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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

世の中には志を立てた野心が高い人たちがいて、彼らは自分が世界の中心に立ち、人類集団を牽引してゆくことを夢みる訳なのだが、時にそれは、スポットライトなんて気にしないで、静かに黙々と良い仕事を続けている人たちの進路妨害をすることがある。

僕は投資の仕事をするようになってから、詐欺師にも、自覚のある詐欺師と自覚のない詐欺師とがいることを知った。自覚のない詐欺とは、本人はできる気マンマンなのだが、全くの絵に描いた餅で、言葉にも重みが含まれない人を指す。ちなみに自覚のある詐欺師とは、世間一般的な犯罪者の詐欺師である。

同様に、欲にまみれている自覚のある志と、欲にまみれている自覚のない志とがある。後者について、志に対して想いを強くし、そのプロジェクトに対してオーナーシップを強めたとき、誰もが陥ってしまう可能性があるものだと思う。

我を良くそぎ落として物事を判断しないと、短期的にはオーライかもしれないけど大事なところを見落として社会貢献との接点を見失うので、これについては心して気をつけなくてはいけない。

そのような欲望の暴走事故にストップをかけうるものが、精神性のようなものだと僕は今のところ思っていて、それは自然や宇宙との心の交流のようなもので、個や我に囚われず、全体と一体化できるかどうかであると思っている。精神性が高ければ、常に本来の全体論にすっと回帰できるので、暴走事故には至らない。

最後までやり通すひつこさ、強いエネルギー、人を引き込む能力とかっていうのは、乗り物で例えると、エンジンとか運転技術の領域の議論なわけで、それを見抜くのは意外と簡単なんだと思う。だって、能力や迫力のオーラについては大体みんな同じことを感じるのだから。

それよりも、これほどまで金余りな環境で、外国人から見たらクレイジーな市場なのだから、その要素に対しての投資家や自称サポーターからの後押しは十二分にあるはずだ。僕はエンジンや運転技術についてはさほどクリエイティビティの成果を分かつものにはならないと思っていて、創造的な解決を見出したいのならば、そのようなスペック向上に力を注ぎすぎてはならないのだと考える。白熱してしまっているところはもうコントロール効かなく抜けだしにくいし、腕力勝負なので、そういうところからはイノベーションは生まれない。

自分そっちのけにして感じる力がある限り、全体最適の思想は主に宿り、神様はその人を味方する。換言すると、僕の指摘したい精神性とは、「神様を感じれるかどうか」ということなのかもしれない。精神性が耕されたときに、世の中の真に求めるクリエイティビティという果実が成る。

これからの、より非線形な発展を遂げるであろう時代、知識や能力ややり遂げる力よりも、精神性なのだという時代が来るかもしれない。

ウォールストリートから特派員で来た僕よりも若い女性の記者と一緒に動いていた。
大学時に学んだという日本語のトーン、間、切り返しも完璧で、おまけに相当美人な才色兼備である。

僕はこの手の若くて美しくて野心的な、非の打ち所がない外国人女性と交流したことが今まで5、6回あるのだが、いくらその場では楽しく交流できても、未だに劣等感を感じてしまうのが情けない。

大体こういう精神的負け試合の時は、僕はあわよくばモテようとする戦略を一切捨て、エンターテイナーとして面白い奴カテゴリーに入れてもらうことにベストを尽くす。

昆虫の話とか、中野のブロードウェイの話とかをしたのだが、期待値を超える面白さやインテリジェンスを提供できたかというと、微妙だ。外国語はしゃべれても、まだ僕はアメリカ人の成熟した感性というものが、掴み切れていないのだろう。

僕の考える個のグローバル化というのは、地球のどのようなシーンでとのような人に対しても魅力を発現できるやつであり、改めて目標を改たにしたのである。

期限を決めずに目線だけ高くしてしまうという、独身志向のドツボにはまっていると言えなくもないのだが、こればかりは譲れそうにもない。がんばらなくてはなるまい。
うちのファンドがインターン生を採用した。昨年は某省庁の官僚が来ていたのだが、今回は某外資投資銀行出身の方である。どちらもMBAのcandidate。しかも僕の担当するプロジェクトにジョインするので、暫く一緒に取り組むことになる。僕もつい一年前まではこの会社で働いていなかったので、人を受け入れるとはなんだか不思議な感じだ。

やはりプライベートエクイティは元々インテリジェントなイメージを放つ人気な職種だったし、外からは何をやっているかわからないので、余計に中を覗いてみたいと思うのは頷ける。

それに今、未上場株は明らかにバブルの様相だし、ちまたでは起業マインドも浸透してベンチャー界隈の市民権がまた強くなってきたように思う(バブルだけど)。さらにここ数年のクラウドファンディングという仕組みによって、未上場企業の資金調達のあり方まで変化する可能性が濃い。総合的に、今味見をするにはもってこいな業界と言える。

なんだか気を休める時間があまりないのだが、バカンスに行きたい気持ちは暫く抑え、明日あたりプールでも行ってのんびり泳いでこようと思っている。

歯の治療を行っている。一斉に治そうと思い、かなり大掛かりに。やっていて思うのは、歯の治療は設備投資そのものであるということである。

歯は明らかに人間の営み(機能的・娯楽的にも)に必要不可欠な設備であり、メンテナンスが至らないと、設備の増強もしくは補強という形で新たな追加コストが発生する。

食生活が多様化して、内臓と同様に歯にも大きな負担をかけているにもかかわらず、いまだに保険適用範囲内が非常に狭く、対処療法としか言いようがないものしか揃ってないということがわかってきた。

つまり、現代の華やかな食生活をエンジョイし続けるには、保険適用内だけの処置に抑えて人生逃げ切るだけでは難しく、個人の歯という生産設備に対しての投資感覚を磨き、随時、必要なタイミングで(往々にしてそれは本人が自覚するよりも早いタイミングである)設備投資を行っていかないと、一生をかけてのトータルで高い効用は得ることができない。

虫歯になりやすい/なりにくいは体質もあるのだが、仮になりにくい体質だとしても、歯ブラシの予防だけで、健康な歯肉と歯を守り続けるのは、至高の職人技=至難の技ではないかと思う。

いずれにしてもちょっとした中古車が購入できるほどの金額の大きな意思決定をするつもりなので、僕も本気で調べ、最適な歯科、投資額、リスク、リターン、治療手順の最適な組み合わせをDCFベースに考えている。ここはプロの投資家のはしくれとして失敗はできないところだ。

何より僕が言いたいのは、自身の歯の健全性に対して過信している人が沢山いるということだ。恐らく本人が想像している以上に、劣化が進んでいる。その劣化の進度を確かめるだけでも、歯を定期的に検診する必要がある。

歯だけでなく、これからの医療は、我が国の保険制度や生活の多様化から鑑みるに、一律に定期検診を受け、問題が起きたら治療されるというパッシブ運用では期待値を超えることはできなくなってくるはずで、個人が設備投資の感覚を磨いて知識をつけて自己防衛してプラスのαを目指すことをしてゆかなくては、たまにマイナスのリターンを出すことはあるかもしれないが、長期的にみて大きな落とし穴におちてしまうのだろうと感じる。



昨日は夜遅くまで、国際派な偉いおじさま方と飲んだ。そのあとカラオケにも行った。僕はがんばって、チェッカーズとSMAPを歌い、最大公約数を狙った。別にそんなに食欲はないんだけども、皿をいくつもパスされるので、若者ぶってたくさん肉を食った。食う、食わされる、というのが、世代が違くても一つのコミュニケーションとして成立しているのだろうと感じる。たとえ話題が合わなくてもニコニコ楽しく飯を食っていれば、年配は満足するのだ。

僕以外のみなさんは50以上なので、僕は圧倒的に若い。しかし30という大台に乗ってしまったので、「ならば、そろそろ身を固めないと」とか、「フラフラしてていいのか」みたいなことになる。10の位が変わるだけで、非常に肩身が狭くなるものだ。

僕もそんなところで喧々諤々と大人たちと議論はしたくないので(説得できそうにないし)、そんな時はかわして逃げる戦略をとる。そうなると僕の評価は高くないかもしれないけど、断定こそされないので、「こいつはこんなもんか」と見切りをつけられることはない。

まあ、自分でも飲み会の癖に気を使いすぎだとは思う。しかし、日本という国は不思議な国で、同調圧力が強いと言われている。よそ者やはみ出しものが評価されにくい。その代わり別の見方をすれば、勤勉性や倫理観や正義感の平均点は高く、それが秩序を形成しているとも言える。それを重んじる人たちをこけにするような態度は取れない、僕が気を使うのは、ただその一点の理由だけである。

理研の笹井さんの件についても同様の見方もできる。皆が同調の輪の中にいる分には皆優しく、全て温かく受け入れるのだが、秩序を乱した者については、無慈悲に処遇されることが日本の伝統的なコンセンサスとなっている。だから死刑制度も未だにあるし、外国人からすると、この建前と本音を両極として具備している部分は日本の最もミステリアスな部分であると思う。

STAPの一件で、ルールを守る者は保護されるべきであるが、ルールを守らない者は保護されるべきではないという伝統的な見方が一層強まったが、今回の笹井さんの死はその見方を希釈することにはならなかった、むしろ後押ししたというのが、僕の見方である。

皆が彼の死に心を痛め、このような不幸がないように、徹底してルールを守ろうとすべきというのが、科学界と産業界の行き着く方針だろう。そうなると、官主導の失敗万歳のイノベーション推進とは逆の力が働く。

僕は仕事柄両方に近い場所に立っているのだが、このような国家として多重人格を持ちながら、うねりながら進めてゆくのを現場で見て、なんというかアメーバっぽいなあと感じたのであった。