2024年3月に公開された『映画ドラえもん のび太の地球交響楽』の感想メモ。

 本作のテーマが音楽であること・音楽をテーマにこのような物語が描かれたことは、過去作品や実際の音楽の歴史に照らしてみたときに、こんなふうに見えてくるんじゃないかな~ 見ると面白いんじゃないかな~ という まとまらない思考の跡です。

 

  テーマについて

 

 音楽

ドラえもん映画において、「恐竜」や「宇宙」が複数回テーマになっているのに対して、「音楽」主題は初である。それどころか、大長編に限らず『ドラえもん』原作や藤子・F・不二雄のその他の作品を見渡しても、音楽を中心に置いたものは管見の限り ほとんどない。たとえば「ジャイアン殺人事件」のように、音楽が話題や手段になることはあるが、主題にはなってこなかったということである[1]

 正直、『SF短編集』などの形で発刊されることによって近年でも入手可能な作品以外にはほとんど触れられていないので、確かなことは書けないのであるが、それでも一つ思い出される作品があった。『UTOPIA 最後の世界大戦』である。どこかの図書館で手に取った記憶がある(たしか京都のマンガミュージアム)。第三次世界大戦で使用された兵器によって、世界は氷づけになってしまった。それでも長い年月をかけて「復興」し、科学によって大きく発展した都市「ユートピア」が築かれた。ところが、この「ユートピア」の実態は独裁であり、出来損いや反逆者がいると、そいつがロボットに置き換えられたり、その街が先述の兵器で氷づけにされたりしてしまう世界であった。第三次大戦の生き残りである主人公は、この支配からの解放のために、「最後の世界大戦」に臨むのである。……ざっくり こんなあらすじだ。

 ネタバレにはなってしまうが、最後にこの戦いに終止符を打つ鍵となったのが「音楽」だった。オルゴールか何かが流れて(なんでオルゴールがあったのかとか、どうして流れ始めたのかとかは、覚えてない。申し訳ない)、なんかわからんけどロボットたちが自滅して、戦いは終わりを迎える。そして、真の「復興」に向けて、人は改めて歩み始めるのである。なぜ音楽がその手段になり得るのかについてはほとんど説明がないものの、音楽が暴力への抵抗の鍵となっている点で、この作品と『地球交響楽』はパラレルである。

 ところで、昨年の映画は何だったか。『のび太と空の理想郷(ユートピア)』である。ユートピアとされていた場所は実際にはどのようであったか。権力による完全管理社会であり、出来損ないは洗脳や改造によって「置き換え」られそうになったり、これを抜け出そうとすると「氷づけ」になったりするのである。昨年の題材がこのような性質の「ユートピア」であることを踏まえたうえで、その次年の作品に この形で「音楽」を持ってきたのだとしたら、これは大変な構成力として讃えざるを得ない。


[1] ある意味で音楽を中心に置いた作品としては、『ザ☆ドラえもんズ ゴール! ゴール! ゴール!!』も思い出される。この作品では、セリフがなく、音楽と効果音のみで物語が描かれる。敵役が「運命」のメロディーを流しながらロボットを動かして攻撃してきた場面が脳裏をよぎって、思い出した。しかし、本稿で言う「音楽を主題とする」とはまた別の置き方をしているので、ここでは触れない。

 

 バロック〜ロマン

本作には実在の音楽家を模したロボットたちが登場する。バッチ(バッハ)、モーツェル(モーツァルト)、ヴェントー(ベートーヴェン)、ワークナー(ワーグナー)、タキレン(瀧廉太郎)といった面々だ。物語の内容に照らして、なぜこのような人選だったのだろうか。

 このなかで最も昔の時期に生きたのはバッハであり、彼はバロック終期に位置づけられる音楽家である。バロックより前〜黎明期には、神の音楽が措定されていた。神という唯一で絶対の存在が頂点にあり、音楽もそれに適うものとして存在するので、聖歌のようなものが主流だった(と理解している)。それまでの声楽中心だった音楽に対して、器楽が発展してこれに重なることで、歌劇などが興隆。歌劇では喜怒哀楽を表現する必要があるので、この時代で音楽に感情が込められるようになったとする評を見かけたこともある。しかし、このバロックの時代はまだ王族や貴族といった金持ちが音楽家を抱え込んでいる形態が多く、ゆえに作られる音楽もまた王族や貴族のためのものであった。

(A.メンツェル(1850-52)『フリードリヒ大王のフルートコンサート』 )

 モーツァルトやベートーヴェンが活躍したのは古典主義と呼ばれる時代だ。絶対王政から民主主義へと移行する時期であり、これほどの社会変動は政治の枠におさまらず音楽にも多分に影響を与える。市民階級の台頭にともなって、市民向けの音楽も増えていった。王族や貴族のお抱えという形態に限らず、いわゆるフリーの音楽家も増えていった。

 音楽がずいぶん市民に開かれたものになってきたが、古典主義の時代にあっては、まだ啓蒙主義の影響が強いのか、形式・型の確立に重きが置かれていたように思われる。それに対して、続くロマン派と呼ばれる時代にあっては、そうした形式・型だけでは必ずしも十分ではないと捉えるようになる。感情や直観といった、それまで不規則で不合理と見なされがちだったものにも、より価値を置くようになった。和音を重視し研究したワーグナーが選抜されているのは興味深いことであるし、不協和音の再評価が進んだのもこの頃とされる。すこし時間を置いて登場するのが瀧廉太郎であるが、彼もまたドイツロマン派に強く影響を受けた音楽家であるから、やはりこの文脈に位置づけて問題ないだろう。

 ということで、本作に登場する音楽家は、バロック〜ロマン派を代表する者たちである。そして、上で確認したこの時代の流れは、本作の物語の流れとも非常によく噛み合っているように思われる[2]

 本作における音楽は、こうしたバロックとロマンの双方の性質を併せ持つ、両義的な描かれ方がされているように思われ興味深い。「ファーレの殿堂」の真価を引き出すために求められるのは、ムシーカ族の正統な血族と、そこに代々受け継がれている由緒ある縦笛の音である。これはまさに神の音楽と呼べる。しかしながら、最後の鍵を開ける一音となったのは、「のほほんメガネ」こと のび太の「の」の音であり、それを放つ器はリコーダーなのである。他のみんながヴァイオリンなどの典型的な高級楽器なのに対して、のび太が手にすることになったのリコーダーであった。物語の最初と最後にて学校の音楽の授業・発表会でリコーダーを合奏する描写があることで、この楽器が日常の延長線上に位置づけられていることがわかる。このように両義的な描かれ方をされているが、時系列などに即して言えば「唯一無二の神による正統性ある音」から「庶民の権化みたいな音」へとシフトしているという点で、大まかにはバロック〜ロマンの時期に起きた流れを踏襲しているように思われる。

 最後にメタ的な視点から。先ほど触れた『UTOPIA 最後の世界大戦』をググってみていただくと、その画風に驚かれる方が多いのではなかろうか。馴染みある藤子作品のタッチではないことに気づくとともに、察しの良い方はこれが手塚治虫にあまりにも大きな影響を受けていることを見抜くだろう。藤子両氏は、初めはこのような模倣から学び、徐々に自分たちのスタイルを確立して、本稿で扱っている『ドラえもん』をはじめとしたヒット作を連発することになる。これまた、手塚という漫画の「神」の模倣ミメーシスから離れてゆく過程を観取することができ、構造のパラレル性を感じられる。

 また、本稿の冒頭では、本映画の主題である「音楽」が藤子・F・不二雄の原作ではあまり触れられることのなかったものであることを確認した。本映画の脚本は、アニメ『ドラえもん』の脚本を長く務めてきた内海照子である。原作を「神」としながら30分のアニメ脚本を書き続けてきた氏が、はじめて原作のない映画の脚本を書くにあたり、このような「バロック〜ロマン派」の流れを扱う物語をしたためたことを、「神」を離れ自立する覚悟と解釈することは果たして勝手が過ぎるだろうか。


[2] わかってる素振りで書いてはみたが、私は音楽のことは詳しくないので、個人的には 同じような歴史を辿った絵画を想起した方が流れをつかみやすい。かつては絵画といえば宗教画であり、聖書の場面を描くのが原則で、風景を描く場合であっても、神話の登場人物をねじ込んだり、植物や人物の衣服が古代を思わせるものになっていたり、といったものだった。それが、金持ちが画家を雇って自分や家族の肖像画を描かせるようになり、これが金持ちによって誇示されたり アカデミーでも認められたりすることで、人物画も絵画としての地位を獲得する。さらに工業化が進むと、都市の発展とさらなる富の蓄積が生まれる一方で、都市の貴族にはノスタルジーにともなう田園への回帰の機運が生じた。そこで、当初は異端としてボコボコに叩かれていた写実的な風景画も、ノスタルジーを癒す需要に呼応する形で、ようやく表舞台に上がるようになっていった。遠方にまで出向いて風景を描くことを可能にしたのもまた、チューブ絵具やカメラもどきの発明といった科学技術の発展であったことは、少し皮肉的にも映るが面白い。こうして絵画は、神のための神の絵から、人間のための人間の絵へと、その定義を拡張させることになった。

 

 ノイズ

「ノイズとは結局なんなのか?」という問いは、物語の根幹に関わるものでありながら、明かされることなく終演する。少なくとも、十分に語られ説明が尽くされているわけではない。この問いへの回答は、映画内においては「なぜ のび太たちはノイズに抗う必要があるのか」という問いに、メタ的には「なぜ 本映画は作られる必要があったのか」という問いにも直に接続するものであり、重要なポイントである。

 正直、この説明がなく物語が終盤まで進んでいくために、中盤は話に乗り切れない気持ちでいた。しかしながら一方でまた、「ノイズとは〇〇のことやで」と明示または示唆してしまうと、陳腐さが世界観をオーバーラップしてしまいうるという懸念もわからなくはなかった。

 言葉を尽くしすぎても全く触れなくても物語を損ねうるこのアンビバレントな難問に、終盤で挟まれた無音のシーンは唯一無二の解をもって回答していたと思われる。すなわち、ここに言葉は要らない。理屈や背景の説明など不要なのだ。「音がないというのは、こんなにも恐ろしいものなのだ」ということを、視聴者はのび太への仮託をもって文字どおり体験する。それだけわかれば、ノイズを畏れ これに抗う理由として十分だ。このことを明瞭に描き出すために、本映画では開幕からずっと日常の生活音などが強調して描写されていた。普段以上にうるさく鳴らされていたからこそ、無音が際立つ。素晴らしい機構による描写だったと感じる。

 個人的には、このコンセプトを仄めかすための一つのセリフとして、「どくさいスイッチ」回の「まわりがうるさいってことは楽しいね」をサンプリングするのもオシャレな選択肢だったのではないかと思うが、狙いすぎだろうか。

 

  描き方について

 

 セリフ

セリフの話に触れてしまったので、これに関して言えば、一つで良いので強いパンチラインを一発かまして欲しかった。

 近年の作品でいえば、『月面探査記』の「想像力は未来だ。人への思いやりだ。それを諦めたとき、破壊が生まれるんだ。」や「のび太のおやつと一緒だね。」、『空の理想郷』の「これがぼくだからだ。」あたりは、まさにその作品の代名詞とも呼びうるキーフレーズとなっている。

 今作に関しては、、、個人的にはそこまでのものがあったようには思えず。。。チャペックの「……地球交響楽!」は確かにブチ上がるポイントではあるのだが、上述のような「そのパンチライン一発だけで当該作品が何を大事にしているのかがわかるフレーズ」には至っておらず、別箇所でそうした材料も欲しかったなという印象が残ってしまった。

 

 身近さ

普段のアニメ脚本のときから意識していらっしゃることなのかもしれないが、「子どもたちにとっての身近に感じられること」を作品全体で重視されていたように感じた。宇宙船で飛ぶのではなく、普段の学校の深夜の音楽室から異世界に入り込む。タイムマシンでスリップするのではなく、おもいでコロンで今現在の上野に足をつけたまま過去に思いをはせる。SFを完全に非日常として分断して描くのではなく、日常のなかの非日常という形で描くことに工夫が凝らされている印象。

 

 ドラえもん

今作でのドラえもんの位置づけって、すごく難しいように思う。一言でいえば「ワークしてないんだけど、その割にはなんか首突っ込んでくるなぁ」という印象。

 そもそもドラえもんは楽器を弾かない。ひみつ道具効果のない、ただのカツラと棒で指揮(っぽいこと)をする。中盤からは機能不全になり、終盤では指揮者の座をチャペックに譲る。

 「今作はドラえもんはベンチ。のび太たちががんばる」というのであれば、後述するとおり ハッスルねじまきとかもカットして、そのコンセプトを貫くことを期待してしまった。ノイズに喉からやられた場面も「なんでここでドラえもんがやられる描写が必要だったのか?」と考えるが、これは私の理解力がないのか、なかなか答えが見つからない。「ノイズの恐ろしさを子どもにもわかりやすく描く」というのも一つあり得るが、だったらノイズの正体とセットで描いてほしかった気もする。難しい。

 

 オープニング

出来のよい映像だった。物語本編にもかかわりつつ、綺麗にまとまっていまして。

 懐古厨としては、やっぱり映画は「のび太の『ドラえもぉ~~ん!』の泣き叫びからの引きからOPが流れ始めてタイトルロゴ」という伝統の流れが恋しくなってしまいがちだが、本作において「ドラえもぉ~~ん!」は物語終盤の重要な場面で、しかも無音という斬新な形で挿入されており、「それならOPの『ドラえもぉ~~ん!』は無しでも仕方ないか」と思った。

 

 「地球交響楽」

とてもよかった。何かしらドラえもんの曲が差し挟まれるだろうなと確信はあったが、こんな堂々と歌い上げられるとは思ってなかった。90周年記念だから、パーマンとかの旋律も紛れ込んでいないかと耳をすましていたが、聞いている限りではなかった気がする。

 とてもよかったが、「もう『ドラえもんの曲』は『あんなこといいな』でも『あたまてかてか』でもないんだなぁ」と懐古厨。

 

 

  ひみつ道具について

 

 あらかじめ日記と時空間チェンジャー

うまい使い方だと思った。伏線のはりかたも自然なうえに納得できる。『月面探査記』の異説クラブメンバーズバッジが典型的かつ頂点とも呼べる仕上がりだが、私は「原作に出てきた道具が原作にはなかった巧い使われ方をする」という脚本に最高級の美しさを感じるので、この2つの道具の使い方については両手をあげて拍手したい。

 ただ、そのような嗜好を持っているために、本映画オリジナル道具の音楽家ライセンスがあまりにもチート級の無双っぷりを発揮していたのが、

 

 ハッスルねじまき、要ったか?

ここで一時帰宅する場面は「のび太が1人で地道に頑張る」というプロセスに焦点を当てる機能を持っていたと思われる。夜中に抜け出して ひとり風呂場でリコーダーの練習をする描写はその最重要なものであろう。「だったら別に遅くてもいいから宿題ひとりでやれよ」ってのが正直な感想。。。不要どころか ない方が良い。ミッカたちに「はやく! はやく!」コールをさせる以外の目的が見当たらない(あれはかわいかった)のだが、私が何か見落としているだけかもしれないので、何か気づいている方は教えてください。

 

 客寄せチャルメラ、要ったか?

音楽関係の道具を色々出したいというのはわかるが、結構クライマックスでシリアスな展開であれ挟まれたのは「うーん」って思っちゃった。

 

 

  その他

来年は何なんでしょうね。中世ヨーロッパぽい城を見せられて真っ先に思い浮かぶ原作といえば『ゆうれい城へおひっこし』なのだが、コウモリが出てきたってことはドラキュラが絡むのかもしれないし、ドラえもんが「絵」を描いていたこともポイントなのかもしれない。いずれにしても、来年も楽しみにしています。

 

  問題意識

 

 競技ディベートではコンフリクトと呼ばれる制度があります。主には英語即興ディベートで一般化したものが、近年は日本語即興ディベートでも用いられ始めています。しかしながら、ある種コンフリクト黎明期とでも呼びうる現状では、その運用において誤解が生まれているようにも感じます。というのも、まさに自分自身が大会運営に携わる中で誤解していて、調べたり英語即興ディベートをやっている人から話を聞いたりして理解することがあったからです。

 本稿では、そもそもコンフリクトとは何なのかを概観したうえで、大会運営において実際にどのように運用していけばよいのかという実践的見地から、英語即興ディベート大会での資料などを参照しながら検討してみたいと思います。

 

要点

  • コンフリクトは、本来的には選手-選手間ではなく選手-ジャッジ間に適用される制度である。
  • コンフリクトが申請されたことは、被コンフリクト者には基本的には伝えない。
  • 制裁は最終手段であり、全体アナウンスや当人への警告といったより穏当な対策を経たうえで初めて課される。

 

 

  コンフリクトとは

 

 そもそもコンフリクトとは何なのか。ジャッジと選手の間になんらかの関係があり、それが試合に影響しそうな場合に、そのジャッジがその選手の試合には入らないようにする制度のこと、と言ってよいでしょう。大会前に、選手へジャッジリストが、ジャッジへ選手リストが配られ、コンフリクトに該当すれば申請するという手続きがとられます。

 そんなコンフリクトには、大きく2つあるようです。1つは institutional conflict, もう1つは personal conflict や individual conflict と呼ばれるものです。英語を並べてるとあべさんに怒られるので、前者を団体コンフリクト、後者を個人コンフリクトと呼ぶことにしましょう。

 前者については、すでに日本語ディベートでも広く浸透していると思われます。団体コンフリクトは、選手とジャッジが同じ団体に所属する場合に発生します。たとえば、私が母校であるB高校の参加する試合のジャッジに入ることはない、といった慣行です。

 ということで、ここで問題になるのは後者の個人コンフリクトです。さまざま読んでいる限りでは、英語即興ディベートにおいても個人コンフリクトは団体コンフリクトの後に生まれ到来したようで[1]、その時系列を日本語即興ディベートは今追体験しているように思われます。

 個人コンフリクトは、団体の所属ではなく、属人的な要素から生じるコンフリクトです。多くの大会では、以下のような要素が外延的に列挙されるようにお見受けします[2]。

 

  • 恋愛関係に限らず、親しい間柄である。
  • 複数回チームを組んだことがある。
  • 上司/部下や、コーチした/されていたなどの上下関係がある。
  • なんらかの敵対関係にある。

 

「コンフリクト」といっても、「対立」関係に限らず、恋愛関係や指導-被指導関係も含みます。ざっくり、「外から見た時に、その関係を理由とした特別な考慮が判定に影響すると『思われる』」場合にはコンフリクトが認められるようです。実際に影響するかどうか以前に、そう「思われる、見られる」時点で切っておく感じですね。そこは団体コンフリクトと同じ構造です。

 

 

  コンフリクトにまつわる誤解

 

 さて、日本語即興ディベートでも個人コンフリクトが導入されつつありますが、そこではひとつの誤解が起きがちなのではないかと感じています。それは、コンフリクトが元来は選手-ジャッジ間に限って適用される制度であるのに対して、選手-選手間にも適用されていることです。(自分が運営に携わっている大会では、そのように選手間でのコンフリクトも含む方向でコンフリクト制度の準備をしていたところ、英語即興ディベート経験者から一般的にはそうではないと聞き、修正しました。)

 もしかすると、「誤解」ではなくて、意図的にコンフリクトの意味を拡張して選手間にも適用している大会もあるかもしれません。それはそれで良いと思います。別に原義に忠実に従わなければいけないわけでもないし、「より快適なゲームができるようにしよう!」という工夫は尽きないものです。が、そのときの運用の仕方に問題がある(たとえばコンフリクト申請があった事実を本人に伝えちゃう、とか。次節で詳述。)と、一部の人の快適さのために 別の一部の人に不快さを与えることになるかもしれません。その点には、常に注意が必要だなと、自分が大会運営にかかわるときも怯えるほどに気をつけているところです。

 

 

  コンフリクト of コンフリクト

 

 桃から生まれた桃太郎、というわけではないけれど、そのようなコンフリクト制度の運用は、かえって対立・軋轢という意味でのコンフリクト太郎を新たに生み出してしまうのではないかと危惧します。選手や運営メンバーからのコンフリクト申請を理由に、コンフリクト申請された選手の参加を許可しない大会もあったと聞きます。このような場合、たとえば以下のようなコンフリクトが生じてしまうのではないでしょうか。

 

コンフリクト申請された人が傷つく

 そもそもコンフリクト制度は、「あなたにコンフリクト申請した人がいましたよ」と伝えるものではありません。(個人的には、少なくとも現時点では、伝えることが何らかのメリットを生むようにも思えません……。)

 まず、その事実を知った当人は、あまり良い気はしないでしょう。大会に参加しても、「今日 当たらないチームの誰かが 私のことを嫌っているらしい」と気になってしまうかもしれません。あるいは、より特定的に、「誰だ、そんなことしたやつは……?」と ”犯人” さがしをしてしまうかもしれません。こうした行動をとることは、被コンフリクト申請者が悪いわけではないように思われます。そう言われたら気になっちゃう人が多いでしょうし、自然なことなのではないかと。

 そもそも伝えないでいい情報ですから、大会運営側としては、むしろコンフリクト関係の情報が外部に漏れることがないように細心の注意を払うべきなのではないかと考えます。

 

コンフリクト申請しづらくなる

 上の点とも関連しますが、コンフリクト申請するとその相手に「コンフリクトが出された」と伝わることを知った場合、ほかの参加者が コンフリクト申請したいのにできないという状態になるかもしれません。「『自分にコンフリクト申請が来た』ということで相手に嫌な思いをしてほしくはないな」と感じる人や、「匿名での申請制度であっても、この参加者プールだったら あの人にコンフリクト申請するのは自分しかいないとすぐバレてしまうかもしれない」と恐れる人も出てくるでしょう。

 

大会運営の今後に支障が出る

 個人運営の私的な大会であれば、多少の勝手は許容されるかもしれません。あくまで趣味の延長線で、自分たちにとって楽しい空間を創出できればよいわけですから。

 一方で、たとえば大学公認団体として大会を開催する場合、当該大学の理念に反していないかチェックしていた方が賢明だと思います。大学のポリシー(アドミッション・ポリシー、ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシーなど)や、もし自分たちで作った部則などあればそれも、参照するのがよいでしょう。英語即興ディベートでは部ごとに作られた equity policy もあるそうです。

 「自分たちに不利益が出るからやめたほうがいい」という理由づけは適当ではないのですが、やはり留意するに越したことはないと思います。とくに、部として認定されるためにがんばっている、大学の名前を冠した大会を開いている、大学総長賞の獲得を目指している、などの背景を持ってがんばっている団体であれば、なおのこと重要な観点かもしれません。

 

 

  対処法

 

 では、コンフリクト制度を設けていて、実際に申請が来た場合に、どのように対処するのがよいのでしょうか。

 この点について、先輩にあたる英語即興ディベートにおける蓄積は示唆に富みます。まずは、端的でわかりやすいと思うので、こちらのフローチャートをご覧ください。

 

 

 日本語即興ディベートでは抜け落ちていて重要と思われるポイントがいくつかあります。具体的には以下の通りです。

 

基本的に被コンフリクト者に伝えない

 これは前節でも触れたので省略します。

 

全体へアナウンスをする

 equity violation の指摘、すなわち たとえば「過去にあの人にいやがらせをされたから」といった理由での相談やコンフリクト申請などがあった場合、全体への注意喚起のアナウンスが求められます。大会やコミュニティとして、そのようなことを問題視すること・許容することなく環境の改善に努めることを示すのは重要です。なぜなら、被害者だけでなく、ほかの参加者の安心にもつながるためです。

 一例として、第一回平和会のときの全体アナウンスを貼っておきます。これで十分とは言えないかもしれませんが。

 

被疑者にも話を聞く

 相談を受けて、全体アナウンスにとどまらない対応が必要と思われる場合、次に採りうるのは、被疑者への直接警告や、被害者-被疑者の当事者間での和解に向けた調停です。このとき、片方の言い分だけを聞いて対処すると、不当な結論が導かれかねません。謂れのない警告を受ける人が出てくるかもしれませんし、本来あるべきだった「和解」からずれた形で調停が進んで被害者・被疑者どちらにとっても望ましくなかった結末に至ってしまうかもしれません。

 副次的な論点かもしれませんが、仮に被疑者に話を聞かずに制裁を下すとしたら、告発し得になってしまうようにも思われます。何人かで結託して強い人を告発しまくって参加取消にすれば優勝に近づきますね。

 

制裁は最終手段

 これは教えていただいたほとんどすべての英語即興ディベートの equity briefing や policy で共通していたポイントです。「参加の取消」「当該大会への出禁」「1ヶ月間の大会出場停止」などの制裁が検討されることはあるようですが、本当に最終手段で、全体アナウンス→本人への警告があって それでもなお改善が見られない場合に限られます(といっても、本当に制裁が実行されることはほとんどないようです)。

 ということで、基本的には制裁的措置は避けるのが妥当であると言えるでしょう。

 

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 そのうえで、大会運営委員が参加者(選手やジャッジ)にコンフリクトがある場合は、以下のような対応が求められるかもしれません。

 

当該運営委員の担当業務の変更や一時離脱

 コンフリクト関係にある人が参加してきたとき、無理に業務を継続する必要もないでしょう。

 たとえば、受付や式典の担当だった人が、論題検討や集計などの裏方の仕事に回って、参加者と直接対面する必要のない形態での業務を継続することはひとつの解決策でしょう。あるいは、裏方とか関係なく 関与すること自体が難しいという場合には、当該大会ではお休みをすることも選択肢です。一回限りというわけではない大会であれば特に、今回はお休みして、また次回から復帰するというやり方もあるのではないでしょうか。

 

運営メンバーの外部からの調達

 大会運営委員会が小規模で、委員の業務変更や一時離脱をしてしまうと大会が回らなくなるという場合もあるかもしれません。そのようなときには、外部から新たに運営メンバーを調達することも検討する必要があるでしょう。

 当然ですが、ここでも「あの人とこの人がコンフリクトで……」などと不必要に情報を漏らすことがないように気を付けなければなりません。逆に、「コンフリクトの都合で人員不足になってしまったので入ってもらえませんか?」と声をかけられた新たな運営メンバーは「え! 誰と誰が??」などと詮索しないようにしましょう。

 

 ……以上のような措置を講じても、大会開催が難しそうであれば、大会の延期や中止も視野に入れる必要があると思います。別に延期も中止も決して悪いことではありません。誰も責めないし、責めたとしたらそいつが間違ってます。それよりも、以上のような措置を講じる余裕がない状態は、果たして大会を開催する準備が十分な状態なのだろうかと疑問符が付くように感じます。

 

 

  おわりに

 

 大会の企画開催は、みんなが楽しめる場所をつくっているわけで、とても素晴らしい営みだと思います。ただ、そこでの「みんな」とは誰なのか、常に問い続ける必要はあるだろうと、ちょこちょこ大会運営に携わっている身としても感じるところです。

(本稿は、前稿「ディストーションについて」から派生したものです。)

 

 

DeepLはたしかに進化している

 DeepLは確かに従来の翻訳ソフトに比べても高性能な部分が多いと思います。たとえば、次の文は従来では訳すことができていませんでした[1]

“Human” consists of five letters.

Google翻訳では、「『人間』は5文字で構成されています。」と出てきます(2022年4月現在)。対してDeepLは、しっかり「『Human』は5文字で構成されています。」と訳すことができるようになりました(少なくとも2021年半ばにはそのようになっていました)。

 

 

だけどDeepLは文法を知らない

 しかし、さっきの “Human” consists of five letters. の例を自分で試してみた人のなかには、「あれれ?」となっている人がいるかもしれません。DeepLはこうした文を訳すことができるようになったと書きましたが、なぜかたまにこの文を「ひとでなし」と出力することがあります。狙ってやっているなら非常にユーモラスな皮肉にも見えますが、そうでもないようです(ほかにも「じんせいごもじ」とか出てくることもあります)。

 このようなミスが起きるのは、機械翻訳のシステムが文法準拠(人間が文法原則をインプットしておく)から対訳データの集積準拠に移り変わってきたことが原因として挙げられるでしょう[2]。Google翻訳、DeepLなどのニューラルネットワーク機械翻訳(NMT)は後者の対訳データの蓄積、つまり「この言葉はこんなふうな意味で使われてることが多いよ~」って情報をベースにしています。そしてDeepLは、Google翻訳などに比べてもさらにその傾向が強いと思われます。

 

 このことのメリットとしては、より自然で流暢な訳が出てきやすい、その言語特有のニュアンスを汲み取った訳が出てきやすい、といったことが挙げられます。たとえばDeepLに “kids like you” と入れると、勝手にニュアンスを汲み取って「お前のようなガキ」と出してきます。これは和英訳でも同様で、たとえば「今日は良い天気ですね」と入れると “It’s a beautiful day.” と出てきます。日本語で「今日は良い天気ですね」と発話するときには、別に天気の話をしたいわけではなくて、もっとその日の雰囲気などに焦点が当てられていることが多いということを情報として持っているからこそ出てくる訳でしょう(Google翻訳だと “It's nice weather today.” と出てきます)。推測ですが、バイリンガル向けのツールと連携してデータを蓄積していることと無関係ではないような気がします。

 

 対して、先に述べた通り、DeepLは文法を知りません。なので、「このような用いられ方をしていることが多いから」という理由で出された訳が、明らかに間違ったものだったとしても、それをチェックする機能を持たないことになります。“Human” consists of five letters. が「ひとでなし」になっても、そのまま「ひとでなし」でスルーしてしまうのです。

 

 また、接続詞でつながる文において、主節と従属節が逆転する現象も確認できます。たとえば、原文では「○○であるが、××である。」だったものが、訳文では「××であるが○○である。」や「○○なのだ、××であるとはいえ。」といった内容になるような感じです。

 

 

DeepLはより広義に文の作法も知らない

 文法と関連して、文の作法・原則も知らないことも指摘できます。たとえば、訳語の不統一。argumentという語を含む文章を訳させたときに、ある文では「議論」としつつ、その次の文では「引数」という訳を与えることがあります。その語の周りの語と照らして「こういう文脈で使われてるケースと一致率が高いな」ということから訳を導くので、文章全体での統一性といったものは担保されません。このため、出てきた訳をそのまま読むと、実際には同じ1つのものを指しているのに別の2つのものを指しているかのように聞こえてしまう、あるいはその逆、といったことが起きます。「あるいはその逆」、つまり本来は区別して用いられている二つの言葉が訳文では同一視されてしまう問題のほうが、ディベート上だとより深刻かもしれません。いや、どっちも良くないのですが。

 

 

DeepLはサボる

 「文法は知らない」「わかりやすさを重視する」といった、上で確認した事項からの帰結でもあるのですが、DeepLは色々なものを省略します。

 とくに多いのは代名詞の省略です。代名詞自体が丸々なかったことにされることもあれば、「その○○」が「それ」に置き換えられることで 何を指しているのかが不明瞭になってしまうこともあります。……人によっては、「? それだけのこと、何かマズいか?」と思われるかもしれませんが、下の画像のとおり、こんな短いシンプルな一文でも主語が抜け落ちることがあるわけです。長い文章のなかでこれが起きれば、前の文の主語をそのまま引き受けていると勘違いしてしまってもおかしくありません。

 また、「○○と××、△△、それに……」みたいな文を、並列をごっそり切り落として「○○など」とすることもあります。

 

 

DeepLはサボりすぎる

 こうした省略の最たるものとして、文や節や句がまるごと省略されるという現象を指摘できます。これは省略というよりはバグと呼んだ方が適切な気もしますが、本当に丸々落ちます。

ちょうど読んでた論文の冒頭を入れてみたのですが、いろいろ切り捨てられているのがわかるのではないかと。“from its longer-recognized counterpart” は一つの句が丸々消えています。ついでに “dominant” や “researchers” あたりもどこに行ったんでしょうね……。ただこれでもまだマシなほうで、本当に跡形もなく一文消えることがしばしばあります。

 

 

DeepLは流暢すぎる

 DeepLはとても自然で流暢な訳を出します。ちょっとしたニュアンス、どちらのほうがより一般的に用いられることが多いのか、そういった情報を非常に多く幅広く蓄えているがために、従来の機械翻訳には不可能だった翻訳が、より自然な形で可能になってきています。

 この喜ばしい事態は、しかしながら、落とし穴をさらに大きく深くしているようにも思われます。自然すぎるために、誤訳に気づけないのです。

 なので、本来的には、DeepLのようなツールを使うためには、最低限、「原文と訳文を見比べた時に違いが認識できる」力が必要であると言えるでしょう。さもなくば、「川からの避難勧告」が「川への避難勧告」に変わっても気づかないということが実際に起きてしまったように[3]、重大な誤訳をそのまま放流することになってしまいます。

 「それでも使わないとやってられないわ!」……一方で、そんな気持ちもわかります。あくまで上の条件を放棄するわけではありませんが、それでは、どうすればこの問題に立ち向かえるのか? 簡単な案を次項で記すことにします。

 

 

DeepLは補完されたい

 機械翻訳の変遷に極めて簡単にだけ触れましたが、ここまでで見てきたGoogle翻訳とDeepLの違いからもわかるように、NMTのなかでも、文法への準拠を重めに採る翻訳と、対訳データへの準拠を重めに採る翻訳とが存在しているようです。実際、「特許審査関連情報の日英機械翻訳文の品質評価に関する調査報告書」にて、3つの機械翻訳とその評価を比べた結果から、「翻訳と統計ベース翻訳の違いをあてはめて考えると、ルールベース翻訳は辞書と文法に基づいて学習していない文に対応できるが、統計ベース翻訳は学習していないタイプの文は翻訳精度が悪くなっていると考えられる」と述べられていることが示唆的に思われます[4]

 極めて雑にまとめてしまえば、「機械翻訳には、それぞれ得意不得意がある」。この認識が重要でしょう。

 この認識から導かれる応急処置的な解決策は、複数の機械翻訳を併用するということです。「Google翻訳とDeepL」の併用でも、防げる事故は結構多いのではないかと思います。(個人的な印象を言えば、かなり文法を捨てて対訳データに振り切っているDeepLには、比較的 文法を重めに採る「みんなの自動翻訳」が補完的な意味での相性が良いのではないかと思っています。)

DeepLから流暢さ・自然さを、もう一方から(それに比べての)正しさ・忠実さを、汲み上げて組み合わせるといった用い方が理想的なのではないかと、そう感じるところです。少なくとも事故は減ります、確実に。

 

 

 

※ 筆者は別にこのへんが専門というわけではなく、「言語に関心がある、翻訳ももちろんそこに入る」「学部のときとてもお世話になった指導教員がこのあたりご専門だったので読んだり話を聞いたりした」程度の知見しかありません。そうした域を出ないものであることを、ご了承ください。

 


[1] 影浦峡(2017)「改めて、翻訳とは何か:Google NMTが使える時代に」『言語処理学会 第23回年次大会 発表論文集』pp. 931-934.
https://www.anlp.jp/proceedings/annual_meeting/2017/pdf_dir/D6-5.pdf

[2] 小室誠一(2021)「追記版:機械翻訳の現状と対処法」 http://e-trans.d2.r-cms.jp/topics_detail125/id=405

[3] 「それほど高精度なDeepL翻訳が、「人間が犯しづらいミス」をするのは、AIが自ら学習した過去のデータを元に導き出した訳が、文法や社会常識など人間のルールで正しいかどうかまでは判断できないためだ。AIにとっての正解が、人間にとっても正解とは限らない。それがときに、大きな問題を生むこともある。昨年10月の台風19号の際、静岡県浜松市が在住ブラジル人などに向けてポルトガル語で配信したメールに重大な誤訳があった。「高塚川周辺に避難勧告が出ました」という文が、「高塚川周辺に避難してください」と読める文になって配信されたのだ。」(AERA 2020)

https://dot.asahi.com/aera/2020072100060.html?page=2

[4] 一般財団法人 日本特許情報機構(2016)「特許審査関連情報の日英機械翻訳文の品質評価に関する調査報告書」p. 27

https://www.jpo.go.jp/system/laws/sesaku/kikaihonyaku/document/kikai_honyaku/h27_03.pdf

 こんにちは。このブログを管理している(ブルーベリー)ラッシーです。

 前回のざわざわ先生の記事に続き、「ざわらしまろ」の2022春JDA記②。今回は、タイトルのとおり、ディストーション(ディベート中での証拠資料=エビデンスの歪曲)について書いていきます。

 

(目次)

 1.はじめに

 2.代表的なディストーション例

 3.機械翻訳について

 4.どうすれば防げるのか

 

(2022.4.6.追記)

翻訳まわりについての話をもっとしてほしかったという声があったので、そのうち加筆します。

(2022.4.8.追記)
「3.機械翻訳について」を別稿にて追記しました。

 

 

  1.はじめに

 

 今シーズンは、これまで以上にディストーションを目にすることが多かったのではないか、という気がしています。そしてそれは、質的にも放置は許されないレベルに感じられてしまいました。

 論題が「フェイクニュースの法規制」であり、多くの参加者が「虚偽の情報が混じると正当な議論ができなくなる」といった旨のスピーチを繰り広げていたこの折ですから、ディベートにおけるフェイク=ディストーションについて考え直してみる機会としても良いのではないかと感じ、筆を走らせている次第です。

 はじめに断っておくと、以下では練習試合や大会本番で見られたディストーションの例を具体的に扱いますが、決してディストーションの形で資料を引用した個人や特定チームを批判するために本稿を書いているのではありません。フェイクニュースに関する領域で「生態系(ecosystem)」という考え方が鍵となっていたように、全体として、どんなふうにしていけば防げるのだろうか、といったことを考えるために書いています。本稿の最後でも書いていますが、この問題解決に向かって色んな人の意見が聞きたいなという思いです。

 

 

  2.代表的なディストーション例

 

2-1.「フェイクニュースは極めて短時間で拡散し切ってしまうから法規制は無意味」なのか?

 

 とても強い反駁を耳にしたので、私も読みたいと思い原典に当たってみたら、ディストーションでがっかりした、という事例です。内容としては、「フェイクニュースは最初の1時間でシェアの53%が済んでしまい、24時間以内には消費され尽くすので、『24時間以内に削除するor7日以内に対応する』といった法規制では解決性がない」といったものでした。実際に試合で引用されていた文は、こんな感じです(“real news” を「実際のニュース」とされていたのを、「偽のニュース」との対応を考えて「真実のニュース」とするなど、軽微な訳の修正を施しています)。

 

シンガポール国立 南洋理工大学 Palら 2019年 和訳[1]

この調査研究の目的は、調査の流れにもとづいて、ソーシャルメディアによる伝播のパターンにおいて、偽のニュースが真実のニュースとどのように異なるかを調べることです。適切な周期性が設定されるために、文献がレビューされました。とくに参考文献は、ソーシャルメディアプラットフォーム上のシェアの53%が最初の1時間に発生すると仮定しましたが、最初の24時間までにシェアはほとんど無視できる程度に低下します[2]

 

これに加えて、よく知られる「ファクトチェックは膨大な時間がかかる」などの分析を読むことで、法規制の解決性にかなり大きな疑義を突きつけることができます。強い。

 しかし、残念ながら、この引用はディストーションです。論文の結論では、この仮定とは真逆の結果が出たことが示されています。

 

第二に、時間が経つにつれてフェイクニュースのツイートの規模が大きくなり、より広い範囲へ持続的に伝播していることがわかる。これは、フェイクニュースの伝播を長引かせるための、ソーシャルメディア利用者の協調的な努力によるものかもしれない。したがって、フェイクニュースの寿命は長く、その話題性は未来永劫いつでも容易に復活する可能性がある。第三に、真実のニュースのツイート量は初日で急激に減少する一方で、フェイクニュースではそのようなことがない。本物のニュースは1日経つと価値が下がるが、フェイクニュースは人気が持続する。この発見は、ソーシャルメディア上でのメッセージの伝播パターンを分析するためには最初の24時間を考慮する必要があることを示唆した先行研究を発展させる(expand)ものである。実際、最近の研究に依っても、フェイクニュースは真実のニュースと違って24時間の壁を超えてくるという[3]

 

要は、「ニュースの伝播の仕方は一般にこんな感じと言われているから、とりあえずそんな風に仮定を置いてみるよ」「分析してみたらフェイクニュースには仮説みたいな一般論は当てはまらないことがわかったよ」といった研究です。この引用の仕方では、前者の「とりあえず一般論に沿って仮定を置いてみるよ」の部分だけを抜き出しているような形になってしまっています。

 

 

2-2.「『明白に』違法なものだけが削除されている」のか?

 

 解決性の証明、あるいはオーバーブロッキングというデメリットの否定のために、複数のチームが引用していました。たとえば、ある試合ではこのように言われていました。

 

ライプチヒ応用科学大学 リージングら 2021年 和訳[4]

むしろ、苦情の対象となったコンテンツの多くは、3条2項2号にいう「明白な」違法性のあるケースであり、24時間という短期間で問題なく削除できるものであるとも考えられる。時折、法律文献は、迅速にブロックまたは削除されたコンテンツは、「その証拠により綿密な審査」を必要としなかったと述べ、24時間以内の大量の削除を明確に正当化している[5]

 

ドイツ語の原文をDeepLに入れて日本語訳させると、この文が出てきます。「削除は明確に正当化している」……ってどういうこと? みたいな訳の問題もありますが、こんな感じでほとんどそのまま引用されているものを耳にしました。

 また、決勝戦では、よりわかりやすい日本語訳のもと、次のように引用されていました。

 

むしろ、当該コンテンツの多くは、3条2項2号にいう「明白な」違法性のあるケースであり、24時間という短時間で問題なく削除できるものであるとも考えられる。法的文献では、24時間以内の削除の多くは、迅速にブロック・削除されたコンテンツが、「その証拠性から深い検討」を必要としないことを、明確に正当化するものである。

 

ただし、文意のつかみやすさという意味での訳の技術は、問題ではありません。問題は、この後にどんな文が続くかです。節や段落が変わるわけでもなく、この続きはこのような内容になっています。筆者なりに、文の構造よりもわかりやすさを重視して雑に訳すと、こうなります。

 

言うまでもなく、この反論は誤った前提に基づいている。ネットワーク執行法1の3に反するとして処理されるという前提が置かれているが、実際には個別のコミュニティガイドラインに基づいて24時間以内に削除されてしまっている。このガイドラインでの審査のほうが、ネットワーク執行法よりも先に来るので、この理由だけでは刑法/ネットワーク執行法に違反するという証拠になりえないのだ[6]

 

 最初の一文で、ディストーションであることは明らかになります。

 続く内容も、「ネットワーク執行法の適用よりも各社のガイドラインの適用の方が来るので、こちらで処理されるとネットワーク執行法違反としてはカウントされない。ゆえに、オーバーブロッキングが起きていないことの根拠にはなりえない。」といったもので、引用されていた部分を批判・訂正するようなものになっています。

 さらにはこのように続きます。

 

それにもかかわらず、連邦政府はこのデータを「NetzDGの時間制限の実効性を示すもの」として、「迅速な」審査と評価している。が、ソーシャルネットワークに行った質的調査・インタビューでは、逆の結論に達している。Twitterは「法違反が明白なケースは多くない」「明白でないケースの方が多い」と述べる。またYouTubeは、「厳しい納期によって、疑わしい場合でも ただ苦情が届いたというだけでコンテンツを削除する強い動機が生まれている。したがって、ほとんどすべてのケースで削除してしまうという結論に至っている」という。同様に、連邦司法省は、NetzDGに基づきコンテンツの違法性に関して受け取る報告の「圧倒的大多数」は明白ではなく、むしろ「疑わしいケース」であると述べている。しかしながら、これを処理するには複雑で多段階のレビューが必要であり、24時間では不可能なのである[7]

 

さすがにここまで続くと、どう好意的に解釈しても、もとの引用の仕方ではディストーションと判断せざるを得ないのではないかと思われます。

 

 さて、一方で、ここで問題例として挙げている「むしろ、……」の文が載っている節・パラグラフを、ちゃんと頭から読むことでも、おそらくこのディストーションは防げたのではないかと感じます。というのも、この節は次のように始まっているからです。

 

bb) 批判

ここで提示されたテーゼには、次のような反論がありえる。すなわち、「24時間以内に削除される割合が高いことは、法律的に曖昧な場合においても疑いのあるものを早計に削除しているということを、必ずしも意味しない」と[8]

 

この文の次に、「むしろ、……」と続くようになっています。お読みいただければわかるとおり、この節は「このような批判が想定される」「しかし、それは誤りである」という内容になっているわけです。

 

 引用した文の前を読めば「ここで言われているのはあくまで反対意見のアイデアの一つに過ぎないのだな」と、引用した文の後を読めば「ここで言われていたのは誤った前提に基づく反対意見だったんだな」とわかり、どちらか一方でも読んでいればこのディストーションは避けられたのではないでしょうか。

 

 

  3.機械翻訳について (4月8日追記)

 

 このような訳の問題は、どうして起きてしまうのでしょうか?

 2.で見た例は、そもそも文の前後を読んでいないという、基本を疎かにしたがゆえにミスです。一方で、「和訳しての引用におけるディストーション」という問題も確かに存在しているようです。そして、これに関しても、今シーズンに始まったことではありません。(自分は選手として出場してはいませんが、)クォータ制や安楽死のときにも、ある文や節が丸々抜け落ちた形で引用されているものをいくつか見ました。

 この背景としては、DeepLの存在が大きいと見ています。というのも、上のような例において、原文をDeepLに入れてみると まさに試合で読まれていた文が登場する、といったことがしばしばだったためです。すなわち、DeepLに入れて出てきたものをそのまま読んでいるディベーターが少なくない、と言えるでしょう。

 それでは、DeepLの仕様において、どのような問題があるのか。別稿を据えて簡単に考えてみました。→飛ぶ

 

 

飛ばす先だよ

  4.どうすれば防げるのか

 

 最後に、「では、どうしたらよいのか?」を考えます。ただ、ここでは素朴なアイデアを羅列したにすぎません。この記事へのコメントや、TwitterなどのSNS上での反応として、「その対応はイケてないんじゃないか」とか「もっとこういう案もあるんじゃないか」とか、いろいろ聞かせてもらえると嬉しいです。

 

4-1.個人レベルでの取り組み

 

AbstractとConclusionだけでも読む

さすがに最低限これだけは読んでほしいという気持ちです。これをやるだけでも防げるものは大きいと思います。

 

前後を読む

同上です。防げるものは大きいと思います。

 

英語に訳す

今回の論題では、ドイツの事例が鍵となる場面が多く、自然と多くのチームがドイツ語の文献にも手を広げていました。翻訳機を使うにしても、「翻訳機から出てきたものが間違っていないかを判断できる」能力は条件として重要だと思いますが、これについては私もひとのことを言えません。ただ、簡易的な応急策として、このような場合、いきなり日本語に翻訳するのではなく、英語に訳して検討してみるというのは有用であるように感じられます(とくにドイツ語は顕著ではないかと)。

 

先行研究との関係をつかむ

たとえば、2-2.で例に挙げた資料は、リージング(Liesching)らの論文です。しかし、ある程度リサーチを重ねていれば、著者がリージングの文献でこのような内容が書かれているという時点で、「今読んでいる箇所は 先行研究の批判的検討なのではないか」と疑うことが可能だったのではないかと感じます。というのも、リージングがどのような研究者なのかと言えば、オーバーブロッキングは発生していないとするNetzDGの政府報告書を批判的に検討している研究者と位置づけられるからです。リージングの論文自体を隅々まで読んでいなくても、フェイクニュース法規制・NetzDGに関する研究をレビューした記事(論文に限りません!)を参照することでも把握できるでしょう[9]

このように、特にその研究領域においてメジャーな論文などであれば、当該研究の位置づけを周辺情報からメタ的に把握することでも、ディストーションの危険を減らすことができると思います。

 

 

4-2.集団レベルでの取り組み

 

エビデンスチェック

英語ディベートでは、事後的に「第○試合で使った資料を提出してください~」とランダムに指定され、全チーム提出を求められるような制度があると聞きます(JDA-MLでもたまにお知らせが流れてきますね)。日本語訳して引用した資料に限ってこのような運用をやる可能性は検討できるかもしれません。ただし、誰がどんなふうに審査するのか、リソースはどうするのかなど、考えなければいけないことは多そうです(自分がJDA理事としての務めをちゃんと果たせてないので……自分の仕事をちゃんとやったうえで、大会局のほうでこのような対応を検討することがあればお力添えさせてください)。

 

証拠資料の日本語への限定

個人的には採りたくない方法です。たとえば死刑論題をやる際に、死刑に関しての研究が世界的に蓄積されているアメリカの研究に触れずに議論するのは、なんだか空洞を感じるようです。しかし、誤った議論が展開されるよりはマシなのではないかという意見もよくわかりますし、選択肢の一つには入ってくるのではないでしょうか。

 

制裁の強化

現在でも規程上は敗戦や失格になりうる旨が明記されていますが、適用例はほとんどないと認識しています。

 


[1] Anjan Pal (School of Communication and Information Nanyang Technological University Singapore) & Alton Y. K. (Chua School of Communication and Information Nanyang Technological University Singapore) . (2019).“Propagation Pattern as a Telltale Sign of Fake News on Social Media”. The 5th International Conference on Information Management. https://ieeexplore.ieee.org/abstract/document/8714679

[2] To explore propagation pattern, the data had to be further sampled and spaced in time. This periodicity or sampling frequency was, therefore, a consequential parameter that would impact the trends that could be extracted during subsequent analyses. To set a suitable periodicity, the literature was reviewed. In particular,  postulated that 53% of shares on social media platforms occur within the first hour but by the first 24 hours, the shares are lowered to almost negligible.

[3] Second, as the time passes on, the growing volume of tweets for fake news indicated its sustainable propagation to achieve a wider reach. This could be due to the coordinated efforts of social media users to prolong the propagation of fake news [16], [33]. Therefore, fake news may have a longer life existence, and their buzz can be revived easily any time in future. Third, results indicated that the tweet volume of real news dropped drastically after the first day. However, this was not true for fake news. While real news seems to lose its value after a day, fake news sustains its popularity. This finding extends previous works [31], which suggested that an analysis of message propagation pattern on social media needs to take into account the first 24 hours. In fact, according to the present study, propagation pattern seems particularly insightful beyond the first 24 hours when it comes to separating fake news from real news.

This study has the following contributions. On the theoretical front, it fills the gap in current literature relating to the study of fake news by distinguishing them from real news in terms of online propagation pattern. Therefore, this study extends the literature of fake news by examining its propagation pattern on social media. On the practical front, the unique propagation patterns can be tapped to detect fake news. It is imperative to acknowledge several limitations of this study. First, although the investigation could offer valuable insights into the propagation pattern of fake news and real news in Twitter, it was challenging to generalize the distinction due the small sample size, taken from a specific backdrop (the 2016 US presidential election), within a specific time frame. This study involved 20 fake news and 20 real news, which hardly covered a wide range of news topics. Future research could expand the focus further by considering a wide range of topics, which would help to increase the volume of the dataset to achieve a greater generalizability. Second, while this study solely focused on the propagation pattern of fake and real news, future research could focus on linguistic properties as well. Third, this study was exploratory in nature. Interested scholars should consider a similar investigation with big data, on which sophisticated computational algorithms and statistical procedures could be applied.

[4] M. Lieshing, et al. (2021). Das NetzDG in der praktischen Anwendung: Eine Teilevaluation des Netzwerkdurchsetzungsgesetzes. Schriftenreihe Medienrecht & Medientheorie, 3. Carl Grossmann.

[5] Vielmehr könnte auch angenommen werden, dass es sich bei den meisten der beschwerdegegenständlichen Inhalte um Fälle einer „offensichtlichen“ Rechtswidrigkeit i.S.d. § 3 Abs. 2 Nr. 2 handelt, die gerade innerhalb der kurzen Frist von 24 Stunden problemlos gelöscht werden können. Vereinzelt wird in der Rechtsliteratur eine Vielzahl von Entfernungen innerhalb von 24 Stunden explizit damit begründet, dass die schnell gesperrten bzw. gelöschten Inhalte „auf Grund ihrer Evidenz keiner vertieften Prüfung“ bedurft hätten.

[6] Dies basiert freilich schon auf der Fehlannahme, dass die Löschungen innerhalb von 24 Stunden tatsächlich wegen (offensichtlichen) Verstößen gerade gegen die in § 1 Abs. 3 NetzDG genannten Straftatbestände erfolge; richtigerweise werden die meisten Löschungen in Tagesfrist nach den vor rangig geprüften Community-Richtlinien vorgenommen58 und können schon deshalb nicht als Beleg für eine Evidenz von Verstößen gegen StGB/NetzDG dienen. (S. 108)

[7] Dessen ungeachtet bewertet auch die Bundesregierung die „schnelle“ Prüfung sogar als „Indiz für die Praktikabilität der Fristvorgaben des NetzDG“. 59 Zu einer gegenteiligen Einschätzung kommen die im Rahmen der qualitativen Studie befragten Sozialen Netzwerke selbst, insbesondere Twitter und YouTube. Der Anbieter Twitter gibt in Übereinstimmung mit Schwartmann60 an, dass es „nicht viele“ 61 offensichtliche Fälle gebe, sondern überwiegend solche, bei denen eine Offensichtlichkeit einer (Straf‐)Rechtsverletzung gerade nicht vorliege. Auch YouTube gelangt zu der Einschätzung, dass die engen Fristen starke Anreize dafür setzten, Inhalte auf bloßen Zuruf im Zweifel und damit in fast allen Fällen zu sperren, da die Feststellung der Rechtswidrigkeit der meisten Straftatbestände nicht ohne Zweifel möglich sei.62 Ebenso stellt das Bundesamt für Justiz bei den dort anhängig werdenden Prüfungen zur Rechtswidrigkeit von Inhalten nach dem NetzDG fest, dass es sich bei der „weit überwiegenden Anzahl“ der Meldungen nicht um offensichtliche, sondern vielmehr um „Zweifelsfälle“ handele.63 Für die Bearbeitung wird dort indes auch ein aufwändiges mehrstufiges Prüfverfahren als erforderlich angesehen, das in 24 Stunden eher nicht umgesetzt werden kann.

[8] Der dargelegten These könnte entgegengehalten werden, dass ein hoher Anteil von innerhalb von 24 Stunden erfolgten Entfernungen nicht zwingend für eine zu schnelle Zweifelsfall-Löschung in rechtlich nicht eindeutigen Fällen sprechen muss.

[9] たとえば、これらの記事。

BR24(Bayerischer Rundfunk, バイエルン放送) 2021年3月26日 "Overblocking: Wird seit dem NetzDG mehr gelöscht als nötig?"
https://www.br.de/nachrichten/netzwelt/overblocking-wird-seit-dem-netzdg-mehr-geloescht-als-noetig,SSge2C3

heise online 2021年3月24日 "Studie: Netzwerk-Durchsetzungsgesetz bringt wenig und führt zu Overblocking"

https://www.heise.de/news/Studie-Netzwerk-Durchsetzungsgesetz-bringt-wenig-und-fuehrt-zu-Overblocking-5996973.html

 

  はじめに

 

 はじめまして! ざわざわです。

 この文章では,私が2022春JDAで行ったいくつかの原稿をご紹介したいと思います。

  1. 免責CP
  2. 現状topical
  3. 「もしくは」topicality

 

 

 

  1. 免責CP

 

 ⑴  概要

 今回の論題は「日本はフェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである」でしたが,フェイクニュースの削除につき事業者の民事上の損害賠償責任を免責するカウンタープランを試みました。

 ⑵  問題意識

 最初に今シーズンの論題を目にした時,「法規制」という言葉が気になりました。法規制といえば,「やっちゃだめ」というルールとそれに違反した場合の罰(罰の有無が「法規制」の要件となるかは議論の余地があります)がセットとなるイメージがあります。そうだとすれば,あえて規制を緩和する方向でプランと同様の効果を得ることができれば,強いカウンタープランになるのではないかと考えました。

 そのような中,プレパの一環で読んだ,生貝直人『情報社会と共同規制』が共同規制(法による直接規制ではなく,事業者による自主規制を法で促す仕組み)という興味深いフレームを紹介していたので,この本を下敷きにして議論を組み立てました。

 ⑶  実際にやってみた

 本戦では用いませんでしたが,練習試合では何回か使用しました。

 難点としては,免責というオプションが提示されたとして,プラットフォーマーがそれに乗っかるのかとの点の立証が必要になることで,このあたりの立証に時間を割く必要があり,その分,ケースアタックに充てる時間が圧迫されてしまうことから,本戦では使用しないこととしました。

 ⑷  振り返り

 法規制ではなく,免責(規制緩和)で同様の効果を得られないかという問題意識自体は良かったと思うのですが,ディベートの平面で議論を実現しようとすると,なかなか難点がありました。

 

 

  2. 現状topical

 

 ⑴  概要

 今回の論題は「日本はフェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである」でしたが,現状の法規制が既に「フェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入」した状態であると主張し,その状態が望ましいとすることで論題の肯定を試みました。

 ⑵  問題意識

 最初に今シーズンの論題を目にした時,否定側が優位であると直感しました。というのも,フェイクニュースそれ自体を一律に規制するメリットが描けないように思えたのです。

 フェイクニュース現象自体は確かに現代的な課題ですが,それはフェイクニュースがインターネットを通じて即時かつ広範に拡散されやすくなった点が現代的なのであって,嘘の情報・噂を流すこと自体は古今東西ありふれた事象です。そうだとすれば,既に必要な規制はある程度行われているはずです。さらに,法律家の卵としては,実害があるから規制が行われるのであって(刑法学では保護法益の内容が問題になります),実害の有無に着目せずにフェイクニュース規制を行うことには無理があるのではないかと,規制の必要性について疑問に感じていました。

 そこで,嘘の情報・噂によって生じる害悪に着目し,これを防ぐために導入されている法規制を検討することで,現状が既に論題を充足しているといえないかと考え,現状topicalの議論を組み立てました。なお,今回の論題は,フェイクニュースの発信・拡散防止を「目的」として規定しており,フェイクニュースそのものを規制することの是非ではないという点も,現状topicalを可能にした一因であると考えています。

 ⑶  実際にやってみた

 実際にやってみて感じたことですが,現状topicalで本気で勝とうとすると,相当説明が必要になります。現状が論題肯定的であることの説明のために,論題の字句を丁寧に解釈していく必要がありますし,それに現状の制度を当てはめていくことが求められます。

 また,2AC,1ARの役割分担をしっかりと練ることが重要であると感じました。具体的には,1ACで①現状が論題を充足していること,②現状が望ましいことの2点を一通り説明できた場合,2ACでは二通りの戦略が考えられます。第1は,①又は②の補足説明,具体的には事例の追加をすることが考えられます。第2は,プランによる論題肯定を試みることが考えられます。セオリー的には,オルタナティブ・ジャスティフィケーションということになるでしょうか。

 実戦では,第2の戦略をとることとしましたが,ジャッジの方からは第1の戦略の方が望ましかったのではないかとの指摘を受けました。せっかくやるなら,第1の戦略で立場を貫徹させた方が良かったのではないかとのご指摘であり,その通りだったとも思う反面,「勝つ」ことを意識した場合,どちらの戦略に出るべきだったかは今でも悩んでいます。

 ⑷  振り返り

 「導入」の文言解釈が争いうるようにも思いますので,決して強い議論であったとは思いませんが,結果的に勝つことができました。

 現状topicalの実践例としてご紹介できたなら幸いです。

 

 

  3. 「もしくは」topicality

 

⑴  概要

 今回の論題は「日本はフェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである」でしたが,「もしくは」という言葉に着目し,発信と拡散の双方を規制するプランはnon-topicalであるとの主張を組み立てました。

 ⑵  問題意識

 今シーズンの論題を目にした時,「もしくは」という言葉が気になりました。中黒(「・」)で結ばれることが多いと思うのですが,なぜ「及び」でもなく「又は」でもなく「もしくは」なのだろう? ちょうど論題発表の頃に法制執務のテキストを読んでいたこともあり,この辺りが妙に気になってならなかったのです。

 ⑶  実際にやってみた

 ジャッジの方に投票していただくことはできませんでした。その理由は必ずしも明らかではありませんが,「発信」が「拡散」を包含しているのではないかとの指摘を重視したものと理解しています。

 ⑷  振り返り

 対策は可能だと思いますが,初見でやられるとしっかり時間をかけて反駁する必要があり,それなりに手強い議論ではないかと思いました。

 姑息な議論だとの批判は想定していますが,論題の字句と真剣に向き合った結果の議論ですので,面白がってもらえれば幸いです。

 

 

  おわりに:今シーズンを振り返って

 

 今シーズンは論題の字句と向き合うシーズンになりました。せっかく1シーズンかけて議論を作るのだし,論題に真剣に向き合ってみようとやってみた結果が上の通りです。至らない点や穴があることは重々承知していますが,面白がっていただければ幸いです。

 来期も出場するかは決めていませんが,次出場する際も論題と真剣に向き合って議論を構築していけたらと思います。

 

 

 

 

***** 以下原稿 *****

 

 

  【①免責CP】

 

 観察

1.インターネットのような先端技術の世界は、技術の進歩や国際競争が激しく、規制に必要な情報について政府がアップデートすることは困難です。そのため、規制の主体は政府ではなくプラットフォーマーであるべきです。

経済産業省 2020 

技術やビジネスモデルが急速に変化するとしても、法が最終的に確保すべき財産・生命・心身の安全、プライバシー、民主主義、公正な競争といった目的(ゴール)は大きく変化しない。技術やビジネスモデルは、これらの価値を実現又は毀損する要素にすぎず、法がこうした技術やビジネスモデルについて細かにルールを規定する必要性や妥当性は低いばかりでなく、一定の技術を他の技術より優遇してしまう点で、イノベーションを害する可能性もある。したがって、法は、最終的に保護されるべき目的(ゴール)を技術中立的に策定する役割を担い、それをどのような技術的手段やビジネスモデルで達成するかについては、政府ではなく民間主体の自主的な取組みに委ねることが望ましいと考えられる。

現状でプラットフォーマーは偽ニュース対策のモチベーションを持っています。事実、EUとの間で対策を行うことの合意をしています。

朝日新聞 2020

英国のEU離脱の際、情報工作の影響を受けた可能性が指摘されるEUは、18年に設置された有識者会合でグーグル、アップル、FB、アマゾンのIT4社(GAFA)に対し、虚偽情報を流す広告主を排除するなどの対策を自主的に講じるよう要請した。(中略)ツイッターやフェイスブックなどSNS事業者やプラットフォーマーに対して、フェイクニュース対策をすることを強く要求。フェイクニュースを流布する目的の広告主の自主的排除など、共通の行動規範を策定して順守することを求め、2018年9月に合意した。

 

2. しかしながら、日本において、プラットフォーマーはフェイクニュース規制に踏み出せません。現状の法制度では、SNS事業者がコンテンツを削除する場合、原則として損害賠償責任が生じます。そして、賠償責任を負わずに削除するためには、コンテンツの違法性の検討や同意手続き等にコストがかかります。

京大 東川 2011

プロバイダ責任制限法では、民事責任からの免責を定めており、①権利侵害を知っていたとき、②知ることができたと認めるに足りる相当の理由があるときに責任を負う。同法の解釈は、実体法上、表現者は真実性・相当性の立証により免責されることから違法性阻却事由に当てはまらないこともプロバイダが判断した上で、送信防止措置をとることから内容にまで踏み込んで判断を行う事務的な負担は大きい。また、発信者との関係においてプロバイダが損害賠償責任を負わないために、相当の理由が求められていることや、発信者に対する同意手続き等も含めて、権利侵害情報の削除までに時間を要することから権利救済までの間、権利侵害が拡大する可能性がある。

そのため、「表現の自由」を盾に、削除に慎重な姿勢を取る事業者が多いです。

龍谷大 教授 金 2018

日本では、申し立てた場合も対応に1ヶ月以上かかります。そのうえ「表現の自由」を盾に、ほぼ対応されないのが現実です。理由は、自社の判断で削除すると、今度は情報を掲載した側から訴訟を起こされるリスクがあるからです。

 

以上から、フェイクニュースに対しては政府が直接規制するのではなく、プラットフォームの自主的な規制を促進する施策が求められます。

そこで以下のカウンタープランを提出します。

1. インターネット・サービス・プロバイダが利用者の違法なコンテンツを削除した場合の事業者の当該利用者に対する損害賠償責任を次の条件を満たした場合に免除します。

A現行の刑罰法規に違反すると思われるコンテンツを、利用者が簡単に苦情として報告できるよう、苦情受付(報告)サイトを設置すること。

B違法であることを理由にコンテンツを削除した場合は発信者に通知することとし、発信者がこれに異議を唱えた場合は苦情を申し立てた者が訴訟を提起しない限り、コンテンツは復活する。

C事業者は、苦情をどう処理したかについて、半年ごとに報告書を作成し公表する。

 

非命題性

今回の論題は、「日本はフェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである」です。カウンタープランは法規制にあたりません。なぜなら、「法規制」とは、法で制限を設け、違反したものに制裁を課すという仕組みだからです。

経済産業省 2021

法規制は、社会における主要なガバナンスメカニズムの一つである。 これは、民主的正統性を有する国が具体的なルール(法律・規則等)を制定し、規制当局がモニタリングを行い、問題が発覚すれば規制当局や司法がエンフォースメント(行政罰・刑事罰等)を科すというモデルである。

今回は免責しているだけでプラットフォーマーの行動を制限していないので非命題的です。

 

競合性および優位性

カウンタープランはメリットを一部キャプチャーし、固有のメリットが発生します。

1.メリットのキャプチャー

A.事業者は速やかに違法と思われるコンテンツを発信・拡散できないようにします。カウンタープランのモデルとなったアメリカの制度、ノーティスアンドテイクダウンについての説明。

飯島国際商標特許事務所 2016

DMCAにおいては、インターネット上で著作権侵害行為が発生したときに、当該情報を削除すればプロバイダが免責されるという規定があるため、代表的なインターネット検索サービス「Google」などは、DMCAに基づいて削除申請を受けると、その検索結果から情報を削除する運用をしています。そして、この削除申請自体は非常に簡単なもので、著作権侵害の報告フォームに著作権対象物の情報や著作権者の情報などを入力し、送信するだけで、数時間で検索結果から削除されます。

 

B.そしてフェイクニュースには現行法の規制が適用できるものが多いです。

関西大学 水谷 2020

こうした「偽情報」のうち「違法」なものに対 する法的な対策として、すでに我が国においては、 いくつか法制度が存在している(板倉 2017)。  例えば、「偽情報」によって個人や企業に対する 法益侵害が起こった場合には、刑法または民法上 の名誉毀損でこれに対処しうる。

 

2.固有のメリット

A.あるコンテンツが違法なものであるかどうかは、プロバイダと利用者で争わせるよりも、そのコンテンツの発信者と被害者の間で争わせるのが適切です。

文化庁 2000

このような手続をサービス・プロバイダーの作為義務として規定することについては、表現の自由の萎縮効果が大きいこと、あらゆる通知に対して画一的な対応を義務づけることとすると、明らかに問題があると思われる通知についてもサービス・プロバイダーとしては責任を問われないために削除せざるを得なくなること、また、作為義務として規定することにより、権利者はその義務の履行を求めてサービス・プロバイダーに対して訴訟を提起することができることとなるが、サービス・プロバイダー側からすると、当該著作物を削除するかしないかは自らの権利に無関係であり、サービス・プロバイダーが訴訟当事者となることは実質的な意味を有しないことが考えられる。したがって、サービス・プロバイダーの義務として規定するのではなく、権利侵害を主張する者からの通知を受けたサービス・プロバイダーが削除等を行った場合にはサービス・プロバイダーは民事上の責任を負わないこととする特別の手続とすることが適当である。

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[予備]

東京藝大特別研究員 生貝 2011

しかし情報技術の急速な発展とそれにともなう社会構造の変化、そして制作課題の複雑化・専門化は、その前提を大きく逆転させつつある。インターネット関連のビジネスのように技術面・ビジネス

面での変化が著しく、国際的な競争が激しい分野においては、過度の規制や誤った規制はイノベーションを阻害し情報社会の健全な発展を害するのみならず、利用者の利便性を害することにもなりかねない。適切な規制は、その規制対象についての知識を十分に有する主体にしか行えない。

 

そのため、フェイクニュースに対抗していくためにはプラットフォーマーが規制の主体となるのが合理的です。

東京藝大特別研究員 生貝 2011

そうした分散的なエンド・トゥー・エンドのデジタル・ネットワーク環境において、サービス上のコンテンツに対する一定程度集中的な管理能力を持つプロバイダは、インターネット上のコントロールポイントとしての役割を果たしうる。法執行の効率性や実効性という観点からすれば,公的機関としては違法行為を行う個々の利用者に目を向けるよりも,コミュニケーションの媒介者であるプロバイダをいかにコントロールし,規制者の代理人として振る舞わせるかということが,主要な焦点として浮かび上がるのである。

 

 

 

 

  【②現状topical】

 

肯定側は、①現状が論題に合致すること、②現状を肯定することの2点から、論題を肯定します。

 

論点1 現状が論題に合致している説明

A.論題の解釈 

1 今回の論題は「日本はフェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである」です。

 

2 フェイクニュースの定義

総務省HPから口頭引用すると,フェイクニュースとは「何らかの利益を得ることや意図的に騙すことを目的としたいわゆる「偽情報」や,単に誤った情報である「誤情報」や「デマ」などを広く指すもの」です。

このため、フェイクニュースの発信・拡散とは、偽情報・誤情報を発信・拡散することです。

 

3 「ため」の解釈

助詞の「ため」は目的を表します。日本最大の国語辞典における「ため」の説明。

日本国語大辞典

助詞。「が」「の」の付いた体言、または用言の連体形に接続し、形式名詞として用いることが多い。「に」を伴うこともある。(中略)行為などの目的を表わす。めあて。…という目的で。

このため、フェイクニュースを直接規制するものでなくても、フェイクニュースの発信・拡散を防ぐことが目的の法規制であれば、論題を充足します。

 

B.現状の法律の分析

1 業務妨害罪

現行刑法233条は偽計業務妨害罪であり,以下の内容を定め,「虚偽の風説の流布」を禁止しています。

刑法第233条 

虚偽の風説を流布し,又は偽計を用いて,人の信用を毀損し,又はその業務を妨害した者は,三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する。

 

ここでいう「虚偽の風説を流布し」の定義は次のように解されています。

東大名誉教授 西田 2012

「虚偽の風説を流布し」とは,客観的真実に反する噂・情報を不特定又は多数の人に伝播させることをいう。名誉毀損とは異なり,公然性は必要でないから,少数の者に噂を伝達する場合を含む。

このため,業務妨害罪は,偽情報や誤情報を発信・拡散する行為を犯罪行為としています。

 

2 薬機法

薬機法66条は,医薬品に関する虚偽情報を発信拡散する行為を禁止しています。違反した場合は,刑事罰だけでなく,措置命令や課徴金の対象になります。

弁護士 近藤 2021

先般、医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下「薬機法」といいます。)が改正され、令和3年8月1日から、医薬品、医薬部外品、化粧品、医療機器または再生医療等製品の「名称、製造方法、効能、効果または性能」に関する虚偽・誇大広告(薬機法66条)を行った者に対し、対象商品の売上(最大3年間)の4.5%の課徴金が課される制度が始まっています。また、同時に、上記の虚偽・誇大広告を行った者に対し、その行為の中止命令、再発防止措置の実施やそれらの実施に関連する公示などの措置命令が出される制度も始まっています。

 

C.現状が論題に合致していること

1 「法規制」該当性

「法規制」とは、法で制限を設け、違反したものに制裁を課すという仕組みをいいます。

経産省 2021

法規制は、社会における主要なガバナンスメカニズムの一つである。 これは、民主的正統性を有する国が具体的なルール(法律・規則等)を制定し、規制当局がモニタリングを行い、問題が発覚すれば規制当局や司法がエンフォースメント(行政罰・刑事罰等)を科すというモデルである。

 

Bでみた法律はいずれも対象となる行為を禁止した上で、違反した場合に刑罰や課徴金を課しています。このため、「法規制」に該当します。

 

2「発信拡散を防ぐため」該当性

刑罰規定の目的は,その対象となる行為をやめさせることにあります。

中央大教授 井田 2018

刑法は,ピストルを構えて被害者を殺そうとしている犯人を背後から羽交い締めにしてその行為を物理的に阻止することができるわけではない。そうではなく,刑法の規定の存在と内容があらかじめ一般の人々に告知されていることを前提に,現に行われてしまった殺人行為に刑罰法規が適用され,その行為に対する法の側からする否定的評価が示され,その評価に見合った制裁が科せられることにより,将来の潜在的・可罰的行為者の意思決定に対して影響が生じ,その者が「やめておこう」と考えるに至ったとすれば,刑法はその機能を果たせたことになる。

 

業務妨害罪は「虚偽の風説を流布」する行為を、薬機法は虚偽広告を規制しており、これらをやめさせることが目的があります。

このため、いずれの法律もフェイクニュースの発信もしくは拡散の防止のためのものといえます。

 

以上から,現状,フェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐための法規制は導入されています。

 

論点2 現状の肯定

 

現状の法規制は正当化できます。

 

1 デマによる損害は深刻です。

弁護士ドットコム 2020

デマによる損害は,想像以上に大きなものです。本来はデマを流す側がデマであることを証明すべきなのに,デマを流された側が潔白であることを証明しない限り,いつまでもインターネット上で晒され,嫌がらせを受け続けます。

個人であれば自殺まで追い込まれる可能性がありますし,法人であれば倒産する可能性もあります。

 

これに対して業務妨害罪は,フェイクニュースを規制しています。処罰した実例です。

朝日新聞2020

新型コロナウイルスの感染者がいるといううその情報を流し,山形市内の飲食店の営業を妨害したとして偽計業務妨害の罪に問われた山形市の渡辺達也被告(28)に対し,山形地裁(土倉健太裁判官)は12日,懲役10カ月,執行猶予3年(求刑懲役10カ月)の判決を言い渡した。判決によると,渡辺被告は飲食店への入店を断られた腹いせに,3月下旬から4月上旬にかけて,SNSに「コロナ感染者がいるからみなさん行かないでくださいねー」などと計8回投稿し,営業を妨害した。

土倉裁判官は「被害店舗はコロナの影響で客足が遠のいていた。また,多くの人がこの問題への対応に努力する中,虚偽の風説を流布するのは極めて悪質だ」と述べた。

 

 

2 医薬品の情報の正確性は重要です

日本OTC医薬品協会 HP

医薬品は、人の生命と健康を守るものといった商品特性を考えれば、その広告についても一般消費財とは異なる倫理観が強く求められ、手法および表現内容には自ずと制約があることは言うまでもありません。

医薬品の広告は、生活者の方々に医薬品の適正使用を促すための情報であって、誤用を招いたり、安易な使用による乱用・連用を促すようなものであってはなりません。

 

課徴金制度の導入を含む薬機法の改正は昨年行われましたが、早速広告業界に対応を促しています。

ダイヤモンドシグナル 2021

化粧品大手のポーラ・オルビスホールディングス(以下、ポーラ)が38億円で買収して話題となった、パーソナライズサプリメント「FUJIMI」などを展開するトリコはどうだろうか。改正薬機法対応に向けた同社の対応について代表取締役社長の花房香那氏に取材を依頼したところ、「今回の取材は遠慮させていただきたいです」という回答があった。

改正薬機法の対応に関して、トリコが発言を控える背景には2月に公開した「不適切な表現に関するお詫び」というタイトルのプレスリリースが関係していると見られる。

そこでは「ホームページ等、自社発信の情報に関する調査の過程で、一部のページの記載に疑義があった」、「インフルエンサーの方々の投稿および自社ホームページ、SNS を含むお客様とのコミュニケーションについて不適切な表現があった」などと説明している。薬機法違反には言及していないが、この出来事をきっかけに同社が何かしらの対応を迫られたことは間違いない。

 

 

3.情報化が進んだ現代社会では,情報の拡散スピードは早く,規制の必要性は大きいです。

弁護士 沼田 2021

企業がフェイクニュースやデマ情報によって危機に立たされるといった事案は,過去にも存在しましたが,現代では,SNS等の普及により一般の利用者でも容易に情報発信が可能であり,また,多くのユーザがインターネット上のプラットフォームを通じて情報に触れることから,情報が広範囲かつ迅速に伝播する状況にあります。とりわけ,虚偽の情報はSNS上において正しい情報よりも早く拡散する傾向にあるとも指摘されています。

 

 

 

 

  【③「もしくは」topicality】

 

1. 論題は,「日本は,フェイクニュースの発信もしくは拡散を防ぐため、法規制を導入すべきである。」です。肯定側のプランは「発信もしくは拡散」を防ぐものでなければなりません。

 

2.「もしくは」とは,選択肢を意味する接続語であり,並列された概念のいずれか一方を指示する言葉として用いられています。

広辞苑第7版より「もしくは」の意味を引用すると,「または。あるいは。もしは。どちらか一つを選択する場合を表す。」とされています。

このことは、ほかの言葉と比較したときにはさらに明瞭になります。

小学館類語例解辞典
1「または」は、二つのもののうちの一方を捨てて一方だけをとる場合や、どちらでもよいという許容を表わす場合に用いる。
2「もしくは」は、複数のうち、そのいずれかを選ぶ場合に限って使われる。


​ゲームのルール上、特別な必要性がない限り、論題は国語的に解釈すべきです。なぜなら、辞書的解釈以外では予見可能性を害し、不公平な試合展開を招くからです。

中央大教授 酒井 2013

「文理解釈」とは、「法令の規定を、その規定の文字や、文章の意味するところに即して解釈をする」という意味です。恣意的な解釈の排除という趣旨や、あるいは 法的安定性・予測可能性の要請という点からは、「文理解釈」は最も優れていると言われています。

論題もルールの一部ですから、辞書的な解釈を第一にすべきです。


3.以上を踏まえると,「発信」「拡散」のいずれか一方のみを防止するための法規制を導入するプランでなければ,論題適合的とはいえません。
 肯定側のプランは、

(プラン内容:投稿削除→情報の発信も拡散もできなくなる→どちらも規制しているよね)

「発信」と「拡散」の双方を防止するための規制を導入するものとなっており,プランと適合していません。

 

また,肯定側の立論の中身も改めて確認してください。

内因性/解決性/重要性の(_)では,発信による問題点が指摘されています。

一方で,内因性/解決性/重要性の(_)では,拡散による問題点が指摘されています。

これは,明らかに、肯定側が発信と拡散の両方を防ぐために法規制を導入しようとしていることを示しています。

 

4.トピカリティは絶対的な投票理由ですから,以上の議論が認められれば否定側の勝ちです。