生産的 | 1丁目住人のブログ

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【引用】
池田信夫:---日本の最大の問題は、偏差値の高い人が役所とか銀行とか大学とか、非生産的な仕事をしていることです。それは、そういう大組織で仕事をするしかなかったという20世紀型の社会で、本当は個人ベースで自由にやったほうが生産性も高いし精神衛生にもいいんだけど、日本社会のしくみが20世紀型にできているので、途中で抜けられない。---

これは全くその通りであり、企業勤めする若い野心家たちは、肝に銘じなければいけない話である。

学生の頃はアクティブで優秀だったのに、社会にでて、斜陽産業の伝統的な大企業に入り、劣化してしまう人がいる。本人に自覚がありうずうずしている人ももちろんいて、その方がむしろストレスもりもりで精神衛生は良くないかもしれないが、僕からすると健全で、大多数が本人が思っている以上に、自分が非常に保守的な社会人となっていることに気づかないのである。長い間、同一の環境にいるということは、それほど、その人の野性味(=死に向かいながら瞬間瞬間の覚悟を決めて生きること)を奪う。飼いならされるとはそのことだ。新人社会人として離陸したのに、いつのまにか実質着陸したような安定フライトに無意識のまま引きづり込まれてしまう。上記の僕の勝手に定義する、この”野性味”が失われないのであれば、ブラック企業に勤めることだってまんざらではない。

結局、振り返ると、ぼくが昔からベンチャーベンチャーなんて言って、世界の色んな起業家にたくさん会って、色んな環境で働いてみて、結局そういう道に進んだのもそういう大人になりたくなかったからなのであるし、6、7年前にあった社会のベンチャー熱がとっくにさめ、マザーズなどの新興市場の新規IPO数も両手で数えるばかりの昨今では、ベンチャーと発言するのもさぶい感もあるし、「いや正式にはスタートアップだよ」なんて言われかねないのだが、やはり僕は、30歳を目前にして、青臭いベンチャー人生を送りたいのだと思う。

いわゆる、金持ち、時間持ちになりたい、とかではなく、社会の真に求めているものを提供できるスキームを作る。我欲をエンジンにしてしまうと、今の冷えきった日本や先進国社会では誰もサポートしてくれないだろうし、巧く隠せたりお化粧したところで、お客様や世の中が求めているものを提供するという点でぶれて失敗するのがオチだろう。ここは大事なポイントで、自分の魂のレベルが理想に反映されてしまう。(これは別の機会にまた見解をまとめてみるとしよう)

生産的な仕事をするということ。それは、文字通り、ただ生産をすることではない。自分が置かれた立場において、消費する以上に生産をするということだ。お金の面だけではなく、すべてにおいて。

「人間は立場で生きる」

これは、司馬遼太郎の小説、「峠・上」の中で、“越後の竜”といわれた長岡藩筆頭家老、河井継之助が言うせりふである。彼は非常に武・政治・行政とあらゆる能力があり、一国のリーダーにもなれる腕前の持ち主だったが、彼は生涯、生まれた長岡藩にこだわり、長岡藩をスイスのような永世中立国にしよう企てて、薩長に目をつけられて自滅した、とても愉快なお人である。この小説を21歳のときに読んでから、このせりふが忘れられない。

それぞれの立場において、自分の魂の生きたい方向に、生産的に進む。まあこうやって結論すると、いたって変哲もないのだが、日々色々あるなかで、胸に秘めなくてはいけないことは、それだけな気もする。