「ポーリュシカポーレ」 | ラウルイクセンバーグ 『人間とは何だろう?』

ラウルイクセンバーグ 『人間とは何だろう?』

『人間とは、究極は何だろう?』
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 「ポーリュシカポーレ」
 日本でも有名なロシア民謡のカチューシャやポーリュシカポーレは軍歌です。特にポーリュシカポーレをYouTubeで見ると、草原を疾駆する騎馬兵など、勇壮さが際立っております。

 これは、ロシア革命後の内戦時、「赤軍騎兵の勇士とそれを見送る農村の娘」がテーマになった歌です。
 映像からは、コサック騎兵のはるか前、草原を駆けるモンゴルの騎馬軍団を連想させるものがあります。

 極東の都市ウラジオストクは「東方の支配者」という意味であり、ロシアは紛れもなく、西はヨーロッパ、東はシベリア、極東までを有するユーラシア大陸国家です。
 プーチンの中には「ロシア的なるもの」という情念を基本として動く割合が、年齢を重ねるに従って多くなっている気がします。

 自らの所有する豪華別荘の暴露映像などで、権力の維持に対する不安が増し、国民の目を外に向ける必要が出てきていました。
 今回の侵攻の決断となったのは、2015年のミンスク合意をゼレンスキーのウクライナが履行しなかったという思いが根底にあり、自らへの支持回復も重ねて狙っていました。
 アゾフ連隊の活動を誇張して喧伝し、侵攻の正当性を訴えていますが、西側の団結により、二匹目のドジョウは掴めずにいます。

 亡国の危機を考えると、ゼレンスキーやウクライナ国民の徹底抗戦の意志の固さも理解できますが、戦闘の継続の先の核の使用という最悪の事態を回避することを優先的に考える時期に来ているのではないかと考えます。
 ウクライナ国民も多くは普通の人、ロシア兵の多くも本質は普通の人。誰も好んで人を殺したくないし、死にたくもないのです。

 ルガンスク、ドネツクの自治権、ウクライナの中立化等、双方の主張には隔たりがあり、停戦の合意には時間がかかることが予想されますが、継戦は、ロシア、西側双方にとって痛手になります。
 現在は、ゼレンスキーが「民主主義の戦い」を主張し、NATOもそれを応援する形になっておりますが、潮目の変化に来ているかと感じます。