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1丁目住人のブログ

一人一人が楽しく生きるためのブログ。

予期せずネットワークビジネスの勧誘にあってしまった。本当は久しぶりに会う友人とご飯を食べる予定だったのが、途中参入してという感じでおやおや?と思ったのだが、そこは大人として受け入れ、冷静に聞いてあげたのだ。

まあ、僕に話して来た人も、その手の道で日本で一番成功している人の子分だそうで、海外在住で稼ぎは相当あるし、カリスマとされている。これならば手合わせする相手として不足はない。僕のやる気も高まるというものだ。

話を聴き終わったあと、何度かの質問に対しても誠実に答え、別れた後も丁重にお断りのメールを打った。

僕の感じる違和感は以下の通りだ。

1、浅はかなサイエンスの知識
彼らはミトコンドリアなどの機能をシナリオ通り僕に披露する。つまるところ、広範で深い知識を有している訳ではないので、通り一辺倒のみんな同じことを言うのだ。もっと製薬会社の営業マンを見習って欲しい。彼らは働きながらバイオメディカルの学位を取ったりする人もいる。人生一生勉強である。インプットのソースが貧相なので、宗教の勧誘を彷彿とさせてしまう。

2、サラリーマンを敵対視するという怪
彼らは決まってサラリーマンはやっていられないと言う。でも僕からすると、彼らは確かに自営業かもしれないが、フルコミッションのサラリーマンと同等である。笑  商品も、ビジネスモデルも決められていて、どこが起業なのだろうか。

3、ゴールの決まった誘導
生き方や目標など、少しでも曖昧な発言をするとツッコミを入れて「こうあるべき」と返す。実はここが最もイラついた箇所ではあるのだが、初対面で人生の目標や意義など誰が語るのであろうか。相手を受け入れていないゆえの控えた発言であり、そこに相手を入れる、つまり議論の余地はないのだ。この部分をすぐに取り出して語り合おうとする彼らは、そういった話しを望んでいない人がいることを、とっても深く反省すべきだ。

4、広告費を使わないから安くなるという幻想
広告はなくならない。電通や博報堂の業績は頭打ちだが、その分ネットやモバイルの広告はずっと伸びている。商品がありすぎて自分で探しきれない現代において、まだまだ必要なメソッドなのだ。対してこれは、口コミにして販売員にインセンティブを未来永劫持たせているいう厄介な構造なので、単純にマーケティングのモデルが違うだけである。カスタマーにリーチするために広告費を払うことを批判することは、何と言うか的外れである。

というわけなのだ。

ちなみに今年になって中国でこの手のビジネスモデルに対して問題が続出し、一部制裁金が課せられ、某企業の株価が暴落した。販売員たちもこのことは良く知っておくべきだろう。




いやあこのところブログが更新できないほど仕事が面白い。どういう意味かというと、日々新たな出会いと学びとヒラメキがある中で、やんなきゃいけないこと、勉強しなくちゃならないことが次々と湯水のように出現してきており、長蛇の列をなしてしまっている。そして、それらのものに対して全て「やったるぞ!」という揺るぎない熱意によって、"ワニワニパニック"のワニを無心に叩くかの如く、僕自身が自動運転されているからなのだ。

RPGのゲームでいうと、ハイレベルのモンスターが集うフィールドでシコシコとレベル稼ぎをしているようなものだ。

長らくこういう環境を求めていたのだから、本当に恵まれていると感じる。

とわいえ、まぁこのような環境を手にするために過去と今の両方に犠牲にしてきたことは確かにある。しかし、価値観を絞り込むことで、大きなチャンスが巡ってきたのも紛れもない事実だ。

人生とは言うまでもなくゴールではなく道中を楽しむことなので、足りないとかまだまだなんて口癖になって、欠落感だけに身を任せずに、常に満足いかない状態を創り出して上昇余地を確保しながら、今のステイタスを味わい満喫していかなくてはならない。

道はまだ長い。焦らずに大きな土台を作っていかなければ。

某省庁が出す育成金みたいなものに推薦してもらうことになった。この業界の若手対象ということなのだが、今まで出ているのが日本で数人しかいない。有難い。

で、先日面接を受けたのだが、これが初体験なかんじで・・

大きな会議室で、教授や弁護士や官僚など有識者20名くらいに周囲を囲まれ、なんと部屋の奥には書記官までいて、メインとなる5人くらいの面接官や、僕の受け答えを記録しているではないか!

さすがに国の予算となると形式的に厳格なのだろう。圧迫面接ではないものの、さすがにストライクゾーンに入れた絶妙な質問をぶつけてくる。

最初は緊張していたが、何だか途中から面接ハイになってきて、饒舌に色んなことをしゃべった。何人か頷いていらっしゃったし、手応えはある。

主査の方も、「今度廊下で話の続きを聞かせてくれ」と何とも粋な言葉をかけて下さったので、実質的に通っただろう。

税金を有効に使うということは本当に重いことだ。今年度法人税収が1兆円増えるようだが、引き続きプライマリーバランスは赤字だ。成長投資は果敢に行わないといけないが、闇雲に予算を使って結果が出なかった時には責任を問われる。受託者責任というやつだ。

なかなか面白くなってきた。


この時代、本質を失った製品やサービスの価値は無価値に等しい。いや、有害ですらあるのかもしれない。一昔前前までは、本質を捉えなくても、大筋で合っていれば合格点がもらえていた。

これが、いまから、と、これから、の差なんだと思う。

本物を提案してゆこう。本物を実践してゆこう。

旧式の感性を持つ社会やリーダー達に引っ張られてはならない。

そのために、感性を磨いてゆくしかない。ここが少しでもぶれていると、全てが成立しない。

逆に、どんなことでも、感性の高い者が取り組めば本質的な製品やサービスに化ける。これが、これから、なのだと思っている。

とっても楽しい時代になった。

もっと力をつけて、高みにのぼり、風を感じれたい。

この2年くらいで、一つ確信したことがある。それは、全ては感性であるということだ。

Aをやって成功した人はBをやってもうまくいく。これは、スケールが大きくなればなるほど、スキルと経験という説明変数を使うよりも、感性という説明変数を使う方が決定係数(当てはまり度合い)が高いケースが多いと思われる。

例えばある起業家が古本屋のビジネスを極め、次に畑違いの飲食店のビジネスをしたとして、スキルや知識を一からつけたって、先行者に追いつき追い越すのは至難の技だ。いくら前の事業で上手くいったとしても、ネームだけでも商売は上手くゆかない。その上、経営者であれば時間も有限だ。今回の投稿は、こういった時に成功するためには、感性が備わっていることが大事であるというテーマである。ちなみにこの例は、これは「俺の株式会社」をモデルにしていたりする。

北野武や松本人志のような芸人が映画監督として一定の成功をおさめたことも類型だろう。

感性とは、何をやろうか、何を極めようか、誰と付き合おうか、どこにいようか、などとその生物の重要な決定事項を司り、いわば意思決定の源流の部分に配備されているものだ。脳で言うと、海馬のようなものかもしれない。

だから感性を徹底的に磨かなくてはならない。学生時代、親に借金してまでバックパッカーをしたのも、無茶して失敗を味わったのも、大好きだった女の子に振られたのも、金にもならない部活を必死にやったのも、もしかしたら、よく目的も理由も把握せずに、感性を養うためにやってきたのかもしれない、と思えるほどだ。

アマゾン創業者のジェフ・ベゾスだって、現在はベンチャーファンドも運営しているが、そのポートフォリオだって面白いものばかりだ。「彼は経営も投資も才能があった」という片付け方をせず、ベンチャービジネスで培った感性が彼のベンチャー投資家としてのセンスを形成したと考えるの方が僕はしっくりくる。

要は、感性さえ磨けば応用が効く。本当にそういう時代になったのだろう。ここに気付けるかどうかで、大きな差になってくるだろう。とにかく、より高い感性、より深い感性、より研ぎ澄まされた感性を目指すのだ。