気持ちが欲しいのだ

私「淳ちゃんが当事者なのに、何故他人事なの?

   現状分析ではなく、そこまで追い詰めて悪かったという気持ちが欲しいのだ

   健太(息子)が私を怒らせた時

   「怒らせてごめん。(おこづかいから、私の好きなビール)ギネスを買ってあげる」と

   言ってくれて気持ちが嬉しかった。

   もちろん、買ってもらってはいない。そういう気持ちが欲しいのだ。」

 

②自覚してほしい

私「淳ちゃんは言い過ぎややり過ぎがわからなくて、

   正しさで追いつめる事を自覚してほしい。

   嫌味、皮肉、暴言は言葉の暴力で、

   淳ちゃんがイライラしたらそれらを使って何としてでも勝とうとする。

   会話は勝ち負けではない。敵・味方でもない。

   淳ちゃんとの会話が戦場になるけど、会話は共通点や妥協点をみつけるものだ。

   イライラして言葉の暴力で勝とうとする自分をコントロールしてほしい。

 

   I didnt meant to hurt you. Im sorry that I made you cry.

    (傷つけるつもりはなかったけど、泣かせたならごめん。)

   Jealous Guyジョン・レノン

 

    こう言ってほしかった。」

 

と言って、泣き笑った私を不思議そうに見る。

 

私「でも、分からないんだよね…。」

夫「分からない。」

私「どうしたら、諦められるのか、受け入れられるのか」

関係修復を目指すが、過去が忘れられず葛藤し続けた。

夫「話し合いが必要だ」と話すが、態度がコロコロ変わる。

一貫した、何かがないの?夫が信じられない…。

 

    1回は謝ってくれた

夫「今のままでHirokoは幸せなの?どうしたら建設的な関係を作れるか。

   理詰めでHirokoを追いつめたよ。自分は未熟だった。

   やり方がまずかった。お互い未熟でお互い悪かった。

   Hirokoもオレに散々な仕打ちをした。自分には共感というのがないのだろう。

   でも、どうしたらいいのかわからない。

   何をしたら良いのかわからない。」

 

    罪悪感なし

私 「淳ちゃんの事を許そうともがいている」

夫  「オレ何か悪い事したっけ?ひとついらない事を言ったね。

     許すというのは目線が高いよね。

     どの立場から言っているのか、そっちも何をしてきたかという事になるよ。」

 

夫「Hirokoが謝らなかったからサディスティックに責めた時はある。

   Hirokoが謝っていたらああはならなかった。」

 

夫「誤ったのに許さない方が悪い」

 

夫「Hirokoが家を出て、迷惑をかけられた。自分の方が酷い事をされている」

 

    お互い様

私  「私は淳ちゃんに怒りと恨みを持っている。過去を清算したい。」

夫  「悪い事をしたと思っていないから、清算うんぬんはちがう。

  誤解を与えるような言い方はしたかもしれないけど、お互い様だと思っている。」

 

夫の言う事をノートに書き始める。

 

夫 「Hirokoはアドラーの言葉でいうと、人生の課題から目をそらしたいんだよね。

    評論めいた言い方はムカつくんだっけ?

    そうやって書く事自体、私は悪くない証拠にしたいんでしょ。

    自分は悪くないと自分を守る事が一番の目的だから。

    どんな理由でもでっちあげる。それがHirokoのメンタルだと確信している。

    的を射ているか検討してもらいたいがお願いできる?もっとゆっくり言おうか?

    自分にはそれほど反省点はない。これが悪いと言うなら検討する。

    Hirokoがそうやって書くのは今が幸せではなっからだろうけど、

    どうなれば幸せ?どうなりたい?」

 

お互いさまとした上で、私の問題を指摘し、説き伏せ、言い包めようとしてくる。

これがいつものパターンだと気が付いた。

 

夫 「もうこれ以上は限界だ。いつまでこの状態を続けるつもりなのか。

    何か自分にできることはあるか。」

私 「淳ちゃんの亡霊と闘っている。

    毎日食事を作る度に”主婦に土日はない。お前の仕事だ。メシを作れ。“と

    言われた言葉がフラッシュバックされる。覚えてる?」

夫 「確かに言ったし、その事については今でも必要だったと思う。

    これまでも家族や状況、自分にとって最善と思うことをやってきた。」

 

    覆す

私 「私は関係修復を目指しているけど、過去が忘れられず葛藤している。

    淳ちゃんは、どういう気持ちなの?」

夫 「一言では言えないなあ。だって事実と違うもの。」

 

やっぱり、まただ。この前「(私を)論破した」と言い、

わかってくれたと思っていたが、また覆された。

無かったことになっている。夫に何を言っても、鉄の壁にぶち当たって墜落するだけ。

言っても届かない。池に石を投げて、ポチャンと沈む。ただそれだけ。

 

「夫婦の危機は発達障害が原因かもしれない」(滝口のぞみ著)

  「アスペルガー傾向のある人は事実を認めることはできるが、

   損害に対する認識や相手の気持ちへの想像が不足し、

   しかも自分の間違いは故意に行ったものではないという思いがあり、

   悔いる気持ちが足りないところがある。」

 

  「良心に則って謝られない限り、本当に謝られた気持ちがしないのではないか」

紅白を見ていたら、X JapanYoshikiがピアノを弾き、ドラムを叩いていた。

X Japanは知っていたが、全盛期に興味はなかった。

ピアノとドラム、凄いなと思いネットで調べたら、再結成やToshlの洗脳騒動が出てきた。

You Tubeや「洗脳」(Toshl著)を読み、私じゃん、と思った。

 

Yoshikiはアメリカ進出後思うように運ばない中、

Toshlに歌の完璧を求め、喉に注射してまでレコーディングしたという。

Toshlは追い詰められ、元妻の手引きで自己啓発セミナーへ。

 

泣き叫んで抗議しても、自分の正しさを絶対的に押し通され、

従うしかないと病んでいく。

屈服させられた、従わざるを得なかった、それが苦しかった。

鉄の壁。無力感。

Yoshikiはアスペルガーっぽい。

自分の病んでいった過程とクロスした。

 

その一方、X Japanの音楽に魅了され聴き続けた。

病んだ気持ちに優しく寄り添ってくれる「Endess Rain」。

自然と涙が出てくる。

Yoshikiは音楽を作る、というより、産んでいる。

Rose of Pain, ART OF LIFE, The Last Song, Without You

 

解散、洗脳騒動、hideの死、再結成、

Yoshik「自分がToshlを追い詰めた、自分がhideをバンドに誘わなければ」

とインタビューや映画、何かのCDの最後に後悔の独白が入っていた。

夫も反省、後悔してくれるのではと、淡く期待した。

2014年の対談で

Toshl「今、思えばYoshikiは自分にも厳しく、アートを創造してきた。

      Yoshikiのやり方は間違ってなかったんだなって感じます。」

どうしたら私は仕方がなかったと思えるか?

 

X Japanの音楽を聴いて泣き、夕食が20時になってしまった。

夫「浸りすぎて家庭生活に支障がでている。浸りすぎてもらっては困る。」

私「なぜ泣いていると思う?」

夫「じゃあ何故こんなに夕飯が遅れた?」
私の問いかけには答えず、逆質問で話をうやむやにする。

 

どっぷりはまっていた頃、

息子「お母さんはX JAPANの音楽を聴いて泣いてばかりいる」

と言われ、ハッとした。

 

息子に言われ、このままではいけないと思った。

 

夫は研究所の任期付き研究者(ポスドク)で、常勤になれなかった。

本人は¨正しいこと¨を言ってるだけなので全く自覚はないが、

私をやりこめることでストレス発散をするモラハラ。

 

 

出費の話になると目が座る。激しい言い合いの末、

夫「クレジットカードと銀行カードを置いて出ていけ」

 何度も家を飛び出した。

でも、ポスドクで仕事の未来が見えず、小さい子どもが2人。

私が家を出て、どうするの?

耐えた。

 

 

夫の嫌味、皮肉、論破という名の言葉の暴力、全て、ことばだ。

私が言い返すと、何百倍にもなって返ってくる。

夫が何か言ってきても、

眼をそらし、反応しなくなった。

自我を殺すとは、こういうことか。

 

 

夫は上司から最後通牒を受け、やっと転職に踏み切れた。

私の実家近くへ引っ越し、

転校した子供たちが何とか落ち着いた頃、私が壊れた。

夜中、発作的にふらーっと家を飛び出し、インターネットカフェで過ごした。

次の日、家に戻って夫と口論になり、

夫「クレジットカードと銀行カードを置いて出ていけ」

実家へ。

 

父「いつもと違う」

何とか受け入れてもらえ、実家で寝続けた。

兄が来て私の話を聞いてくれた。

兄「それはモラハラだよ。」

兄も職場で同僚から受けた事があり、本を紹介してくれた。

 

「モラル・ハラスメント人を傷つけずにはいられない」

(マリー=フランス・イルゴイエンヌ著)

 

兄「お前も大変だね。でも、淳さんも家族を抱えて転職、キツかっただろうね…。」

働かない私やアレルギーの重い子ども、家族を抱え、ギリギリだったと思う。

 

頭では、夫も大変だったと理解はできる。

だから、「追い詰めてごめん」と心から言ってもらえたら、許せると思う。

でも、夫は¨正しい¨ことをしただけ。自分も迷惑をかけられたと言う。

わかってほしかった。心から謝ってほしかった。

 

私の母、義母、夫と私の4人で話し合い、私は家へ戻った。

息子に何でお母さんは家を出ていったのかと、泣かれた。

少なくとも大人になるまで、こうして家を出ることはないと約束した。

 

たまたまブックオフで本を見ている時、

「旦那さんはアスペルガー」(野波ツナ著)を見て、

夫はアスペルガーだろうと確信し、本を読み漁った。

 

 

生活費12万。

家族4人(小・中学生)、転職期は子ども(幼稚園・小学生)

これって、どう思いますか?

 

内訳……………食費、外食・外出時費用、日常生活費、医療費、

                       学校の諸費用、衣服、ガソリンなど財布から出る費用

含まないもの……銀行引き落としの費用

(家賃、ガス水道光熱費、電話代、生命保険等保険料や車検費など)

 

転職期のモラハラは主に経済制裁。

特別支出一切なし。

夫「12万でやり繰りできないお前が悪い」

  「レシートを見せろ、何が無駄使いか教えてやる」

  「クレジットカードと銀行カードを取り上げる」

  「オレと同じだけ稼ぐなら、主婦を代わってやる」

 

下の子が幼稚園に入ったくらいから、酷くなっていった。

それまで12万円以外で出ていた、インフルエンザの予防接種代や、

子どもと3人で私の実家へ帰省し、そこから夫の実家へ向かう交通費などがなくなった。

私はコンタクトを諦め眼鏡にし、美容院も行けないから伸ばしっぱなし。

夫「前から出費がわかっているのに、節約しないお前が悪い」

 

上の子のアレルギーがとても重く、私は心身ともに働ける状態でなかった。

下の子が幼稚園に入り、やっと自分の時間が数時間できた時、

お腹の底から「サバイバー」、生き残ったという言葉が浮かんだ。

アレルギーの奴隷、アレルギーの嵐が去りつつある気がした。

そうしたら今度は、夫の経済制裁。

 

息子に重い食物アレルギーがあり、幼稚園も小学校も弁当を作り、

食材も国産や添加物の入ってないものなど気を付けていたが、

夫「高い。そんなの必要ない」

 

夫の収入が低いとか、貯金がないなら、私の受け取り方も違う。

そうではないのだ。

 

夫はお金を使いたくない。

洋服はユニクロを擦り切れても着用し、休日はほとんど外出せず、外食を嫌い、

夫「主婦に土日はない。お前の仕事だ、飯を作れ」

貯金は貯まっていく。でも、貯金したいからではなく、使いたくないだけ。

 

食洗器の修理代など、12万円以外に出費が必要になると、

夫「話し合いが必要だ。生活費からいくら出す?」

私「自分の物は一切買わず、いつもギリギリの生活で無理だ」

夫「十分な生活費を渡している。無駄遣いが多い。節約できないお前が悪い」

 

働けない私が悪い、節約できない私が悪い、

すぐ疲れて寝てしまう私が悪い…うつへ。

少しずつ回復してきた実感がある。

それは、本やカウンセリングで自分を客観視できるようになったからか。

カウンセラーが言っていた。

「旦那さんは、想像のない世界でただ反応しているだけ」

しかし、言葉ミサイルが飛んできて、

「反応しているだけ」とわかっても、

アイスピックのようなキツイ言葉は突き刺さり、感情が荒れ狂う。

 

私が当たり前と思っている感覚が、夫にはない。

「わかってよ!」と言っても、わかる機能がない。

という事は、夫が当たり前と思う感覚が、私にはわからないのかもしれない。

想像、共感のない世界、ただ反応しているだけの世界を想像してみるのが必要なのだろうか。

 

見える、感じる世界が根本的に違うのかもしれない。

じゃあ、どうしたら良いのだろう?

 

I have spent a lot of time at this play.

Vanity Fair 訳では「空費しちまったよ。」)

私の意訳

どんなに嫌な状況でも、自分も舞台の出演者として演じている

 

夫に嫌味を言わないでと言っても続く。

私はそれに対して、泣いたり、怒ったり、ワンパターンな役を演じてきた。

戦場のような日常会話、

私も、嫌だ嫌だと言いながら泣き怒る役を続けたから、繰り返し続いた。

 

じゃあ、やめるためには、どうしたら良いのだろう?

夫婦、家族という舞台の上で、離婚や別居と舞台を去るのではなく、

いちいち敵認定されて言葉ミサイルで攻撃される戦場ではなく、

リビングの日常会話を穏やかにできるか?

 

言葉は、流れる。

会話も、流れる。

あまり意識せず、何となく話す日常会話の中に、違和感が入り込む。

その違和感がじわじわと心を汚染していって、

嫌な気持ちになり、感情的になって、爆発し合いケンカになる。

その違和感の正体が嫌味、皮肉、暴言で、

私は言葉ミサイルと呼んでいる。

 

流れていく会話を書き留め、

どの言葉で刺激しあっているか視覚化したら、何かわかるだろうか?

本当は、夫が自分の特性を認識して欲しい。

でも、他人を変えることはできない。夫は変わらない。

私が泣き怒る役を降りれるか…?

他に、何かないか…?

夫に報復する。

 

そんな思いで、戦場となる日常会話を書き溜め、ブログを作ることにした。

この3年間、本を読み、カウンセリングに通い、こうして考え書く事で、

結果的に夫への理解が深まってしまった。

 

もしかしたら、こんなにこだわる事自体、もはや“愛”としか呼べないものなのか?

そう思うようになったのは、「ペインレス」(天童荒太著)の影響だ。

「どうせ相手にこだわってしまうなら、憎むより愛した方がマシ。」

(漫画「ブラックジャックによろしく」より)

これもガツンときた。

 

「ペインレス」(天童荒太著)

心に痛みを感じない、20代後半の麻酔科女医が主人公。

主人公の祖母(心理学教授)が、幼稚園に馴染めない主人公を見てアスペルガーを疑い、

でもその後、アスペルガーではなく心の痛みを感じないと理解する。(サイコパスとは断言せず)

 

アルツハイマーを発症した祖母が、まだ意識がしっかりしている時の言葉。

「感傷にひたらず、感情にも流されずに、最期に向けて準備ができたのは、

万浬、あなたの生き方をそばで見ていられたからよ…。

わたしがあなたのようなら、何もかも失ったいまの状態を、

これほど苦しむこともなかったでしょうに…。」

「良心の痛みや、周囲からどう見られているかという恐れから、

人はなかなか自由になれないものよ。」

 

夫は感情と考えを切り離すと言う。訓練してそうしてきたと言うけど、

夫と話すまで、私には感情と考えを切り離すという発想すらなかった。

私は感傷にひたり、感情に流される、病み気味な一般人。

夫と話して私が感情的になっても、夫は冷静なので、

更に私の感情に火がつく悪循環を繰り返した。

 

この発見って、何なのだろう…?

「共感スイッチOFF」が対外的に役に立つ。

カウンセラーは、私のように考えるようになった人もいると言っていた。

 

「ペインレス」P194

「慈しみや嫉妬や愛着や憎悪や肉欲や所有欲など、

すなわち「愛」としか名付けられない感情と欲望の総体は

人間の真相にからみつき、到底自由になれるものではない。

苦渋や悔恨、恥辱や無力感など、やはり愛と呼ぶしかない感情の総体。」

 

今も夫の毒舌、嫌味、敵認定による言葉の攻撃があるので、

「愛」だなんて、口が裂けても言えない。

でも、こうして書かざるを得ないのは、愛と呼ぶしかない感情の総体なのか。

 


 

予期せぬ副産物があった。

 

夫は理性と感情を切り離すことができる。

感情を切り離し、頭で考えた事を言おうとする。

夫はその事を「論理の力だ」と言い、研究職には必須だろうけど、

家庭に持ち込まないでよと言っても、切り替えできない。

 

これは皮肉なのか、修行なのか、

私は感情と考えを切り離すまではできないけど、

時々自分の感情をちょっと離れた所から見れるようになった。

 

一般人は自動で、無意識に共感感覚が働いてしまうが、

夫は動かない。

「サイコパスインサイド」(ジェームス・ファロン著)にあったが、

¨気にしない¨ことができる。

私は「共感スイッチOFF」と呼び、夫から学んだ。

 

20才で夫と出会った頃、色んな事に思い悩む私にとって、夫は“強い人”だった。

夫は悩まない。正しいと思う事を貫き、凄いと思った。

社会的には“強さ”となるのかもしれない。しかし家庭では…。

 

夫は私の事を「イタコ(霊媒を行う女性)か?」と言う。

いろいろ感じすぎてしまい、

相手のネガティブな感情を感じると、

我事のように感じ、自分を下げ責める悪循環があった。

でも、「共感スイッチOFF」を学んでから、生きるのが少し楽になった。

 

例えば職場で、私も気づかず、上司がミスをした時、

昔の私なら必要以上に謝り、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

私が気付いていたら上司はミスせず済んだのにと、自罰的に責めた。

でも今は、気づけなかった事は謝るが、責任は上司にあると割り切れる。

 

心を動かさず、理性=頭で判断する。

夫「社会で働く人はみんなやっている」

主婦が長かったから、できないだけか…。

でも、家庭でも理性と感情を切り離すの?

夫は玉ねぎの様だ。

 

モラハラ・原理原則系……………ブル淳(ブルドーザー淳ちゃん)

カウンセラー系……………………アド淳(アドラー淳ちゃん)

気弱・体調悪い時…………………なよ淳(なよなよ淳ちゃん)

説教臭いが熱い、説得説明上手…夜回り先生淳ちゃん

 

大きく分けてこの4つが状況によって出てくる。

それと、時代によって配分が違う。

 

 

夫はAB型だから2重人格なのだろうと思っていたが、

そもそも人格の核になる中心、主体があるのだろうか…?

「自分はこうしたい」「自分はこれが好き」「自分はこれが楽しい」という、

´自分´が感じられない。

その時々で極端に言うことが変わる。

 

キツイ言葉や嫌味で私を責める時、昔の私は泣いて怒っていたが、

私「ブルドーザー淳ちゃん(モラハラ系)だね。」

と、言えるようになった。

そうかと思えば、いきなりフレンドリーに話しかけてくる時は体調が悪い時。

私「今は、なよなよ淳じゃんなの?」

と聞く。

私「淳ちゃんには軸というか、自分の核というのが感じられない」

夫「空っぽなんだよね。それは自分でもわかる」

えっ?

 

ちなみに、私のことを夫は「あんた」と呼ぶ。

私が夫に「あんたって誰?私はHirokoだ」と名前で呼んでほしいと言っても、

ブル淳(モラハラ系)の夫は絶対に私を名前で呼ばない。

このこだわりは、本当にわからない。

なので、あえて私は´淳ちゃん´と呼ぶ。

夫は元理系理論研究者、議論のプロ。

夫の論破は言葉の暴力だ。

プロボクサーが一般人を殴るようなもの。

 

夫と言い合いになって私が泣き出しても、

夫には「あ、言い過ぎたかな?」がない。

夫の正論で責め続ける。

泣かせた、怒らせた、と戸惑う機能はなく、正しいことを言う方が大事。

夫としては正しいことを言っているだけだから、勝手に泣く私が悪い。

夫を避けていても、何事もかなったかのように普通に話しかけてくる。

罪悪感がないから、夫は困らない。

 

夫は私の悲しい顔はわかるのだろう。

しかし自分が何か、悲しませるようなことをしたかという想像や反省、

思い悩んだりクヨクヨすることはなく、

Hirokoが勝手に悲しんでいる、Hirokoは病気だ、そんな状況にしたHirokoが悪いとなる。

カサンドラでうつが酷い時、夫に言われた。「Hirokoは不幸そうだ。」

君に言われたくないのだが…。

 

アスペルガー研究をネットで調べたら、京都大学で行われていた。

表情コミュニケーションが何故うまくできないか?

相手の表情を見ている間の脳活動をfMRI(機能的磁気共鳴画像法)で測定。

 

他者の運動と自分の運動を結びつける、

ミラーニューロンがあるといわれる下前頭回などの活動が低い。

他者の動的表情を見た時、

自動的に共鳴応答するミラーニューロンがうまく機能していない。

 

ミラーニューロンが機能していないから、

私の悲しみに、夫は自動的に共鳴できない。

だから何も動かない。

夫は、夫のまま。

相互作用がない。

カウンセラーは「同期しない」と言っていた。

 

そうか。買い物から帰ってきて、重い荷物を両手に持っている私を見ても素通り。

 

ドアを閉めるか閉めないかとか、車の停め方とか些細な事だが、

私「嫌だからやめてくれ」

夫「オレは嫌ではない」

と、やめてくれない。この徒労感。届かない。響かない。

 

定型発達群は表情を模倣したり、

自分の表情運動の情報を使って他者の感情を読み取るが、

自閉症スペクトラム障害群ではその結合が弱く、動画表情処理の回路がうまく機能していない。

 

何度、夫に叫んだだろう。

「なんで、わかってくれないの?」「わかってよ!」

無駄だった。わかる機能がない。

 

夫からしたら、これまで私が勝手に傷ついてきたという事だ。

わからない、わかる機能がないという事を周りが理解しないと悲劇になる。

分かる機能がないという事を理解してこれまでを見ると、喜劇に見える。