シネレンズとオールドレンズで遊ぶ! -7ページ目

シネレンズとオールドレンズで遊ぶ!

カメラマンヨッピーのブログ。シネレンズやオールドレンズなどのマニュアルフォーカスレンズをミラーレスカメラに装着して遊び、試写を載せていきます。カメラ界でまことしやかに語られているうわさも再考察していきます。

念願のNOKTONが到着した。

Voigtlanderが1951年に発売したプロミネント用の交換レンズである。

PENに似合うレンズです。

銀色の胴鏡はドイツのクラフトマンシップあふれるとても精緻なつくりです。

後玉はF1.5のレンズとは思えないほど小さいです。

デッケルマウントの場合レンズシャッターになるためレンズシャッターの口径に限界があり、後玉をこれ以上大きくすることが出来ない。

その制約の中でこの明るさのレンズを設計してしまうところにA.W.トロニエのレンズ設計者としての意地を感じる。


1951年といえばドイツのカメラ技術が最高潮の時代になる。


世界中のカメラがドイツに追いつくために必死だったがそれをあざ笑うかのように超絶設計のカメラが続々と誕生していく。


このプロミネントも超絶技術によって作られたカメラのひとつである。


かつてCONTAXがライカの機構をまねることなく新しいカメラを作ったように、プロミネントも新しい機構で作られたカメラであった。


レンズ交換式のレンズシャッターレンジファインダーカメラ。

個々の技術は確立していたもののそれを組み合わせることは非常に難易度の高い設計であった。

なぜあえてこの組み合わせでカメラを作ろうとしたかは分からないが、それを実現してしまうVoigtlanderの技術はすごいものがある。


基本設計的に多くの弱点を抱えてしまっていたが、それをことごとく高い技術と工作精度でクリアしていく。


レンズシャッターの口径からくるレンズ口径の制約もそのひとつといえる。


この時代日本は二眼レフやスプリングカメラ、バルナック型ライカタイプのカメラの生産を行っているが、これは日本の生産力的にそれ以上のものを作るのが困難であったという側面もあると思われる。


言い方を変えると、布幕式のライカタイプのカメラが当時の日本の技術の限界だったといえる。


その証拠に1954年に発売されたM型に追随した日本メーカーはほとんどなかった。


もちろんM型より数段複雑なプロミネントに関しては言うまでもない。


このプロミネントのビハインドシャッターはデッケルマウントとして昇華されていくがあまり普及はしなかった。



ちなみに近年COSINAからNOKTON名でレンズが発売されているが、これは復刻ではなく新設計になる。1999年に発売された初代と2013年に発売された2代目がある。

2代目はLマウントのライカ用NOKTONを再現しています。僕もたまに見間違うくらいよく出来てます。



COSINA NOKTON 50mm F1.5 VM

Voigtlander NOKTON 50mm F1.5 L-Mount(Original)

Voigtlander NOKTON 50mm F1.5 L-Mount(Original)

レンズの設計思想や精度ももちろん、外観の復刻具合もCOSINAのレンズは徹底してます。


レンズ構成はNOKTONとULTRONの間といった感じでしょうか?







もっともコンピューター設計なので各収差は最適化されていると思います。

赤い色のレンズも非球面になっています。


CosinaのNOKTONを所有していないので詳しいことは分かりませんが、いろいろな試写を拝見すると特に開放付近での写りは少しクラシカルな感じがします。


ふわっと溶け込むようなボケではなく少しざわついた球面収差を少し残したぐるっとしたボケがとても好印象です。


ピントがシャープで写りがクラシカルで外観がカッコいい。いいレンズのオーラを感じます(笑)

機会があったら使ってみたいです。


実は今回Prominent NOKTONは到着して間もなくで試写がありません。

手元にある2代目Xenon Ultron とともに試写をして近々アップしようと思います。

















2014年3月12日 記事に誤りがあったため改訂を行いました。書き換えた場所は青で表記してあります。


 
前回はトリプレッとからゾナーへと発展する過程を書きました。


1893年にトリプレットが登場しレンズを増やして収差を解決するより枚数を減らしてシャープな像を得るほうが有利であることが分かった。


イギリス勢のトリプレットに対抗すべくドイツのルドルフがテッサーを発明するとテッサーの出来の良さも手伝いトリプレットやテッサータイプレンズがレンズ界の主役に踊りでる。


その裏でベルテレをはじめとするレンズ設計者はトリプレットやテッサータイプの限界であるf2.8という開放値や諸収差補正を可能にする新しいレンズ設計に取り組んでいた。


その過程でエルノスターやスピーディック、ゾナーなどが誕生したのは前回述べたとおりである。


さらにその裏で密かに胎動し始めているレンズがあった。それがガウスタイプである。


1897年にツアイスのパウロ・ルドルフにより発明されたプラナーはダブルガウスの祖である。。ダブルガウスの祖『プラナー』であるが、4郡6枚で8面もの空気接触面を持つためコントラストの低下が避けられず、なおかつコマ収差をキャンセルすることが出来なかったため市場での反応は芳しくなかった。

構成は4郡6枚で完全対称のものと非対称のものが存在していた。市場での反応は芳しくなかったと書かれた文献もあるが特に非対称のものの写りはすばらしく、普及しなかった理由が見つからないくらい完成度の高いレンズである。ただし対称型のほうは空気接触面の多さと、この構成の泣き所であるコマ収差からくるフレアによりコントラストが低くなりがちであった。

おそらく設計のシビアさから撮影時の光りのコントロールに細心の注意が必要だったため、より使用が安易なレンズの方に人気が移ったのではないかと考えられる。


絞りを中心にレンズを対称型に配置して収差を相殺しつつ各収差補正と色消しを厳密に行える画期的な基礎設計であった。が理論は正しくとも現実的な技術の壁に阻まれた。


レンズ設計者の間でもプラナーの失敗を踏まえレンズは3郡までといった流れを生み出していた。


理由では定かではないがこの時代にプラナーに追随するレンズはあまりなかったと見られる。


その後20年以上忘れられていたこの設計が再度注目され始めたのは1920年のことである。


テーラーホブソンのH.W.リーはこのPlanarの対象性を崩すことでガウスタイプレンズの各収差を改善できることに着目はプラナータイプの有用性に着目しOPIC(オピック)レンズを発明する。



このレンズの評判はなかなかよく、シュナイダーのA.WトロニエやツアイスのW.W.メルテなど若いレンズ設計者はこの設計に追随しそれぞれ1925年にXenon(クセノン)を1927年にBiotar(ビオター)などを設計した。特にメルテのビオターはF1.4という当時としてはかなり明るいものであった。






A.W.トロニエは1934年に2群目を分離した改良版Xenonを設計した。2群目の分離により対称性を崩し

、コマ収差を補正し増加した屈折面の自由度を使いOPICより更なる収差補正を実現した。

BIotarなどに見られるぐるぐるボケ(非点収差)などの問題もクリアーしている。

このレンズ解像度、収差ともに当時としてはかなり先進的な設計であったが、マーケット的にはあまり成功していない。当時の人気としてはBiotarに軍配が上がる。

しかしガウスタイプの宿敵であるコマ収差封じにある程度成功していた点は特筆すべきである。

コマ収差封じはライカでは初代ズミクロンによってなされているがそれは20年近く後の1953年のことである。ズミクロンで有名な空気レンズも1934年にはXenonで実践されていた。

国内ではキャノンSerenar50mmF1.8によってコマ退治がなされているがこちらも1951年のことである。セレナーの場合は対称性を崩すことで張り合わせはそのままである。

トロニエにとって不幸だったのは当時まだコーティング技術がなかったこととフィルムの性能が発展途上だったことであろう。コーティング技術がなかったためレンズ設計のメリットが空気接触面の増大のデメリットの影に薄れてしまったことが考えられる。

一般のユーザーにとってレンズ設計は未知の領域であり、レンズの良し悪しは写りと評判がすべてであったであろうことは想像がつく。当時の感光材料ではXenonの先進性を表現できなかった可能性は否めない。


ちなみに個人的な感想になるが2代目XenonとBiotar,Serenar,Sumitar,Summicronを使ってみた結果XenonとBiotarとSummicronの性能が突出していた。ちなみにBiotarは1948年以降のの戦後型、Summicronは1953年発売である。


ガウスタイプはこうして発展していくが1920年代のスターはその名の通りエルノスターである。ベルテレにより驚異的なスピードで進化したエルノスターは1925年にはF1.0の明るさを達成する。このレンズは映像用であったがスチール用でもF1.8のレンズをリリースしていた。



ベルテが快進撃を続けていた1920年代、ドイツでは写真業界の再編が進んでいた。第一次世界大戦の敗戦により多額の賠償金が経済を圧迫していたドイツでは、対外競争力を強化しカメラ業界の存続を図るためメーカーを超えた大連合が進んでいた。


1926年にカールツアイス財団が主導しイカ、コンテッサネッテル、ゲルツ、エルネマンが合併してツアイス・イコンとなる。ツアイスイコン内で生産調整を行ったりラインナップを調整することにより競争力を保持しドイツ最大のカメラメーカーとなった。


この合併によりベルテレもカールツアイスの一員となる。この移動に伴いエルネマンのエルノスターは改良されて1931年にツァイスのゾナーとなる。はじめF2であったゾナーは改良されて1932年にF1.5となる。

ちなみにゾナーというレンズネームは合併によりコンテッサネッテルからもたらされてそうだ。




ドイツの巨大カメラメーカーとなったツアイス・イコンは合併により生じたラインナップの重複を解消しつつオリジナルブランドであるコンタックスを立ち上げる。F2とF1.5の2本のゾナーはこのコンタックスの標準レンズに抜擢される。一方初期のラインナップにはプラナーは入っていない。1954年に35mmF3..5として登場するが、ビオゴン35mmF2.8の廉価版としてのラインナップであった。しかもレンズ構成はダブルガウスではなくXenotarやBiometarに似た5枚玉を前後ひっくり返したような構成である。


Biogonと比べると圧倒的にシンプルな構成であることが分かる。

ちなみにBiometarの構成図

前後ひっくり返すとPlanar35mmF3.5にそっくりである。


おそらくダブルガウス構成はBiotarがあるためPlanarはそれ以外の変形ダブルウス構成に使われていたようだ。ちなみにRolleiflex用のPlanarも変形ガウスタイプである。




1932年に発売されて以来市販の35mmカメラの交換レンズとしてはもっとも明るいレンズとして君臨してきたCONTAX用Sonnar 50mm F1.5であるが、4年後の1936年についにLEICA陣営もF1.5のレンズをリリースしてきた。それがダブルガウス型のLeitz Xenon 5cm F1.5だ。設計したのは1925年にXenonを設計したA.W.トロニエである。





コンタックスとライカの看板を背負った戦いはゾナータイプとダブルガウスレンズの戦いでもあった。

王者ゾナーに雑草ダブルガウスが挑んだ戦いは、ゾナーの圧勝に終わる。

3郡7枚で6面しか空気接触面がないゾナーに対し5郡7枚のプラナーは10面もの空気接触面を持ち、そもそも勝ち目がなかった。しかもこの時代のガウスタイプはコマ収差の対策が不十分で開放付近でフレアを生じやすかった。





赤い部分が空気接触面。

光がこの部分を通るたびに透過光の数%が反射となりレンズ内反射となる。レンズ内反射はコントラスト低下を生む。


Leitz Xenon 5cm F1.5はF1.5という口径比は達成していたものの設計、生産技術ともにまだ成熟していなかった。


Planarをはじめとするダブルガウスの苦節の道のりはまだ続くのである。






レンズ進化表4


出展:ルドルフ・キングスレーク著 『 写真レンズの歴史』 アサヒソノラマ

    吉田正太郎著 『カメラマンのための写真レンズの科学』 地人書館

    ksmt.com:http://www.ksmt.com/

    無一居: http://www.photo-china.net/

   M42 MOUNT SPIRAL:トロニエの魔鏡1



Special Thanks:Spiralさん




私事で恐縮ですが、


『CAMERA fan』 さんの「WORKS&EQUIPMENT」 という特集で紹介していただきました。


僕のカメラマンになるまでの経緯や愛用しているレンズ、ライティング機材等が載っています。


よかったらご一読いただけるとうれしいです。


Camera fan 「WORKS&EQUIPMENT」

http://camerafan.jp/cc.php?i=246







前回はトリプレッとからゾナーへと発展する過程を書きました。


1893年にトリプレットが登場しレンズを増やして収差を解決するより枚数を減らしてシャープな像を得るほうが有利であることが分かった。


イギリス勢のトリプレットに対抗すべくドイツのルドルフがテッサーを発明するとテッサーの出来の良さも手伝いトリプレットやテッサータイプレンズがレンズ界の主役に踊りでる。


その裏でベルテレをはじめとするレンズ設計者はトリプレットやテッサータイプの限界であるf2.8という開放値や諸収差補正を可能にする新しいレンズ設計に取り組んでいた。


その過程でエルノスターやスピーディック、ゾナーなどが誕生したのは前回述べたとおりである。


さらにその裏で密かに胎動し始めているレンズがあった。それがガウスタイプである。


1897年にツアイスのパウロ・ルドルフにより発明されたダブルガウスの祖『プラナー』であるが、4郡6枚で8面もの空気接触面を持つためコントラストの低下が避けられず、なおかつコマ収差をキャンセルすることが出来なかったため市場での反応は芳しくなかった。


絞りを中心にレンズを対称型に配置して収差を相殺しつつ各収差補正と色消しを厳密に行える画期的な基礎設計であったが理論は正しくとも現実的な技術の壁に阻まれた。


レンズ設計者の間でもプラナーの失敗を踏まえレンズは3郡までといった流れを生み出していた。


その後20年以上忘れられていたこの設計が再度注目され始めたのは1920年のことである。


テーラーホブソンのH.W.リーはこのPlanarの対象性を崩すことでガウスタイプレンズの各収差を改善できることに着目しOPIC(オピック)レンズを発明する。


このレンズの評判はなかなかよく、シュナイダーのA.WトロニエやツアイスのW.W.メルテなど若いレンズ設計者はこの設計に追随しそれぞれ1925年にXenon(クセノン)を1927年にBiotar(ビオター)などを設計した。特にメルテのビオターはF1.4という当時としてはかなり明るいものであった。





ガウスタイプはこうして発展していくが1920年代のスターはその名の通りエルノスターである。ベルテレにより驚異的なスピードで進化したエルノスターは1925年にはF1.0の明るさを達成する。このレンズは映像用であったがスチール用でもF1.8のレンズをリリースしていた。



ベルテが快進撃を続けていた1920年代、ドイツでは写真業界の再編が進んでいた。第一次世界大戦の敗戦により多額の賠償金が経済を圧迫していたドイツでは、対外競争力を強化しカメラ業界の存続を図るためメーカーを超えた大連合が進んでいた。


1926年にカールツアイス財団が主導しイカ、コンテッサネッテル、ゲルツ、エルネマンが合併してツアイス・イコンとなる。ツアイスイコン内で生産調整を行ったりラインナップを調整することにより競争力を保持しドイツ最大のカメラメーカーとなった。


この合併によりベルテレもカールツアイスの一員となる。この移動に伴いエルネマンのエルノスターは改良されて1931年にツァイスのゾナーとなる。はじめF2であったゾナーは改良されて1932年にF1.5となる。

ちなみにゾナーというレンズネームは合併によりコンテッサネッテルからもたらされてそうだ。




ドイツの巨大カメラメーカーとなったツアイス・イコンは合併により生じたラインナップの重複を解消しつつオリジナルブランドであるコンタックスを立ち上げる。F2とF1.5の2本のゾナーはこのコンタックスの標準レンズに抜擢される。一方初期のラインナップにはプラナーは入っていない。1954年に35mmF3..5として登場するが、ビオゴン35mmF2.8の廉価版としてのラインナップであった。しかもレンズ構成はダブルガウスではなくXenotarやBiometarに似た5枚玉を前後ひっくり返したような構成である。


Biogonと比べると圧倒的にシンプルな構成であることが分かる。

ちなみにBiometarの構成図

前後ひっくり返すとPlanar35mmF3.5にそっくりである。


おそらくダブルガウス構成はBiotarがあるためPlanarはそれ以外の変形ダブルウス構成に使われていたようだ。ちなみにRolleiflex用のPlanarも変形ガウスタイプである。




1932年に発売されて以来市販の35mmカメラの交換レンズとしてはもっとも明るいレンズとして君臨してきたCONTAX用Sonnar 50mm F1.5であるが、4年後の1936年についにLEICA陣営もF1.5のレンズをリリースしてきた。それがダブルガウス型のLeitz Xenon 5cm F1.5だ。設計したのは1925年にXenonを設計したA.W.トロニエである。





コンタックスとライカの看板を背負った戦いはゾナータイプとダブルガウスレンズの戦いでもあった。

王者ゾナーに雑草ダブルガウスが挑んだ戦いは、ゾナーの圧勝に終わる。

3郡7枚で6面しか空気接触面がないゾナーに対し5郡7枚のプラナーは10面もの空気接触面を持ち、そもそも勝ち目がなかった。しかもこの時代のガウスタイプはコマ収差の対策が不十分で開放付近でフレアを生じやすかった。





赤い部分が空気接触面。

光がこの部分を通るたびに透過光の数%が反射となりレンズ内反射となる。レンズ内反射はコントラスト低下を生む。


Leitz Xenon 5cm F1.5はF1.5という口径比は達成していたものの設計、生産技術ともにまだ成熟していなかった。


Planarをはじめとするダブルガウスの苦節の道のりはまだ続くのである。






レンズ進化表4

東京に13年ぶりの雪が降った日はちょうど写真のワークショップの日だった。


愛用のE-P3に新調したPO3-3Mをつけ、カバンにはCinegon20mmも忍ばせてでかけた。


PO3-3M
日常の景色が一変していた。
PO3-3M

雪解けの雫
PO3-3M
日差しとハレーション
PO3-3M



春の気配

Cinegon20mm

Cinegonを使い少しいたずら
Cinegon20mm

広いレンズ前面に水滴をつけて
PO3-3M

PO3-3M

Cinegon20mm

雪の魔法で日常の風景が全く違う表情を見せてくれました。



今回改めてPO3-3Mの奥深さを味わいました。

超高解像度レンズでありながらファンタジックなハレーションも持ち合わせています。
PO3-3M&ドラマチックトーン
魅惑のレンズです。



今回は普段と違う趣向で書いてみたいと思います。


知人に依頼されてよくオールドレンズ探しをするのですが、そのときによく勧めるレンズをコストパフォーマンスという視点からランキング化してみました。


ただし、これは僕の主観に基いたものなので科学的根拠や裏づけはありません。


ご愛嬌ということで暇つぶし的にご覧ください。




第五位 PENTACON 50mm F1.8     中古相場 3000円~15000円



安い、写る、寄れるこの三拍子そろった優秀なレンズです。しかもCarlZeiss Jenaの流れを汲むPENTACONのレンズでMade in WestGermany。


レンズの設計はキノプラズマートで有名なHugoMeyer(MeyerOptik)のオレストンというレンズと同じで、生産するペンタコンは東ドイツのCarlZeissJenaを母体とする会社です。


このレンズ名門の流れをくむレンズなのですが、知名度のせいか格安で流通しています。


そしてこのレンズの最大の特徴は最短撮影距離が33cmと短い点です。


実際使ってみるとややマクロレンズといった感じで非常に使いやすいです。


写りはMeyer Optikらしいやや軟調な写り。発色重視なら後期のMultiCorted版がお勧め。


オールドレンズらしさがいいなら写真のような前期のタイプがお勧めです。


前期型にはエルノスターで有名なエルネマンのエルネマン塔の刻印ありレンズボディーもゼブラ柄でおしゃれです。




第4位 Helios-44 58mmF2       中古相場3000円~15000円




こちらはソビエト社会主義連邦製のHelios-44。CarlZeissのBiotarのコピーとして有名なレンズ。


4位どまりなのは本家のBiotarの価格が落ちてきてお得感がなくなったから。


これはロシアレンズ全般に言えることです。ちなみにBiotarの価格はエキザクタマウントなら9000円~といった感じです。


写りは当たり玉にあたればかなりいいです。シャープネスが高く典型的なドイツ玉といった感じです。ロシアレンズですけど・・・。


その反面ボケはややうるさく開放付近で円周状のぐるぐるボケを生じるので好き嫌いが分かれます。


あとソビエトレンズにありがちな製品のムラという問題もあるため試写してからの購入をお勧めします。


このレンズも後期になるとマルチコーティング化されます。




第3位  Takumar 50mm F1.4        中古相場3000円~15000円


こちらは言わずと知れたペンタックス タクマーレンズ。左が前期8枚玉。刻印の順番とフォントが微妙に違います。


一時期はF1.8とF1.4の間に価格差があったが、現在はどちらもジャンクレンズの常連となっている。


ジャンク扱いされる原因はレンズの黄変。レンズに使われているトリウムが変色して起こる現象です。


ちなみにトリウムは放射性元素で現在も放射線を出しています。俗に言うアトムレンズです。


SMC Takumarになるとトリウムを使わなくなったおかげで黄変していません。


ただ黄変はデジタルで使う分にはそこまで写りに影響ありません。


写りは柔らかく万人受けする感じです。オールドレンズらしさもあるので入門にはもってこいです。


ただ解像力はそこそこなので使い慣れてくると少し物足りなさを感じるかも知れません。


M42マウントなのでキャノンの一眼レフなどでも使えますがF1.4の前期はフルサイズでミラー干渉起こします。


ちなみに前期は1964年の1年だけ発売された8枚構成のレア玉です。


前後期で写りはあまり変わらないと思のですが、以前買った前期型のレンズは非常によく写りました。シャープネスもかなり高かったです。さらにその前に買った前期型はいまいちだったのでたぶん個体差だと思います。


ジャンクコーナーで手に入るレンズとしてはかなり写ります。本数が多い故安かったのですが最近ではだいぶ数が減ってきました。




第2位 CANON FD 55mm F1.2 S.S.C   中古相場15000円~35000円




コストパフォーマンスという意味ではこのレンズは要チェックです。F1.2の明るさで2万円前後で買えるレンズは数えるほどしかありません。


その中でもこのレンズはかなり秀逸です。僕も過去に持っていました。


F1.2となるとボケも写りも異次元です。被写体のピントのあった部分以外は背景に溶け込んでいくようなボケを見せます。


このレンズは開放だと独特のハロを生じぼんやりなりますが、F1.4で解決しF2ではかなりシャープな写真が撮れます。


F2.8まで絞れば格上のレンズにも引けをとらない写りをします。


絞りを開ければアメージングなボケを楽しめます。それがこの値段で手に入るなら絶対に買いです。


安い理由はラインナップだと思います。この時代のキャノンはF1.2を連発して出してました。


FL 58mm F1.2

FL 55mm F1.2

FD 55mm F1.2 前期クローム枠

FD 55mm F1.2 AL

FD 55mm F1.2 S.S.C 後期マルチコーティング

FD 55mm F1.2 S.S.C AL

FD 55mm F1.2 Aspherical

NFD 50mm F1.2

NFD 50mm F1.2 L


FL 58mmから初のLレンズNFD50mmF2まで16年。この期間に9本も出してます。FDからNFDシリーズはわずか9年で7本。驚異的なペースです。


このラインナップの中でアスフェリカル(非球面)である


FD 55mm F1.2 AL

FD 55mm F1.2 S.S.C AL

FD 55mm F1.2 Aspherical

NFD 50mm F1.2 L


この4本はかなり高値で取引されています。


しかしアスフェリカルではないその他のレンズは比較的安価です。


特にNFD 50mmF1.2とFD 55mmF1.2 S.S.Cは生産技術が飛躍的に向上した後なのでクオリティーが高いのですが、非球面ではないため安価で変えます。


ところがこのレンズ唯一の弱点があります。重いことです(565g)。




Summicron 5cm F2 1st 沈胴   中古相場35000円~150000円

高いじゃないか!!という野次が飛んできそうです。


しかしながら一度手にとっていただけると分かると思います。


ずっしりとした質感、各稼動部のスムースな動き、外観の美しさ、そして何より開放からの妥協なきシャープネス。そんなレンズが5万台から選べる。夢のようです。


確かにプロトズミクロンやトリウム玉など非常に高価なコレクターズアイテムもありますが、通常のSummicronはかなりお手頃になってきました。


もちろん安くコンディションのよいレンズを探すのは大変ですが、探していれば必ず出てきます。このレンズ結構本数多いんです。


ほかの銘玉でこのくらい写るレンズだと確実に桁が上がります。


そしてミラーレス(特にPEN)ともよく似合います。



外に散歩に出るのが楽しみになります。


Summicronは選ぶのにコツがあります。


・前後のガラスがやわらかいので傷をチェックする。不自然にきれいなものは注意!


・外観よりピント精度の高いものを選ぶ


・レンズを止めているかに目ねじが不自然に傷ついていないかチェックする。


・沈胴部のヘタリをチェックする。


・安いMマウントのものを探す。


1番と2番は矛盾しているようですが、目的は同じです。それはなるべく適度にメンテナンスされたレンズを探すということです。

Summicroは昔から人気レンズであるため、メンテナンスやレンズ再研磨などを行われている確率が極めて高いです。業者の人にいわせるとオリジナルコンディションのSummicronなんて市場には出てこないと言われるほどです。

中には明らかに悪質なものもあります。たとえ悪意はなくとも表面のガラスがやわらかいSummicronは傷がつきやすく複数回研磨されていることも考えられます。

とても簡単なつくりのため全くの素人がレンズを空けることも考えられます。

Summicronは俗に空気レンズと呼ばれる微妙なレンズ間隔で組み立てられているのですが、その間隔が狂うと必ず開放時のピント精度が落ちます。レンズ間隔はスペーサーで調整されているので一度狂うとなかなか元に戻りません。

特にこの時代のドイツのレンズはクラフトマンシップの塊のようなものです。ガラスの溶解の関係で同じ部分のガラスでも微妙な収差の違いが生じます。こういった個体差のあるレンズを絶妙なバランスで組み合わせ最適化し、微調整を繰り返し組み立てています。そのためSummicronは違う個体から部品を持ってきても上手く取り付けられなかったり、ぴったりねじ位置が合わなかったりします。レンズもほかの個体のものを取り付けるとバランスが悪化します。でもこれらのことは外観からは分かりません。

さらに困ったことにSummicronはF2.8位まで絞るとコンディションに関係なくそこそこ写ってしまいます。

そういったことを考え合わせれると開放でピント精度のいい個体を探すことがいい個体を探す一番の方法であると思います。

そのため少し外観が悪く、多少傷がついていても、開放からピントがきて曇りのないレンズを選ぶことが大事です。最近では試写ができるお店も多いのでマウントとカメラを持ち込んでレンズ探しができます。試写も室内だけだと見えにくいクモリを見落としてしまうことがあるので可能であれば外で撮ってみるとよいでしょう。無限遠のチェックにもなります。

ただし外観の悪いレンズは売るときに安くなります。中古市場では外観がすべてだからです。



















シネレンズの醍醐味とは何か?


現代レンズでは味わえない、味、破綻、


その中でもプロッフェッショナル用シネレンズは究極の性能を実現するために作られたレンズである。


それゆえ光りは抑制されていない


例えるなら、リミッターを持たないレーシングカーのようなものである。

逆光ではハレーションを起こし、順光ではパリッと鮮明に


ある意味、人の目に忠実な再現をする


そのネイキッドな光りは時折牙をむく。


高い次元で結像していた画面がほんの数ミリ角度を変えた刹那


急激に崩壊したりする


そのスタンピードロデオのように荒れ狂う光りを乗りこなす


撮影者の経験と実力が試される


そして荒れ狂う光りを乗りこなしたときに全く新しい景色と出会う


破綻する直前の画面の中、肉眼では決して見ることのできない別世界


レンズごとにそれぞれ違う世界を垣間見る悦びはそのレンズを乗りこなした撮影者にしか味わうことができない。


そのスイートスポットを味わえる楽しみ


シネレンズ遊びの醍醐味がそこにあると思う。



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今回は北海をはさんでイギリス、大英帝国です。


あまり写真や映画のイメージがない国ですが、光学史ではかなり重要な国です。


まずはTaylr&Hobson社からいきます。



Taylor&Hobson(RANK Taylor&Hobson / Taylor,Taylor&Hobson)


1886年にテイラー兄弟により設立。当初の社名は『T.S and W.Taylor』であった。T.Sはトーマス・スミスの略、Wはウイリアムスの略。


その後Hobsonが加わり社名がTaylor.Taylor&Hobsonとなる。


1893年にCooke社のHarold Dennis Taylorが写真用のTripletレンズを発明。


しかしCooke社は当時写真用レンズの生産を行っていなかったために1894年からTaylor&Hobson社が生産、販売を行った。その際、Cooke社の発明であるためCooke Tripletとして発売された。


Cooke Tripleは3枚構成というシンプルな構成でありながら、サイデルの5収差をかなり修正することができた画期的なレンズであった。その反面生産は難しくシビアな生産技術が必要であった。


その後設計された航空レンズAviarはイギリス製レンズがドイツ製に劣らないことを証明した。


その後1920年にH.WリーはZeissのPlanarを非対称型にしたOPICを発明する。これによりコマ収差などガウスタイプレンズの弱点を大幅に改善しガウスタイプレンズの可能性を広げる。その後1930年に発明したSpeedpanchroは非常に好評で映画産業を代表するレンズとなる。


1940年代にイギリスの映画業界復活のために業界再編を行ったJ.アーサー・ランクのRANK Organizationの傘下に入ったためRANK Taylor&Hobsonとなりますが、その後Taylor&Hobsonに戻ります。


1998年に光学部門がCooke Opticsとして独立し、Taylor&Hobson社は測定機器専門の会社となり現在に至ります。


Taylor&Hobsonの特徴はレンズが使用される目的に合わせて妥協なく設計、製作されていることにある。そのためTaylor&Hobsonのレンズラインナップは決して多くないがいずれも後世に名を残す名レンズになっている。


主なラインナップは、


Cooke Triplet             スチール用3枚レンズ

Cooke Anastigmat          スチール用レンズ 

Cooke OPIC              スチール用レンズ

Cooke Aviar              航空写真用大判レンズ

Cooke Kinetal             16mmムービーレンズ(業務用)

Cooke Speedpanchro 35mmムービーレンズ(業務用)

Cooke Kinic   16mmムービーレンズ

Cooke Amotal 35mmスチールカメラ用レンズ(Reid用/Foton用)

Cooke Panchrotal 中望遠レンズ (Cマウント/Foton用)

Cooke Ivotar 8mm,16,, 35mmムービーレンズ用レンズ

Cooke Prime 35mmムービーレンズ(業務用/現行)

Cooke Largeformat    大判用スチールレンズ(コンバーチブル/ソフトフォーカス)

Cooke ORTAL TVレンズ
Cooke Anamorphic   アナモルフィックレンズ


歴史の長い会社なので探せばまだまだあります。がこのあたりで。

Technicolor専用のレンズなんかもあるそうです。


どのレンズも秀逸ですが価格もかなりのものです。

ただし価格の割にコンディションが悪いものもあるので購入の際には注意が必要です。




Ross


ロス社はあまり耳にしないメーカーですが、光学史では重要なメーカーです。


アンドリューロスにより1830年に創業。当初は顕微鏡用のレンズを生産していた。1840年にペッツバールのレンズが発表されると、写真用レンズの制作も始める。1941年に画家のヘンリー・コレンのためにF4の人物用レンズを設計する。このロスのコレンレンズは人物用レンズとしては成功しなかった。そのためアンドリューは写真用レンズの設計を息子のトマス・ロスと弟子のJ.Hダルメイヤーに任せた。J.H.ダルメイヤーはアンドリューロスにとても気に入られていて、彼の次女とも結婚した。つまりトマス・ロスとJ.H.ダルメイヤーは義理の兄弟にあたる。アンドリューの死後アンドリューの遺産を受け取った両者は袂を分かちトマスは会社を継ぎ、ダルメイヤーは自身の会社を設立する。その後トマスは父の設計したコレン・レンズを改良し、ロスのダブレットと呼ばれるレンズを発明する。このレンズは好評ではあったが、その後ダルメイヤーが発明したラピッドレクチリニアの方が優れていて商業的にも成功した。


1890年代に入りCarlZeissの代理店となったロス社はZeissのレンズをライセンス生産するようになる。

ウィリアム・F・ヴィーリケなども一時在籍するが、その後アストロ・ベルリンの設立に参加する。Ross社で経験を積んだ多くのレンズ設計者がヨーロッパの光学産業を支えていことになが、Ross社自体は1922年にチャールズ・バーソン社に売却され1949年バーネット・エンサイン社に吸収された。エンサイン社はスプリングカメラなどを生産するメーカーでセルフィックスやオートレンジなどで有名である。その後エンサイン・ロス社も1961年に倒産している。


Ross社を代表するレンズといえばExpressがある。CarlZeissのTessarから派生したレンズで4枚構成のテッサーを5枚構成にすることで特許から逃れている。75mmF3.5や105mmF3.8のものは中盤のスプリングカメラ用のレンズとしてエンサイン・セルフィックスなどに搭載されてる。またMicroPrecisionProducts(M.P.P)のMicrCordという2眼レフに搭載されているRossXpess 77.5mm F3.5も独特な描写で人気がある。


シネレンズでも16mm用のCマウント版RossXpressがあります。16mm F2.9や25mm 38mm 50mm 75mm F1.9が確認できます。これらは非常に希少で1000ドルを超えるものも多い。テッサータイプのレンズはF2.8が明るさの限界とされているのでCマウントのものはガウスかエルノスターではないかと推測されるのであるが詳細は分からない。

そしてもうひとつ有名なのがXtraluxである。ライカLマウントの物が有名であるが、ライカ用に作られたものか、Reid用の物かは不明だ。レンズ構成はガウスタイプでコートレンズもあるため戦後も生産されていたようだ。50mmF2と90mmF3.5と135mmF4.5のものがある。135mmのF4はおそらくガウスではないと思われる。特に50mmはきわめて高価である。



Dallmeyer


もう一社イギリスを代表するレンズメーカーがDallmeyerである。Hugomeyerと混同しやすいがHugomeyerはドイツのメーカーである。

前述にも登場したが創業者のジョン・ヘンリー・ダルメイヤーはアンドリューロスの弟子である。アンドリューロスの死後ロスの息子とは袂を分かち1860年にDallmeyerを創業した。


1861年に3色色消しレンズを発明する。その5年後の1866年にラピッドレクチリニアを発明する。同年シュタインハイルからも同型のレンズアプラナットが発表されるが商業的にはラピッドレクチリニアの方が成功したためこの構成のレンズはラピッドレクチリニアと呼ばれる。このレンズは当時としては非常にすぐれた設計であったためダルメイヤーの名前は瞬く間に世界に広がった。


このレンズは1990年代にアナスチグマットレンズが登場するまで第一線で活躍する。日本においては小西本店(小西六、コニカ)が取り扱っていた。和名は『迅速直線(速直)鏡玉』である。


J.Hダルメイヤーの死後はトマス・ルドルフ・ダルメイヤーが後を継ぐ。

20世紀に入ってからの代表レンズといえばSuper-SixとSpeedAnastigmatであろう。

Super-SixはライカマウントやエキザクタマウントやWitnessマウントの物などがある。

焦点距離は25mm.32mm,38mm,43mm,50mm,83mm,100mmなどがあり絞りはすべてF1.9である。

このレンズの初期設計は1930年代なのでXenonやBiotarなどと同時代のレンズのようだ。Witness用のものは1950年の発売である。Witnessは発売期間が1年あまりと短かかったため生産台数は400台弱といわれ現存するものもごくわずかである。そのほかにCマウントのシネ用のものやプロジェクター用のものもあるがいずれも少数で価格もかなり高い。Cマウントのものはイメージサークルが狭いため周辺にぐるボケを発生するためLマウントやWitnessマウントのレンズとは異なる写りをする。このあたりもXenonやBiotarと共通する点である。


SpeedAnastigmat25mmF1.5は近年Kinoplasmatと同じ構成であることが分かり脚光をあびたCマウントのシネレンズである。なぜドイツのHugomeyerのレンズがイギリスでコピーされていたかは不明であるが、Kinoplasmatの特許がイギリス国内で効力がなかったせいではないかという説がある。現在ではKinoplasmatほどではないが高級レンズとして扱われている。


このほかにもセプタックやペンタックなどもあるがいずれも入手困難なレンズである。特にセプタックは

エルノスターF1を思わせる前郡とガウスタイプ構成の後郡が対称型に配置される独特な構成で、写りが気になるが手に入れることはおろか、実物さえ見たことがない。







突然ですがウェブサイトを作ってみました。



タイトルは『YOSHIHIRO UENO PHOTOGRAPHY』 です。


フォトグラファーなのにサイトがないなんて・・。


ということで作ってみました。


まだ荒削りですがこれから細かいところを詰めていきます。


とはいえ実はこういった作業が苦手であまり詳しくないんです。


気になるところなどありましたらご指導いただけると幸いです。


http://raylow331.wix.com/raylowworks


今回はPO3-3M 50mm F2とSpeedpanchro 50mm F2の話。



PO3-3MとOKC1-50-1が兄弟であることが知られているがこのレンズがSpeedpanchroのコピーレンズであるという噂を耳にした。

Cooke Speedpanchro 50mm F2



PO3-3M 50mm F2


ということで検証してみたいと思います。とはいえ友人のしかもPanchroをばらばらにする度胸はないので写りと外観から推測してみたいと思います。


今回は写りから検証してみます。


まずはこちら

ダウンロード:http://yahoo.jp/box/vTrEcs


拡大すると

ダウンロード:http://yahoo.jp/box/zK_v9O


ボケの感じは酷似してます。シャープネスはPanchroの方が高いです。PO3-3Mの方はLOMO表記がないので少し精度が低いのかもしれません。




ダウンロード:http://yahoo.jp/box/5ZBvWm


上記の2枚は三脚固定で撮りました。この2本は若干画角が違うようです。やはり写りは似ています。


拡大してみました

ダウンロード:http://yahoo.jp/box/P-jH6L

ほぼ同じ写りです。


ちなみに同じガウスタイプであるCine-Planarと比べてみました。

同じ構成(4郡6枚)で同じ焦点距離のガウスタイプだけあって写りは酷似しています。

ただし違うところもあります。

右上のボケに注目してみました。







この赤い枠の部分。

PlanarとPO3-3Mでは若干違いますがPO3-3MとPanchroでは違いが分かりません。

非常に些細な差ですが、逆に言うとPanchrとPO3-3Mではこの些細な差すらありません。

前述の通り画角の差はあります。そしてコーティングの有無があるため色の発色が違いますが、写りの差、ボケの差、球面、歪曲収差の差は確認できませんでした。撮影時間に差があるため光りのコンディションが違いますが、写りは同じです。

ちなみにSWITARとも比べてみましたが歪曲収差から違います。


順光でもうひとつ撮り比べてみました。

やはり大きな違いはないようです。


では逆光ではどうでしょうか?

こちらも少しライトが違います。


でも写りはほぼ同じといってもよいようです。

Speedpanchroの方はSerⅠでコーティングがないため逆光には弱いです。

コーティングのあるPO3-3Mの方がシャープに写ります。

PO3-3Mの方が若干画角がワイドなのが分かります。


今回の試写で見る限り、若干の画角の違いとコーティング分の写りの違いしか確認できませんでした。

PO3-3MはSpeedpanchroのコピーであるとの噂は現実味があるようです。


次回外観やレンズへの写りこみ、細かい寸法から両レンズの比較をしていきたいと思います。


今回試してみた実感としてはSpeedpanchroというブランドへの思い入れがなければPO3-3Mで十分ということです。こと写りに関してはSpeedpanchroやCine-Planarと同格だと思います。ただレンズには思いいれも重要です。Panchroやplanarは特にその傾向が強いと思います。

個人的にはPO3-3MやOKC1-50シリーズは現在価格的にはお手頃なレンズなのでマウントの都合がつくのであれば試してみてもいい気がします。それで気に入れば儲けもの。その上でどうしてもPanchroがよければPanchroを手に入れてみるのもいいと思います。

PO3-3Mを経験した上でのPanchroは『やはり本物!!』といった感じになると思いますし、PO3-3MやOKCで満足できればこんなにお得なことはないと思います。

あとPO3やOKCはコンディションのよい『デットストック』がごろごろしているのもお得ポイントです。まだ荒らされていない数少ない”聖域”かもしれません。

10年後には一気に高額レンズの仲間入りを果たしているかもしれません。

Panchroの美品を探すのはそれこそ宝探しのようなもので手に入っても”家宝”のような扱いになるので、使い方を気にせずPO3で写真を撮りまくるのもいいかもしれません。