問題意識

 

 競技ディベートではコンフリクトと呼ばれる制度があります。主には英語即興ディベートで一般化したものが、近年は日本語即興ディベートでも用いられ始めています。しかしながら、ある種コンフリクト黎明期とでも呼びうる現状では、その運用において誤解が生まれているようにも感じます。というのも、まさに自分自身が大会運営に携わる中で誤解していて、調べたり英語即興ディベートをやっている人から話を聞いたりして理解することがあったからです。

 本稿では、そもそもコンフリクトとは何なのかを概観したうえで、大会運営において実際にどのように運用していけばよいのかという実践的見地から、英語即興ディベート大会での資料などを参照しながら検討してみたいと思います。

 

要点

  • コンフリクトは、本来的には選手-選手間ではなく選手-ジャッジ間に適用される制度である。
  • コンフリクトが申請されたことは、被コンフリクト者には基本的には伝えない。
  • 制裁は最終手段であり、全体アナウンスや当人への警告といったより穏当な対策を経たうえで初めて課される。

 

 

  コンフリクトとは

 

 そもそもコンフリクトとは何なのか。ジャッジと選手の間になんらかの関係があり、それが試合に影響しそうな場合に、そのジャッジがその選手の試合には入らないようにする制度のこと、と言ってよいでしょう。大会前に、選手へジャッジリストが、ジャッジへ選手リストが配られ、コンフリクトに該当すれば申請するという手続きがとられます。

 そんなコンフリクトには、大きく2つあるようです。1つは institutional conflict, もう1つは personal conflict や individual conflict と呼ばれるものです。英語を並べてるとあべさんに怒られるので、前者を団体コンフリクト、後者を個人コンフリクトと呼ぶことにしましょう。

 前者については、すでに日本語ディベートでも広く浸透していると思われます。団体コンフリクトは、選手とジャッジが同じ団体に所属する場合に発生します。たとえば、私が母校であるB高校の参加する試合のジャッジに入ることはない、といった慣行です。

 ということで、ここで問題になるのは後者の個人コンフリクトです。さまざま読んでいる限りでは、英語即興ディベートにおいても個人コンフリクトは団体コンフリクトの後に生まれ到来したようで[1]、その時系列を日本語即興ディベートは今追体験しているように思われます。

 個人コンフリクトは、団体の所属ではなく、属人的な要素から生じるコンフリクトです。多くの大会では、以下のような要素が外延的に列挙されるようにお見受けします[2]。

 

  • 恋愛関係に限らず、親しい間柄である。
  • 複数回チームを組んだことがある。
  • 上司/部下や、コーチした/されていたなどの上下関係がある。
  • なんらかの敵対関係にある。

 

「コンフリクト」といっても、「対立」関係に限らず、恋愛関係や指導-被指導関係も含みます。ざっくり、「外から見た時に、その関係を理由とした特別な考慮が判定に影響すると『思われる』」場合にはコンフリクトが認められるようです。実際に影響するかどうか以前に、そう「思われる、見られる」時点で切っておく感じですね。そこは団体コンフリクトと同じ構造です。

 

 

  コンフリクトにまつわる誤解

 

 さて、日本語即興ディベートでも個人コンフリクトが導入されつつありますが、そこではひとつの誤解が起きがちなのではないかと感じています。それは、コンフリクトが元来は選手-ジャッジ間に限って適用される制度であるのに対して、選手-選手間にも適用されていることです。(自分が運営に携わっている大会では、そのように選手間でのコンフリクトも含む方向でコンフリクト制度の準備をしていたところ、英語即興ディベート経験者から一般的にはそうではないと聞き、修正しました。)

 もしかすると、「誤解」ではなくて、意図的にコンフリクトの意味を拡張して選手間にも適用している大会もあるかもしれません。それはそれで良いと思います。別に原義に忠実に従わなければいけないわけでもないし、「より快適なゲームができるようにしよう!」という工夫は尽きないものです。が、そのときの運用の仕方に問題がある(たとえばコンフリクト申請があった事実を本人に伝えちゃう、とか。次節で詳述。)と、一部の人の快適さのために 別の一部の人に不快さを与えることになるかもしれません。その点には、常に注意が必要だなと、自分が大会運営にかかわるときも怯えるほどに気をつけているところです。

 

 

  コンフリクト of コンフリクト

 

 桃から生まれた桃太郎、というわけではないけれど、そのようなコンフリクト制度の運用は、かえって対立・軋轢という意味でのコンフリクト太郎を新たに生み出してしまうのではないかと危惧します。選手や運営メンバーからのコンフリクト申請を理由に、コンフリクト申請された選手の参加を許可しない大会もあったと聞きます。このような場合、たとえば以下のようなコンフリクトが生じてしまうのではないでしょうか。

 

コンフリクト申請された人が傷つく

 そもそもコンフリクト制度は、「あなたにコンフリクト申請した人がいましたよ」と伝えるものではありません。(個人的には、少なくとも現時点では、伝えることが何らかのメリットを生むようにも思えません……。)

 まず、その事実を知った当人は、あまり良い気はしないでしょう。大会に参加しても、「今日 当たらないチームの誰かが 私のことを嫌っているらしい」と気になってしまうかもしれません。あるいは、より特定的に、「誰だ、そんなことしたやつは……?」と ”犯人” さがしをしてしまうかもしれません。こうした行動をとることは、被コンフリクト申請者が悪いわけではないように思われます。そう言われたら気になっちゃう人が多いでしょうし、自然なことなのではないかと。

 そもそも伝えないでいい情報ですから、大会運営側としては、むしろコンフリクト関係の情報が外部に漏れることがないように細心の注意を払うべきなのではないかと考えます。

 

コンフリクト申請しづらくなる

 上の点とも関連しますが、コンフリクト申請するとその相手に「コンフリクトが出された」と伝わることを知った場合、ほかの参加者が コンフリクト申請したいのにできないという状態になるかもしれません。「『自分にコンフリクト申請が来た』ということで相手に嫌な思いをしてほしくはないな」と感じる人や、「匿名での申請制度であっても、この参加者プールだったら あの人にコンフリクト申請するのは自分しかいないとすぐバレてしまうかもしれない」と恐れる人も出てくるでしょう。

 

大会運営の今後に支障が出る

 個人運営の私的な大会であれば、多少の勝手は許容されるかもしれません。あくまで趣味の延長線で、自分たちにとって楽しい空間を創出できればよいわけですから。

 一方で、たとえば大学公認団体として大会を開催する場合、当該大学の理念に反していないかチェックしていた方が賢明だと思います。大学のポリシー(アドミッション・ポリシー、ディプロマ・ポリシー、カリキュラム・ポリシーなど)や、もし自分たちで作った部則などあればそれも、参照するのがよいでしょう。英語即興ディベートでは部ごとに作られた equity policy もあるそうです。

 「自分たちに不利益が出るからやめたほうがいい」という理由づけは適当ではないのですが、やはり留意するに越したことはないと思います。とくに、部として認定されるためにがんばっている、大学の名前を冠した大会を開いている、大学総長賞の獲得を目指している、などの背景を持ってがんばっている団体であれば、なおのこと重要な観点かもしれません。

 

 

  対処法

 

 では、コンフリクト制度を設けていて、実際に申請が来た場合に、どのように対処するのがよいのでしょうか。

 この点について、先輩にあたる英語即興ディベートにおける蓄積は示唆に富みます。まずは、端的でわかりやすいと思うので、こちらのフローチャートをご覧ください。

 

 

 日本語即興ディベートでは抜け落ちていて重要と思われるポイントがいくつかあります。具体的には以下の通りです。

 

基本的に被コンフリクト者に伝えない

 これは前節でも触れたので省略します。

 

全体へアナウンスをする

 equity violation の指摘、すなわち たとえば「過去にあの人にいやがらせをされたから」といった理由での相談やコンフリクト申請などがあった場合、全体への注意喚起のアナウンスが求められます。大会やコミュニティとして、そのようなことを問題視すること・許容することなく環境の改善に努めることを示すのは重要です。なぜなら、被害者だけでなく、ほかの参加者の安心にもつながるためです。

 一例として、第一回平和会のときの全体アナウンスを貼っておきます。これで十分とは言えないかもしれませんが。

 

被疑者にも話を聞く

 相談を受けて、全体アナウンスにとどまらない対応が必要と思われる場合、次に採りうるのは、被疑者への直接警告や、被害者-被疑者の当事者間での和解に向けた調停です。このとき、片方の言い分だけを聞いて対処すると、不当な結論が導かれかねません。謂れのない警告を受ける人が出てくるかもしれませんし、本来あるべきだった「和解」からずれた形で調停が進んで被害者・被疑者どちらにとっても望ましくなかった結末に至ってしまうかもしれません。

 副次的な論点かもしれませんが、仮に被疑者に話を聞かずに制裁を下すとしたら、告発し得になってしまうようにも思われます。何人かで結託して強い人を告発しまくって参加取消にすれば優勝に近づきますね。

 

制裁は最終手段

 これは教えていただいたほとんどすべての英語即興ディベートの equity briefing や policy で共通していたポイントです。「参加の取消」「当該大会への出禁」「1ヶ月間の大会出場停止」などの制裁が検討されることはあるようですが、本当に最終手段で、全体アナウンス→本人への警告があって それでもなお改善が見られない場合に限られます(といっても、本当に制裁が実行されることはほとんどないようです)。

 ということで、基本的には制裁的措置は避けるのが妥当であると言えるでしょう。

 

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 そのうえで、大会運営委員が参加者(選手やジャッジ)にコンフリクトがある場合は、以下のような対応が求められるかもしれません。

 

当該運営委員の担当業務の変更や一時離脱

 コンフリクト関係にある人が参加してきたとき、無理に業務を継続する必要もないでしょう。

 たとえば、受付や式典の担当だった人が、論題検討や集計などの裏方の仕事に回って、参加者と直接対面する必要のない形態での業務を継続することはひとつの解決策でしょう。あるいは、裏方とか関係なく 関与すること自体が難しいという場合には、当該大会ではお休みをすることも選択肢です。一回限りというわけではない大会であれば特に、今回はお休みして、また次回から復帰するというやり方もあるのではないでしょうか。

 

運営メンバーの外部からの調達

 大会運営委員会が小規模で、委員の業務変更や一時離脱をしてしまうと大会が回らなくなるという場合もあるかもしれません。そのようなときには、外部から新たに運営メンバーを調達することも検討する必要があるでしょう。

 当然ですが、ここでも「あの人とこの人がコンフリクトで……」などと不必要に情報を漏らすことがないように気を付けなければなりません。逆に、「コンフリクトの都合で人員不足になってしまったので入ってもらえませんか?」と声をかけられた新たな運営メンバーは「え! 誰と誰が??」などと詮索しないようにしましょう。

 

 ……以上のような措置を講じても、大会開催が難しそうであれば、大会の延期や中止も視野に入れる必要があると思います。別に延期も中止も決して悪いことではありません。誰も責めないし、責めたとしたらそいつが間違ってます。それよりも、以上のような措置を講じる余裕がない状態は、果たして大会を開催する準備が十分な状態なのだろうかと疑問符が付くように感じます。

 

 

  おわりに

 

 大会の企画開催は、みんなが楽しめる場所をつくっているわけで、とても素晴らしい営みだと思います。ただ、そこでの「みんな」とは誰なのか、常に問い続ける必要はあるだろうと、ちょこちょこ大会運営に携わっている身としても感じるところです。