人間関係の基準 | 1丁目住人のブログ

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年末から新年にかけて、古い友人と会った。ラグビーをやっていた頃の友人、大学の友人、地元が同じ友人、などなど。

今まで僕は、明示的に意図して、この人と付き合おうとか、この人は避けようという判断をしていなかったのだが、無意識のうちに、明確にその基準はできてしまっていることに気づいた。

それは、その人を尊敬しているかしていないかではなく、価値観が似ているか似ていないかでもなく、好きか嫌いかでもなく、お互いを高めあえるかあえないかでもなく、得となるか損となるかでもなく、「ミッションが同じか同じではないか」、なのである。

つまり、たとえ、その人が嫌いでも今現在の僕の"生きてゆく道"とオーバーラップしている場合は会わなければとも思うし、仮にその人のことを好きだったり尊敬していても、道が違ければ会うことは、年に一回の忘年会くらいしかないのである。

加えて言えば、会社に勤めている人は当然、付き合いが多くなることは当たり前のことだが、皆が同種のミッションを持っているとは限らない。同一の夢を持っているように思えるサッカー選手にでだってさえ、それぞれ異なったミッション=自分の命の使い方を思い描いているはずだ。むしろ、そういう強くて自立した個の集団であるからこそ、プロであるように思う。

ミッションとは、個人で創って、背負っていくべきものだ。なので、他の人と一緒なことは、原理的にあり得ない。

よって、付き合っている人たちが去年とほとんど同じな場合、己のミッションに対して本当に忠実に、歩めているのか、疑う必要がある。なぜなら、人間関係は、今までに述べた個人のミッションの進行具合の従属関数であるからである。

人間関係は、本来、自分の道を歩み出した時からどんどん変わってゆくべきものだ。変化を恐れ、拒んだら、周囲の環境は固定化する。

中には、人との交流を断つことが出来ない人がいる。しかし、僕は思う。自分の道を決意し、その時その時の人間関係が変化するのを恐れずに歩んでいれば、いずれ、自分が尊敬したり好きだったりする、自分とは違う道を歩んでいる人たちと交差点で会うことがあるはずであると。それも、互いにレベルアップをした状態で、何回も。それは、人生の大きな醍醐味ともいえるほと、楽しいことだと思う。

ちなみに、損得勘定だけで人と付き合っていると、本当の人間関係は生まれない。それは僕にとって、まったく無意味であり損となるものなのだ。だから、僕は損得では人と繋がらないようにしている。

人と出会うということは、いつの日か別れがその後にあるということと同じであり、いわば、出会いと別れはセットでしか流通が許されていない商品なのである。

そんなわけで、自分の魂に正直になり、人とのご縁は天に任せ、その分、己の道をまっすぐ進むために気を強く持ち、がんばってゆこうと、気持ちを新たにした、年初でした。

みなさまにとっても、今年がみなさまのそれぞれのミッションの前進の年であるよう、お祈りいたします。

そして、たまにどこかの交差点でお会いいたしましょう。