとる
下手な霊能力者は低いモノを見えてもわしらをよう見ん
だからゲスなものばかりを見聞きして恐れる
霊力が低い、人格がね。
やけん上が見えたらこの世に起こる悪や変なものはおそるに足りんし、必要あって因縁でついとると理解できる
馬鹿は一生懸命悪を退けようと浄化しとる
人間である以上、人間に憑く悪いモノを全てはがす権利はないし
私がそれを許してない
それは私以下の神々にはできんことだ
全て浄化したければ、まず私の霊魂を消滅させることよ
まぁ、子に親を滅する道理と力などありはせんがね
私を消すとはあの世とこの世が滅する事
私の無い所に全ては無い
人間の生きる仕組みが自我の念にて物質である生命のエネルギーに神力を変換し合う形として生かすようにしてある
神力だけを素直に肉体に入れて生きるとは霊魂が肉体と合わず離れて死に至る為に、本当の神そのものでは肉体を維持できん
だから私らも自我を残し死に恐怖を一応もっておる
本当の善では生きれんのだ
だから悪霊を引っ付けて自我をもたしとる
それが肉体にてこの世で生きる条件だ
だから私は時々口から毒を吐くだろう(笑)
全て見えてこうして生きておるのよお
それが嫌で神々は降りてこんし、自我をつけるとは罪をつくるカスタムがついたようなもんだ
恐いのだよ神は、この世で人間として生きることが
故に高い神とは肉体に入れん
神力の方が勝るからだ
だから私みたいに分神を降ろす
しかし因果を持たしたのそのままのコピーだがね本体の
本体のコピーならば、いつでも本体に繋がるということだ
だから良心で生きろというておるのだ
なるべく己の中の善を心掛けよと
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