霊能力に憧れると危ないよ | 『真理と道理・人と神』

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あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

私も見えない頃は霊能力者に憧れたもんよ

未来や過去を見えて知れて便利で、危険があればわかるし、人の心も読めて楽やろうと思うたし神様と話して悩める人救うって凄いことじゃんって思うた
でもTVに出る人気違いばっかりね

実際信じてなかったけど自分で目でみて幽霊や神や妖精っておるがやって納得してみるも
あのTVにでるイタコとかいうやつにはならん筋道がある


霊が見えん人はそれが幸せ
見えだしてしまうと当然悪いモノさえ付いてくる
修行したら確かに見えるようになるよ
でもこの世での物理的修行から霊能力を上げてしまうと低い霊から見えてしまう
こちらが見えるようになってしまうと幽霊も私達が見える
普段は「気」という想念が合わなければ幽霊には私らが見えてない
わざわざ修行して低い想念を合わすことをするため、見えることで精神を病み長くは続かず閉鎖病棟に入る


霊能力者の間違いは霊というのは常に皆についており誰も取り付かれてない人はおらんということを理解してないことだ
それを見えなければ知らぬことを見えだしたら騒ぎお祓いに明け暮れてしまう

しかもそのお祓いの仕方、成仏させるのではなく弾き飛ばして退けるだけなもんだから、まいもんて本人にまた取り付く


しかし想念が合わなければ幽霊も寄ってこんのだ
つまり取り付かれる本人の性格に問題がある
性格というよりも考え方である


考え方がおかしいほど、低級な次元でありその波長は同じ霊的なモノを呼び寄せ沢山邪霊をまとうている

要は思いやりのないその性格に問題がある
我よしは我よしの霊達をまとい、その霊達は同じ仲間を呼ぶが、その仲間が人間に取りついていたらこの世でで会う

それを類は共を呼ぶというだろう?


よい人間に本当の悪いものはつかん
よって人を選べとよくいわれるが、自分の内面が悪ければ悪いものしか見えるまい


自分磨かな無理じゃ(笑)


霊達からすれば人間が霊能力をつけるなど鴨がネギをしょっているようなもんよ


低級邪霊にも人間に力を与える事ができるため、神でなくても未来や過去を見せることは可能である

しかし代償が違うのよ
神なら繁栄と徳を与え
邪は徳を削り寿命を短縮させる

神は人をより良心的自由に生かし
邪は人を操り肉体と思念を自分の意のままに乗っとりたい


低い霊はより人間の心に影響しやすいため人格を乗っとる
それほど物質の脳への信号を強く送れるのよ
高い存在になればなるほど人格を阻害せん
良心と現れ自我と混合し出てくるため見分けがつかんじゃろう
現れても本人も気づかん
結局自分がそれなのだから



そのために邪霊にやられたら常識が狂うてくるし、日常の関わりやコミュニケーションの欠如、幻覚妄想が現れ社会では生きられんなる



いらんことはするまいよ







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