僕は投資の仕事をするようになってから、詐欺師にも、自覚のある詐欺師と自覚のない詐欺師とがいることを知った。自覚のない詐欺とは、本人はできる気マンマンなのだが、全くの絵に描いた餅で、言葉にも重みが含まれない人を指す。ちなみに自覚のある詐欺師とは、世間一般的な犯罪者の詐欺師である。
同様に、欲にまみれている自覚のある志と、欲にまみれている自覚のない志とがある。後者について、志に対して想いを強くし、そのプロジェクトに対してオーナーシップを強めたとき、誰もが陥ってしまう可能性があるものだと思う。
我を良くそぎ落として物事を判断しないと、短期的にはオーライかもしれないけど大事なところを見落として社会貢献との接点を見失うので、これについては心して気をつけなくてはいけない。
そのような欲望の暴走事故にストップをかけうるものが、精神性のようなものだと僕は今のところ思っていて、それは自然や宇宙との心の交流のようなもので、個や我に囚われず、全体と一体化できるかどうかであると思っている。精神性が高ければ、常に本来の全体論にすっと回帰できるので、暴走事故には至らない。
最後までやり通すひつこさ、強いエネルギー、人を引き込む能力とかっていうのは、乗り物で例えると、エンジンとか運転技術の領域の議論なわけで、それを見抜くのは意外と簡単なんだと思う。だって、能力や迫力のオーラについては大体みんな同じことを感じるのだから。
それよりも、これほどまで金余りな環境で、外国人から見たらクレイジーな市場なのだから、その要素に対しての投資家や自称サポーターからの後押しは十二分にあるはずだ。僕はエンジンや運転技術についてはさほどクリエイティビティの成果を分かつものにはならないと思っていて、創造的な解決を見出したいのならば、そのようなスペック向上に力を注ぎすぎてはならないのだと考える。白熱してしまっているところはもうコントロール効かなく抜けだしにくいし、腕力勝負なので、そういうところからはイノベーションは生まれない。
自分そっちのけにして感じる力がある限り、全体最適の思想は主に宿り、神様はその人を味方する。換言すると、僕の指摘したい精神性とは、「神様を感じれるかどうか」ということなのかもしれない。精神性が耕されたときに、世の中の真に求めるクリエイティビティという果実が成る。
これからの、より非線形な発展を遂げるであろう時代、知識や能力ややり遂げる力よりも、精神性なのだという時代が来るかもしれない。