いろんな人と率直な話していると、相手の話をあまり聞かなかったり、自慢ばかりをしたりする、困った人が、一定量いるものだ。また、そんなに極端ではなくても、話をしていて、心を閉ざしている人もいる。ほんの少しの"わだかまり"だったりするのだが。
ここで対象としたいのは、後者の方である。
僕はそういった人たちに、無理やり感のない、「承認」を与えることにしている。
たとえば、「チャレンジしてみろよ」よりも、「お前のその才能を無駄にせず、チャレンジしてみろよ」の方が、その人に染み込み、響くのだ。
自分に自信がない人は、活躍している人が眩しすぎて直視できないし、充実している人に対しても素直に認められないことがある。
それに真面目な人ほど、自分自身を規律する上で、あまり自信を持たないようにしている節がある。しかしながら、それではいつまでたっても、その人のポテンシャルが引き出されない。
さわやかな絶対的自信は必要である。プロスポーツ選手が持っているようなものだ。他人を不快にされない、むしろ楽しくさせたり、奮い立たせたりする、内側からみなぎるエネルギー。自分自身に対する希望。結果を求める期待ではなく、天井しらずの自由な希望。それを目指そう。
もともと、自分自身に絶対的な自信を持っている人へはこんな気遣いは不要なのだが、多くの一般的な人間はなかなか自分に自信を持てないものであるし、常に持っていることは難しいことも知っている。
他者からの承認があると、心がほぐれ、本音も出てくる。活動的にもなる。相手も認め易くなり、好循環が生まれる。
まあ一つ注意点といえば、これを利用した詐欺や宗教勧誘があるので気をつけなくてはいけないということだろうか。
自分を育てるのは、第一に、まず自分自身なのだ。これは、これからの未来で、自立した個の繋がりを目指す上で、絶対的なルールその1である。