「夫婦別姓」の最適解 相続権 扶養 なぜ結婚しなければ 結婚の必要性 結婚しない | ЯαYの日記

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信なくば立たず

 夫婦別姓については2015年12月15日から3回に分けて記事を書きました。
 その時の主張は「(そもそも)結婚=名字の統一」でした。根拠は「名字は会社名と同じ」だからです。
 一つの集団として存在するならば、名称は統一されるのは当然です。三菱UFJ銀行という会社がありまして、三菱銀行とUFJ銀行はかつては別会社でしたが、お互いの銀行員が元会社をそれぞれ名乗る事は社会的に許されません。それは「家族」という集団でも同様です。
 逆に家族が一つの集団で無いならば、結婚制度そのものが必要ありません。付き合いの延長線上で同棲してるのと同じだからです。同棲していて片方或いは双方に連れ子が居る状況は法的には家族じゃ無いです。でも本人達は家族的一体感を持っていて何ら問題はありません。姓を統一するの嫌な人はそれで済む話です。

 それを態々法律で「家族」だと承認して貰って、更に色んな人に「結婚しました」とアピールするなら、それはもう社会的な組織なんです。同棲と違って別々の名字を名乗るなど許されません。
 
 しかしもう少し実務レベルでの話も必要だと感じてました。
 なぜなら夫婦別姓についてはまず「名字を変えたくなければ結婚しないという選択肢はないの?」という実務的な問いに答える必要があるからです。
 そんな単純な話なのになぜ「結婚してるけど名字は別」なんて話になってしまってるのか、そこの説明をしつつ、実務レベルで夫婦別姓についての最終結論を述べさせて頂きます。

 事実婚で夫婦であり子供もいるという状態で、何ら問題なく暮らしている人は普通にいます。
 それなのになぜ結婚しないといけないのかというと、結婚に伴う「利権」があるからです。大きく2つあって「相続権」と「扶養・被扶養権(という言い方をさせて頂きます)」です。離婚時の財産請求権もありますが、ここでの話では相続権に含まれると見做して下さい。
 なぜ利権なのかといいますと、配偶者相続権が生じたからといって(自分の親との)親子間相続権が消滅する事は無いからです。親からも配偶者からも相続財産が貰えちゃう。結婚は非常にお得、つまり「利権」が生じるという事です。

 「扶養・被扶養」も同様です。結婚前は単なる恋人同士だったのが、結婚後は扶養者は税金控除が受けられて被扶養者は手厚い社会補償も付いて来てとてもお得です。

 だから夫婦間で同姓でも良いし別姓でも良い「選択制の自由」というより、結婚制度そのものに選択圧があるという事になります。
 普通に考えて、別姓という選択肢を与えるより結婚の選択圧を排除する方が筋です。そうでないと単に法律が複雑になるだけだからです。法律が複雑になって得するのは弁護士だけです。だから弁護士に夫婦別姓支持者が多いのです。
 更に今の制度ですと独身者が一方的に不利です。その不利の是正がまず先でもあります。

 相続権についてはせめて結婚と同時に親子間の相続権を失うように法改正すべきでしょう。近代社会に於いて結婚は「ビジネス」なので、選択肢というのは名字なんかではなく本来こういう所で生じるべきです。
 扶養・被扶養権についてですが、独立した大人同士の片方が被扶養者っておかしくないですか?
 昔と違って今では女性でも働ける職場は沢山ありますし、何なら女性社員しか居ない会社も沢山あります(本来性別を採用条件にしてはいけない筈ですが)。
 もうそろそろ税金の優遇を受けたり、片方が養って貰うという立場は止めませんかという話です。
 つまり配偶者扶養という利権の排除です。
 
 ではなぜ配偶者同士で扶養・被扶養関係が存在してるのか説明します。

 昔は子沢山で子育てに専念しないといけない期間が長い上に家業まで手伝うレベルで、結婚をして妻になるという事はほぼ今で言う労働者として就職するようなものでした。だから被雇用者なのですが、雇用主は会社ではないので言葉を変えて扶養・被扶養関係としただけです。

 更には女性の職業も限られていて社会進出が難しく、今で言う就職が結婚しか無かった場合も沢山あったようです。だから結婚と扶養・被扶養関係というのは分かち難く結びついていました。というか結婚がそういったものだったから、後追い的に相続権と扶養・被扶養権を結婚制度と紐付きにしたのです(それらの権利は元々は無かった)。

 だからそれらの権利は欲しいけど、職場である事業所(つまり「家」)は解体するというのは論理矛盾なのです。なぜなら事業所の名称を統一しない(夫婦別姓)という事は、もうそれは一つの組織として識別しないという事ですから。違いますかね?

 

 上記のまとめ&結論です。

 昔は結婚した妻が家庭でやる仕事(子育てを含む)が社会に出て働けない位に非常に多く、しかし夫と違って労働者としての権利が全く無かったので、収入的な部分での権利は相続権、世帯収入自体も妻の労働を人件費と考えて控除対象にしました。

 しかし現在では家庭でやる妻の仕事が激減し、更に減った分を社会に出て働くようになりました(妻もフルタイム労働で完全平等夫婦も少なくありません)。妻の労働者としての権利は家庭ではなく勤め先が保証する時代になったという訳です。つまり家と労働の分離です。

 更に今まで家庭内での仕事だった子育てが、もの凄く増えた離婚によって結婚制度とは関係の無いものになっています。これは家と子育ての分離です。

 今まで結婚と労働や子育てが結び付いて「相続権」「扶養・被扶養」という概念が成立してたのですが、それらがもう分離されていて更に分離が進んで行く状況になっています。

 だから結婚制度と相続や扶養はもう切っても問題無いという事になります。で、それらの結婚制度と紐付きの利権が無くなれば、籍を入れる意味はほぼ無くなり、名字を変えたくなければ籍を入れなければ良いだけという普通の話になります。

 

 特に結婚制度と子育ての紐付きは早く切って、シングルでも子育てに不利が無いように制度を整えるのが大切です。シングルはパートナーも居ない上に、扶養・被扶養権なども全く無い所で子育てしないといけません。
 既婚・非既婚関係無く子供がいる場合には平等に法的優遇措置が与えられるべきです。今の制度だと子持ちは結婚が前提の設計がされていて、シングルが不利過ぎます。
 
 ここまで議論を進めれば「夫婦別姓」など結婚制度の本質では無いという事になります。
 例えば上記で提案した相続権の選択時に、自分の親の財産と結婚相手の財産に於いて後者の方が断然大きかったとします。
 これって正に「選択制の自由」で、財産の少ない自分の親からの相続権を選び、籍を入れない(名字を変えない)自由があります。
 逆に財産の多い配偶者の相続権を選んで籍を入れる選択肢もありますが、それを選んで更に名字まで選べるのを「自由」っていうのですか?という事です。
 
 僕の夫婦別姓に対する最適解は上記となります。
 特に法律も制度もなるべくシンプルかつ論理的に運用されるべきだと考えています。