いろんな人と率直な話していると、相手の話をあまり聞かなかったり、自慢ばかりをしたりする、困った人が、一定量いるものだ。また、そんなに極端ではなくても、話をしていて、心を閉ざしている人もいる。ほんの少しの"わだかまり"だったりするのだが。
ここで対象としたいのは、後者の方である。
僕はそういった人たちに、無理やり感のない、「承認」を与えることにしている。
たとえば、「チャレンジしてみろよ」よりも、「お前のその才能を無駄にせず、チャレンジしてみろよ」の方が、その人に染み込み、響くのだ。
自分に自信がない人は、活躍している人が眩しすぎて直視できないし、充実している人に対しても素直に認められないことがある。
それに真面目な人ほど、自分自身を規律する上で、あまり自信を持たないようにしている節がある。しかしながら、それではいつまでたっても、その人のポテンシャルが引き出されない。
さわやかな絶対的自信は必要である。プロスポーツ選手が持っているようなものだ。他人を不快にされない、むしろ楽しくさせたり、奮い立たせたりする、内側からみなぎるエネルギー。自分自身に対する希望。結果を求める期待ではなく、天井しらずの自由な希望。それを目指そう。
もともと、自分自身に絶対的な自信を持っている人へはこんな気遣いは不要なのだが、多くの一般的な人間はなかなか自分に自信を持てないものであるし、常に持っていることは難しいことも知っている。
他者からの承認があると、心がほぐれ、本音も出てくる。活動的にもなる。相手も認め易くなり、好循環が生まれる。
まあ一つ注意点といえば、これを利用した詐欺や宗教勧誘があるので気をつけなくてはいけないということだろうか。
自分を育てるのは、第一に、まず自分自身なのだ。これは、これからの未来で、自立した個の繋がりを目指す上で、絶対的なルールその1である。
年末から新年にかけて、古い友人と会った。ラグビーをやっていた頃の友人、大学の友人、地元が同じ友人、などなど。
今まで僕は、明示的に意図して、この人と付き合おうとか、この人は避けようという判断をしていなかったのだが、無意識のうちに、明確にその基準はできてしまっていることに気づいた。
それは、その人を尊敬しているかしていないかではなく、価値観が似ているか似ていないかでもなく、好きか嫌いかでもなく、お互いを高めあえるかあえないかでもなく、得となるか損となるかでもなく、「ミッションが同じか同じではないか」、なのである。
つまり、たとえ、その人が嫌いでも今現在の僕の"生きてゆく道"とオーバーラップしている場合は会わなければとも思うし、仮にその人のことを好きだったり尊敬していても、道が違ければ会うことは、年に一回の忘年会くらいしかないのである。
加えて言えば、会社に勤めている人は当然、付き合いが多くなることは当たり前のことだが、皆が同種のミッションを持っているとは限らない。同一の夢を持っているように思えるサッカー選手にでだってさえ、それぞれ異なったミッション=自分の命の使い方を思い描いているはずだ。むしろ、そういう強くて自立した個の集団であるからこそ、プロであるように思う。
ミッションとは、個人で創って、背負っていくべきものだ。なので、他の人と一緒なことは、原理的にあり得ない。
よって、付き合っている人たちが去年とほとんど同じな場合、己のミッションに対して本当に忠実に、歩めているのか、疑う必要がある。なぜなら、人間関係は、今までに述べた個人のミッションの進行具合の従属関数であるからである。
人間関係は、本来、自分の道を歩み出した時からどんどん変わってゆくべきものだ。変化を恐れ、拒んだら、周囲の環境は固定化する。
中には、人との交流を断つことが出来ない人がいる。しかし、僕は思う。自分の道を決意し、その時その時の人間関係が変化するのを恐れずに歩んでいれば、いずれ、自分が尊敬したり好きだったりする、自分とは違う道を歩んでいる人たちと交差点で会うことがあるはずであると。それも、互いにレベルアップをした状態で、何回も。それは、人生の大きな醍醐味ともいえるほと、楽しいことだと思う。
ちなみに、損得勘定だけで人と付き合っていると、本当の人間関係は生まれない。それは僕にとって、まったく無意味であり損となるものなのだ。だから、僕は損得では人と繋がらないようにしている。
人と出会うということは、いつの日か別れがその後にあるということと同じであり、いわば、出会いと別れはセットでしか流通が許されていない商品なのである。
そんなわけで、自分の魂に正直になり、人とのご縁は天に任せ、その分、己の道をまっすぐ進むために気を強く持ち、がんばってゆこうと、気持ちを新たにした、年初でした。
みなさまにとっても、今年がみなさまのそれぞれのミッションの前進の年であるよう、お祈りいたします。
そして、たまにどこかの交差点でお会いいたしましょう。
今まで僕は、明示的に意図して、この人と付き合おうとか、この人は避けようという判断をしていなかったのだが、無意識のうちに、明確にその基準はできてしまっていることに気づいた。
それは、その人を尊敬しているかしていないかではなく、価値観が似ているか似ていないかでもなく、好きか嫌いかでもなく、お互いを高めあえるかあえないかでもなく、得となるか損となるかでもなく、「ミッションが同じか同じではないか」、なのである。
つまり、たとえ、その人が嫌いでも今現在の僕の"生きてゆく道"とオーバーラップしている場合は会わなければとも思うし、仮にその人のことを好きだったり尊敬していても、道が違ければ会うことは、年に一回の忘年会くらいしかないのである。
加えて言えば、会社に勤めている人は当然、付き合いが多くなることは当たり前のことだが、皆が同種のミッションを持っているとは限らない。同一の夢を持っているように思えるサッカー選手にでだってさえ、それぞれ異なったミッション=自分の命の使い方を思い描いているはずだ。むしろ、そういう強くて自立した個の集団であるからこそ、プロであるように思う。
ミッションとは、個人で創って、背負っていくべきものだ。なので、他の人と一緒なことは、原理的にあり得ない。
よって、付き合っている人たちが去年とほとんど同じな場合、己のミッションに対して本当に忠実に、歩めているのか、疑う必要がある。なぜなら、人間関係は、今までに述べた個人のミッションの進行具合の従属関数であるからである。
人間関係は、本来、自分の道を歩み出した時からどんどん変わってゆくべきものだ。変化を恐れ、拒んだら、周囲の環境は固定化する。
中には、人との交流を断つことが出来ない人がいる。しかし、僕は思う。自分の道を決意し、その時その時の人間関係が変化するのを恐れずに歩んでいれば、いずれ、自分が尊敬したり好きだったりする、自分とは違う道を歩んでいる人たちと交差点で会うことがあるはずであると。それも、互いにレベルアップをした状態で、何回も。それは、人生の大きな醍醐味ともいえるほと、楽しいことだと思う。
ちなみに、損得勘定だけで人と付き合っていると、本当の人間関係は生まれない。それは僕にとって、まったく無意味であり損となるものなのだ。だから、僕は損得では人と繋がらないようにしている。
人と出会うということは、いつの日か別れがその後にあるということと同じであり、いわば、出会いと別れはセットでしか流通が許されていない商品なのである。
そんなわけで、自分の魂に正直になり、人とのご縁は天に任せ、その分、己の道をまっすぐ進むために気を強く持ち、がんばってゆこうと、気持ちを新たにした、年初でした。
みなさまにとっても、今年がみなさまのそれぞれのミッションの前進の年であるよう、お祈りいたします。
そして、たまにどこかの交差点でお会いいたしましょう。
クリスマスを終え、今お世話になっている会社で忘年会があった。オフィスを引っ越したので、新オフィスにて、ウェルカムパーティも込みで。
お話した方々は、売れっ子経済アナリストや政府関係の会計士、内閣官房関係や、経済学者、弁護士、異端マスコミ関係者などなど、多岐にわたった。
明日はいつも行っているダンス教室で忘年会。芸能関係の人たちが集う。
今までの忘年会をとりまく面々を考えると、隔世の感がある。
去年の今頃は僕はアムステルダムにいた。将来どう生きようか?と迷いつつも、会社を辞め、旅をしながら、日本を脱出するために、着々と準備をしていた。
しかしながら、今年、僕は意外にも日本にいる。去年とは全く違った心持ちで。
きっと、去年の僕は、漢字名を隠す香港人やシンガポリアンのような考えであった。国籍を消し、グローバルで打ち勝てるように、"捨てる"決意をしたのだ。
その行動の先にいろんな予期せぬ出会いがあった。そして、心から納得した状態で、日本にまた帰ってきた。どこにいても同じでいるという、作り変えたグローバルな器を目指して。
まさに今年の経験は、transformational experience.
踏み出さなければ今はなかった。
世界の変動のスピードはますます、早まるばかりだ。激動の中、僕らは各々の幸せを定義して、修正して、再定義して、の繰り返しで生きてゆく。
満たされた気持ちで、年初を迎えたいとおもう。
今年の元旦はモロッコで気球に乗って初日の出を見た。来年は日本でしっとりと正月を過ごす。さて、再来年はどこなのだろう?God only knows.
皆さんもよいお年を。
お話した方々は、売れっ子経済アナリストや政府関係の会計士、内閣官房関係や、経済学者、弁護士、異端マスコミ関係者などなど、多岐にわたった。
明日はいつも行っているダンス教室で忘年会。芸能関係の人たちが集う。
今までの忘年会をとりまく面々を考えると、隔世の感がある。
去年の今頃は僕はアムステルダムにいた。将来どう生きようか?と迷いつつも、会社を辞め、旅をしながら、日本を脱出するために、着々と準備をしていた。
しかしながら、今年、僕は意外にも日本にいる。去年とは全く違った心持ちで。
きっと、去年の僕は、漢字名を隠す香港人やシンガポリアンのような考えであった。国籍を消し、グローバルで打ち勝てるように、"捨てる"決意をしたのだ。
その行動の先にいろんな予期せぬ出会いがあった。そして、心から納得した状態で、日本にまた帰ってきた。どこにいても同じでいるという、作り変えたグローバルな器を目指して。
まさに今年の経験は、transformational experience.
踏み出さなければ今はなかった。
世界の変動のスピードはますます、早まるばかりだ。激動の中、僕らは各々の幸せを定義して、修正して、再定義して、の繰り返しで生きてゆく。
満たされた気持ちで、年初を迎えたいとおもう。
今年の元旦はモロッコで気球に乗って初日の出を見た。来年は日本でしっとりと正月を過ごす。さて、再来年はどこなのだろう?God only knows.
皆さんもよいお年を。
友人と、好きなタイプ、というものを考え、議論したのでここに記しておこうと思う。
僕の行き着く結論は、2つの条件だ。1、自立していること。2、相手に関心を持ってくれること。
1、は、自分の生きたい生き方をしていて、何があっても誰のせいにもしないで、堂々と明るく生きていることだ。僕は基本的にマイノリティな生き方をしている人を好むようで、一般的な「自立」とはすこし定義が違うかもしれない。あえて、そっちを進んでいるのだ、という覚悟と小気味の良さがあれば、素晴らしい。
2、はキーポイントであるが、だいたいが1、のような生き方をしていると、他人に媚びないし、他人の生き方に興味を持たない傾向にあるものである。
こちらから一方的に歩みよったのでは時間の問題で成り立たなくなるのは自明の理だ。双方からの関心がなければ、続かない。
共通点が欲しいと言う人もいるが、僕の場合は特に要らなく、むしろジャンルが違っていた方が、世界が広がるのだし面白いのだと思う。関心さえあれば、共通の趣味などもできよう。
とまあ、珍しく恋愛についての考えを整理してみたのだが、あーだこーだ定義したところで、結局フィーリングなわけだと思うし、既に出会ってから好きなタイプを話しあっても、時既に遅し、試合終了後というものだ。
好きなタイプとは、つまるところ、その人の価値観の投影に過ぎない。なので、この質問の答えから見えてくるものは、実は回答者の生き方そのものである。
でも、なぜ、このように至る所で、異性のタイプの話はするのに、友達のタイプの話はないのだろうか?
これには、交友と恋愛を変に分けようとする、マスメディアを中心とした、何かと恋愛にかこつけて商売にしようとする、商業主義の負の側面と、未だにはびこる、日本の古き恋愛観や結婚慣習の存在があるように思えてならない。
友人とは、皆がだいたい肩の力を抜いた結果できたものである。タイプや条件なんて考えずに、流れで仲良くなって、何時の間にか親友になっていたりするものだ。
自分を向上させる活動の結果、合わせ鏡となって形となっていくのが友人であるし、恋愛対象だって変わらないのではないか。
彼女/彼氏が欲しいとか、結婚したいと焦っている人もいるが、基本はそこなので、結局、良い友達が出来た過去のように、自分磨きに精をだしていれば、そのうちできるものだと考える。
間違ってはいけないところは、良い相手を見つけるために、自己研鑽するわけではない、あくまで、より良い人生を送るための努力であり、その副産物としての、友や恋愛相手である。
こういった観点からすると、よく、「結婚はまだか」とか、「相手はいるの」みたいなことを言ってくるおじさん、おばさんがいるが、彼らの言っていること、また、そのような無用なプレッシャーをかけていること自体が、間違っている。
こんな暴論じみたことを言うと、女性には子どもを産むタイムリミットがあるのでそうもいかない、という反論が必ずあるが、そういう願望を強く出してしまうことで、物事は二重にうまくいかなくなると思われる。
要は、基本スタンスを忠実に守っていれば、結果はついてきやすい。力点と作用点。作用して欲しい点に力を込めずに、力点に力を注ぐ。小学校の物理の基本法則であるが、恋愛および結婚市場においても、同様のことが、言えるのではないか。
僕の行き着く結論は、2つの条件だ。1、自立していること。2、相手に関心を持ってくれること。
1、は、自分の生きたい生き方をしていて、何があっても誰のせいにもしないで、堂々と明るく生きていることだ。僕は基本的にマイノリティな生き方をしている人を好むようで、一般的な「自立」とはすこし定義が違うかもしれない。あえて、そっちを進んでいるのだ、という覚悟と小気味の良さがあれば、素晴らしい。
2、はキーポイントであるが、だいたいが1、のような生き方をしていると、他人に媚びないし、他人の生き方に興味を持たない傾向にあるものである。
こちらから一方的に歩みよったのでは時間の問題で成り立たなくなるのは自明の理だ。双方からの関心がなければ、続かない。
共通点が欲しいと言う人もいるが、僕の場合は特に要らなく、むしろジャンルが違っていた方が、世界が広がるのだし面白いのだと思う。関心さえあれば、共通の趣味などもできよう。
とまあ、珍しく恋愛についての考えを整理してみたのだが、あーだこーだ定義したところで、結局フィーリングなわけだと思うし、既に出会ってから好きなタイプを話しあっても、時既に遅し、試合終了後というものだ。
好きなタイプとは、つまるところ、その人の価値観の投影に過ぎない。なので、この質問の答えから見えてくるものは、実は回答者の生き方そのものである。
でも、なぜ、このように至る所で、異性のタイプの話はするのに、友達のタイプの話はないのだろうか?
これには、交友と恋愛を変に分けようとする、マスメディアを中心とした、何かと恋愛にかこつけて商売にしようとする、商業主義の負の側面と、未だにはびこる、日本の古き恋愛観や結婚慣習の存在があるように思えてならない。
友人とは、皆がだいたい肩の力を抜いた結果できたものである。タイプや条件なんて考えずに、流れで仲良くなって、何時の間にか親友になっていたりするものだ。
自分を向上させる活動の結果、合わせ鏡となって形となっていくのが友人であるし、恋愛対象だって変わらないのではないか。
彼女/彼氏が欲しいとか、結婚したいと焦っている人もいるが、基本はそこなので、結局、良い友達が出来た過去のように、自分磨きに精をだしていれば、そのうちできるものだと考える。
間違ってはいけないところは、良い相手を見つけるために、自己研鑽するわけではない、あくまで、より良い人生を送るための努力であり、その副産物としての、友や恋愛相手である。
こういった観点からすると、よく、「結婚はまだか」とか、「相手はいるの」みたいなことを言ってくるおじさん、おばさんがいるが、彼らの言っていること、また、そのような無用なプレッシャーをかけていること自体が、間違っている。
こんな暴論じみたことを言うと、女性には子どもを産むタイムリミットがあるのでそうもいかない、という反論が必ずあるが、そういう願望を強く出してしまうことで、物事は二重にうまくいかなくなると思われる。
要は、基本スタンスを忠実に守っていれば、結果はついてきやすい。力点と作用点。作用して欲しい点に力を込めずに、力点に力を注ぐ。小学校の物理の基本法則であるが、恋愛および結婚市場においても、同様のことが、言えるのではないか。
中国人の留学生と会った。
彼女は日本に来て3年。母国語の中国語に加え、日本語はもちろん、英語もほぼ完璧にできる。
しかし、都内の有名大学の大学院を来年卒業する彼女は、就職先に満足していなく、留年をしようか悩んでいるというのだ。
実際、就職先を聞いてみると、千葉にある楽器輸出入会社だということで、金融を専攻していた彼女にとって、とても不本意な結果である。
彼女は母国中国で2年ほど製造業の会社で就職をしていた。それから日本に渡り、製造業から離れるべく、投資銀行で働くという希望のもと、日本語とともに、日本の大学院の狭き門を叩き、金融を専攻した。フランスにも留学したのである。彼女のプライドはかなり傷つけられていた。
どうしようか、というので、ひょんなことからモノ作りの世界から金融の世界に来た僕に、相談がきたのだ。しごく妥当な相談先である(笑)
僕は、基本的に、日本に来てがんばっている外国人を尊敬している。それが、たとえ、新宿の歌舞伎町で危ない世界で生きている人だとしてもだ。しかし、彼女はそういった人たちとはひと味、違う。努力家で才能もある。しかしここ日本で職だけがないのだ。
話していてわかったことだが、彼女が捨てられないのは、”日本にきて一からがんばった”というプライドであった。それが彼女を苦しめていたのだ。日本が好きで離れたくないのである。しかし、彼女は就業経験もあり、年齢も20後半だし、新卒調教を好む日本の企業からはあまり評価されない経歴だ。一人娘だし、海外でスマートに事が進まないと、留学資金を工面してくれた中国にいる両親に対して顔向けが出来ない。
僕は、彼女に、僕が以前やっていたように、上海かシンガポールでの就職をおすすめした。彼女は3カ国語操れるのだし、仕事のあふれている場所では語学をクリアしているので、ひっぱりだこである。それに、特にシンガポールは、経歴を重視しなく、能力を重視するので、彼女にとって有利だ。何より、そういった国際的な場所でキャリアを積めば、何としてでも海外に打って出たい日本企業にとっても、魅力的に映るのである。現地での滞在先や友人などもも教えた。要は、目の前の課題に捕われて、無理のある道を行くよりも、うまく渡れるように梯子をかけよう、ということなのだ。
彼女はその提案に対して貴重なアドバイスだと、とても喜んでくれた。来年、おそらく現地で就職活動をするだろう。僕はこういった世界を相手にがんばろうとしている人を応援したいし、僕もそうでありたいと思っている。
何かしらのハードルはだれにでもあるはずである。それをいかにクールに見て、適正な努力のベクトルに持って行けるか。そこがうまくいくか、いかないかの分かれ目のように思う。いまだに日本には、道が狭いとか少ないとかで悲観的に嘆いて何もしない若者がいる。道は作るものなのだ。作った道には、そのあとたくさんの人が通る。へこたれないことだ。
ともにがんばろう、若者たちよ、と、まじめに思う。
彼女は日本に来て3年。母国語の中国語に加え、日本語はもちろん、英語もほぼ完璧にできる。
しかし、都内の有名大学の大学院を来年卒業する彼女は、就職先に満足していなく、留年をしようか悩んでいるというのだ。
実際、就職先を聞いてみると、千葉にある楽器輸出入会社だということで、金融を専攻していた彼女にとって、とても不本意な結果である。
彼女は母国中国で2年ほど製造業の会社で就職をしていた。それから日本に渡り、製造業から離れるべく、投資銀行で働くという希望のもと、日本語とともに、日本の大学院の狭き門を叩き、金融を専攻した。フランスにも留学したのである。彼女のプライドはかなり傷つけられていた。
どうしようか、というので、ひょんなことからモノ作りの世界から金融の世界に来た僕に、相談がきたのだ。しごく妥当な相談先である(笑)
僕は、基本的に、日本に来てがんばっている外国人を尊敬している。それが、たとえ、新宿の歌舞伎町で危ない世界で生きている人だとしてもだ。しかし、彼女はそういった人たちとはひと味、違う。努力家で才能もある。しかしここ日本で職だけがないのだ。
話していてわかったことだが、彼女が捨てられないのは、”日本にきて一からがんばった”というプライドであった。それが彼女を苦しめていたのだ。日本が好きで離れたくないのである。しかし、彼女は就業経験もあり、年齢も20後半だし、新卒調教を好む日本の企業からはあまり評価されない経歴だ。一人娘だし、海外でスマートに事が進まないと、留学資金を工面してくれた中国にいる両親に対して顔向けが出来ない。
僕は、彼女に、僕が以前やっていたように、上海かシンガポールでの就職をおすすめした。彼女は3カ国語操れるのだし、仕事のあふれている場所では語学をクリアしているので、ひっぱりだこである。それに、特にシンガポールは、経歴を重視しなく、能力を重視するので、彼女にとって有利だ。何より、そういった国際的な場所でキャリアを積めば、何としてでも海外に打って出たい日本企業にとっても、魅力的に映るのである。現地での滞在先や友人などもも教えた。要は、目の前の課題に捕われて、無理のある道を行くよりも、うまく渡れるように梯子をかけよう、ということなのだ。
彼女はその提案に対して貴重なアドバイスだと、とても喜んでくれた。来年、おそらく現地で就職活動をするだろう。僕はこういった世界を相手にがんばろうとしている人を応援したいし、僕もそうでありたいと思っている。
何かしらのハードルはだれにでもあるはずである。それをいかにクールに見て、適正な努力のベクトルに持って行けるか。そこがうまくいくか、いかないかの分かれ目のように思う。いまだに日本には、道が狭いとか少ないとかで悲観的に嘆いて何もしない若者がいる。道は作るものなのだ。作った道には、そのあとたくさんの人が通る。へこたれないことだ。
ともにがんばろう、若者たちよ、と、まじめに思う。