ギター弾き OZ -87ページ目

えがお 7

※前回の続きです





俺たちが観て来た被災地は、宮古市の田老地区の


ほんの1部



その先には山田町や


釜石


陸前高田


など、テレビやネットで聞いたことのある地域



皮肉にも、この震災で沢山の町の名前を知った



新しく知ることのできた町は


残念ながら、津波の被害や


原発で立ち入り禁止になっていたり



本来の町の姿を観る事ができない状態になってる



新しく知った沢山の町では


多くの犠牲者が出たり


今もなお、震災と向き合っていかないといけない、多くの人たちがいる



岩手、宮城、福島


その3県だけでも、広大の土地が被災し


本当に、多くの人が頑張ってる



その他の、青森、茨城、当地千葉、新潟、長野



本当に本当に



まだまだ何も解決してないんだ


何一つ、復興なんて進んでないんだ



まだまだ時間がかかるだろう



俺が生きてる内に解決することはないだろう






本当に、一人一人が考えなきゃ行けない所に来ていると思う


本当は、もっと前からそうだったのかも知れない


この震災で、さらに浮き彫りになっただけなのかもしれない



国がとか


政治がとか



人任せにしている時代じゃない


一人一人が考えて


一人一人が行動に移すことで


政治や国が動いていくんじゃないのかな?とも思う





本当の被災地の今を知るのは


ほんの少しのお金と


ほんの少しの時間をかけるだけで


誰でも見ることが出来る




すっと行って、すっと帰ってくるってだけでも良いんじゃないかな?



遠い知らない異国の地の話じゃないよ




パスポートだって要らない


言葉だって通じる同じ国なんだから





日本なんて、狭いんだから


目の前だよ


自分の目の前の問題なんだよ








俺は一生忘れないだろうな


初めて見た、あの光景を










田老地区を後にし


宮古の、あるご自宅に向かうことに



この家が、兄貴分の友達の


のぶ君が住む自宅



前日、高校受験が終わったばかりの現役中学生だww






兄貴分は、のぶ君にある約束をしていた


関東で被災地を応援している仲間を連れて来てやるって





今回、一緒に連れて行ってもらえて


本当に良かった





被災地の現状だけじゃなく


人の温もりに触れさせていただいて


本当にパワーを貰った





そのパワーを、全力で


他の被災地の方に届けようって


そうやって集まったパワーを


日本全国に届けようって


日本全国から集まったパワーを


また、東北へ届けようって


そしてまた・・・




って、めちゃくちゃ良い循環じゃねぇ??







そんな簡単なことじゃない??


知ってるよ!!


だから、それに挑むんだよ!!






出来るか出来ないかじゃないんだよ



やるのか、やらねぇのかなんだよ




俺たちは、やる!!道を選んだだけ






そんなパワーが東北の


被災地の


人間の


何かになれば最高だなって



馬鹿みたいに本気で思う





だって馬鹿だからねw











でね、その兄貴の友達ののぶ君の家にお邪魔させてもらったわけだけど


みんなさ・・・


ご家族みんなさ


「えがお」


で迎えてくれるんだよ!!



のぶ君の学校の友達とかも集まってくれてさ


みんな良い


「えがお」


なんだよ!!




本当は、不安とか


迷いとか


恐怖とか


俺たちが思うより


沢山の傷を持ってるはずなのにさ・・・




なんて言葉をかければ良いの??



ごめん、何も出てこないよ・・・





やっぱり、そうなっちゃった・・・







今回、言葉の変わりに作った曲


聴いてもらうかどうか


ギリギリまで悩んだよ・・・





でも、俺たちの思いも伝えさせてもらいたいって


エゴかも知れないが


俺達、音楽人間は


音楽で寄り添う事を選んだんだ





とても緊張したし


震えたよ





人前で演奏する事にじゃなくて


初めて演奏する曲だからじゃなくて



今まで俺たちは


曲に込めた想いを


押し付けたり、勝手に解釈してくれってスタイルだったり


良かったら一緒に楽しもうぜ!!!って


俺たちについて来いみたいなね


そんな感じの部分が多々あった





でも、今回はそれとは明らかに違って





俺たちの方から、寄り添う事を選んだから




だからだと思う。





まぁ、緊張もしたけどねww






その言葉(曲)がどう寄り添えたのか


それは分からないが


のぶ君が、聴いてくれたあと


「他の友達にも聴かせたい!!」


って、友達を呼びに走って出て行ってくれてさ・・・・





やばい・・・・



また俺達が感動させられてる・・・・






その友達(生徒会長w)到着後


もう一度演奏させてもらって



前日、矢巾町の方々の前でも演奏させてもらった曲を合わせて


2曲続けて聴いてもらったよ





何とも言えない気持ちになったね



何だろう・・・・



俺たちの心が温かくなったのかな?



寄り添った俺達が


受け入れてもらえたのかなって



そんな気持ちになったよ・・・



本当にありがとうございました!!!






そして、一緒に演奏してくれた兄貴分


ありがとうございました!!


俺個人の意見なんだけど、兄貴と腐れ縁になってw17年目で


あの日あの地で、兄貴と音楽を奏でられた事を幸せに思います!!




そしてきっと、のぶ君は兄貴がギターを弾く姿を、誰よりも観たかったと思うし


何よりも、その姿をパワーに変えていくと思います!!!





そして、一緒に行ったボイトレ講師のアキコちゃんが歌う


ハナミズキ?


も一緒に演奏させてもらい





viiola弾きのあやちゃんが、ヴァイオリンで弾いてくれた


オーバーザレインボウ





本当に音楽に包まれた


本当に温かい空間になってた




その家の旦那さんも、高級クラシックギターを持ってきてくれて(超良い音!!!!)


2曲演奏してくれた!!





そして、のぶ君もヴァイオリンを演奏してくれた・・・みたいなんだが・・・・


肝心の、のぶ君の演奏の時


外にタバコを吸いに行ってまして・・・


はい・・・


聴くことが出来ませんでした・・・



すいません・・・







でも、タバコを吸いに外に出るまで


そこが宮古だって事を忘れてました



本当に、その一瞬かも知れないけど


地震や津波・・・


そう言った悲しみが、和らいだのかも知れないって







もちろん、俺たちでは分からない事なんだけどね・・・







・・・続く


ってまだ書くの??wwww




いやぁ、もうねぇ


書いても書いても


書ききれないほどの想いなんだよね・・・



何を書いていいのか分からなくて


でも何かを伝えたいって思ったから書き始めたんだけど・・・


うまく纏まらなくて・・・



てか、うまく纏めるものでもないのかな?とも思うし


それなら、すべてをさらけ出せ!!って書いたら


こんなになっちゃったwww



もうチョイ書かせてもらうよww























































えがお 6

*前回の続きです



かなり、長いブログになってますなw

でも、岩手での全てを

このブログに記したいんだよ...

正直、しんどいんだよ

苦しいんだよ

でも、伝えなきゃ意味がないと思う

だから、まだまだ続きますw



俺たちが行ったのは、宮古市の田老地区

その田老地区のほんの一部

正直、それ以上進めなかった...

興味本位や、好奇心だけで

あの場所には立って居られなかった...


今回、田老地区の様子を

携帯カメラで4枚だけ収めました

たったの4枚

俺にはそれが限界だったよ...



そして、迷ったんだけど...

このブログで、その写真は掲載しません

あの場所に立って観た光景は

写真で表す事が出来ない

被災地の様子は、今までテレビやネットで沢山観て来た

でも、その映像では被災地の様子を

本当の被災地を知る事が出来なかったから、直接自分の目で見る事を選んだ

だから、俺が撮った4枚の写真では

本当の被災地を知らせる事が出来ない


この写真は、俺の記録として残します


出来るだけ、鮮明に...

本当の被災地を言葉で伝えたいと思う



津波で壊滅的被害を受けた街


その街を自分の目で観て

自分の足で歩く


その現実が受け入れられない


目の前に広がる、何もない光景

見えるのは、家の玄関の階段と基礎だけが残った家

陸地に打ち上げられた船

誰かが使っていたであろう髭剃り

何処かの子が、大切に抱いていたであろうぬいぐるみ


沢山の雪がその上に積もっていて

被災地を少しだけ優しく包んでいるような気もした



しかし、あの日あの瞬間まで

確かにこの家には、生活があった

この隣の家にも

向かいの家にも

裏の家にも

同じように生活があり

家族居たり

恋人が居たり

沢山の団欒や

沢山の夢

沢山の思い出があったんだ




今は基礎しか残ってないけど

どの間取りがお風呂だとか

トイレだとか

意外とわかる

だからこそ、リアルで

これが本当の被災現場なんだって


目で観たはずが、ダイレクトに心に突き刺さる



田老地区に着いて、雪なのか霙なのか

とにかく強くなって来てた




車を停めた場所から、国道を渡ると

あの防潮堤が目の前にある

本当に見上げる位な高さ

大きな水門の扉からは、大きなトラックが出入りしている


防潮堤には階段があり

その上に上がってみる


防潮堤から観た海岸


奥にはもう一つ防潮堤が見える


そして、その手前には大きな山

瓦礫の山だった

トラックは、その場所に瓦礫を運んで来たのだろう

その更に手前には、やっぱり同じように建物の基礎だけだいくつも見える



その上に、沢山のグシャグシャになった車

消防車が二台

救急車が一台

グシャグシャになって置いてあるのが見える


最前線で避難を呼びかけ続けたんだろう

今は、全く動く気配のない車たち




瓦礫の山では、分別が行われている

それと同時に、行方不明者の捜索もされてるみたい





正直、海は綺麗だった

岩や山

本当に綺麗な海岸だった



その時、viola弾きのあやちゃんがボソッと呟いた


「憎らしい位絶景だよね」


本当にそう思った

本当に絶景だった

きっと、街の自慢でもあり

観光スポットだったんだろう


しかし、その海は襲いかかって来た

そして、全てをさらって行ったんだ


この防潮堤を超えて

歴史も何もかもをさらって行ったんだ


とにかく震えが止まらない

苦しい

本当に苦しい

歩くスピードがドンドン遅くなる


正直、しんどかった...




防潮堤の上から見渡す田老地区


そこに、お供え物の代わりに買って行った缶ビールを置いて

線香の代わりにタバコに火をつけ

ただただ手を合わせた

それが、今の俺に出来る精一杯の事だった



テレビの中継車も来ていた

あの防潮堤の上から何を映したのだろう?

何を伝えたんだろう?

そこに居た人達の思い出や

歴史を映す事が出来たのだろうか?

被災者の方の

心を映す事が出来たのだろうか?




レンズを通して見える被災地

自分の目と言うレンズで観た被災地




どちらも同じ被災地だろうが

見え方は全く違う



全身で観てるような

空気や音

気温や湿度

その全てを身体で感じた



もう歩けない


途中で完全に足が止まってしまう



こんなに心が苦しく

こんなに骨身にしみる寒さはなかった




雪国だからとか、雪が降ってるからとかじゃない




そこに、確かにあったはずの

人の温もりがなくなったからだと思う


供えられている花束も、雪の帽子をかぶってたよ


ただただ、手を合わせた


その時思った


手と手が触れ合うと、こんなにも温かいんだって


これが今の被災地に必要なんじゃないのか?

被災者の方に必要なんじゃないのか?




手の温もりを伝える事が必要なんだって










...続く








iPhoneからの投稿

えがお 5

*前回の続きです


朝早く起きて、ホテルで朝食

東北の漬物?なのかな?

何て名前は忘れたけど、とにかく美味かった!!

岩手に来て、かなり食い倒れてたけどw
どれもこれも美味いね!!



そして、レンタカーを借り

いざ宮古へ出発!!


車の中では、兄貴分がこの日の為に仕込んでくれた音楽を聴きながら移動


ロッキーのテーマはテンション上がるねw


宮古での目的は

いま宮古にライブハウスを造ってて

もし何かしらの作業をしてるなら、その作業を手伝う

そして、三陸宮古駅でも、ボランティアの方や地元の方が何か作業してるなら、それも手伝う

そして、兄貴が以前宮古へ伺った時に友達になった、中学生のノブ君に会いに行く


岩手県宮古市は、沿岸部に位置する街なんだけど

やはり、あの震災で甚大な被害を受けた街


関東を出発する前に、テレビやネットで色々調べてたんだけど...

被害状況などを知って、言葉にならなかった...


日本一の防潮堤があって、世界にもその名前がしれていた街

高さ10m

長さも何キロにも渡って建設された

世界にも稀な防潮堤


みんな、その防潮堤を信じてた...

昭和三陸沖地震の教訓を生かし、さらなる改良まで加えられていたみたい

でも、あの震災で起きた津波は

その防潮堤の高さをはるかにしのぐものだったみたい


多分、一度はテレビのニュースで見たことある人もいるんじゃないかな?


俺も、あの映像を観てたから...

本当に怖かった...



宮古へ向かうには、峠を越えて行かないといけない

三陸鉄道が、現在も復旧作業をしてるので、移動手段は車しかない


公共のバスは出てるみたいだけどね


盛岡から約2時間


道中の景色は

photo:01



photo:02



さすが東北って感じの雪景色

幸い、道路は雪が溶けていたし

路面も凍ってなかったので

雪道に慣れてない関東人でも運転出来た

行きの運転をしてくれた、yasuomiに感謝!!


峠を越えて、宮古市の看板が見えて来た辺りから、車内は静かになって来た


仮設住宅も沢山見えて来た



さらに進むと...

これが被災地なのかって思えて来た


建物の一階部分が流された建物

折れ曲がったフェンス

家の基礎しか残っていない跡地


テレビやネットで見た景色が拡がっている...



中には、改修工事が進んだ家もチラホラ見えた

少し安心した。


まずは、宮古に建設予定のライブハウスを探す事になったんだけど

調べて来た住所に行っても何もない

道行く人に聞いても、みんな知らないって...

でも、道行く人みんな

「えがお」

で応えてくれる

そして、みんな

「ごめんね?」

って


みんな優しいなぁ...


でも、その場所を探さないと意味がないので、ある建物の中に人が居るのが見えたのでその人に声をかけてみた


その建物も、津波の被害を受けたみたいで、その一階では以前焼き鳥屋が営業してたみたい

どうやら、声をかけたのは

その焼き鳥屋の店主の方


ライブハウスを探してる

何か手伝いたいと伝えると

ライブハウスは、その建物の隣に建設予定だよって教えてくれた

photo:03



まだ何も手がついてない場所だった

その時、店主の方が

そのライブハウスの店長さんに電話してくれた!!

そこで、店長さんと話したんだけど、まだ設計図が出来上がった位なので、建設着工までにはまだ時間がかかると


ライブハウスは残念ながらまだ何もない状態で、手伝う事も無かった

でも、電話をかけてくれた店主さんが何か作業をしてたので話を聞くと

津波の被害を受けたので、その場所での焼き鳥屋はたたむ

その為に、作業をしてたみたい

それなら、何か手伝わせて下さい!!と話したんだけど、店主さんは他の場所にカレー屋さんもやっていると言う話し

良かったら、カレー屋に顔出してよって


そりゃ行くでしょ!!


突然押しかけた俺たちに、しかも店主さんの関係のない事での訪問にも関わらず、ライブハウスの店長さんに電話をしてくれた

後で伺いますと約束をし、次は宮古駅へ


photo:04



三陸宮古駅に到着

そこには報道関係の中継車も止まっていた

3.11の前の日

何かの特番の為に来ていたんだろう

アナウンサーの福澤朗も駅に居た


そんな事どうでも良くて、宮古駅で何か手伝える事はないかと聞いてみたが、今は特にないとの事

確かに、宮古にも沢山のボランティアの方が来られていて

この一年間、一生懸命作業されていた

そのボランティアの方の頑張りで、駅の辺りはかなり綺麗だった


で、宮古駅でお土産を買う事に


そのお土産屋の人も、とても優しくて

本当に温かいし、みんな

「えがお」



その後、焼き鳥屋の店主さんから

ライブハウスの店長さんは、市場の肉屋で働いてるって聞いてたので、その市場へ向かう


市場の中は、三陸沖で採れた魚介類などを中心に、活気のある場所だった

中には見たこともないくらい、デカイ魚が売られていた


魚嫌いな俺は、怖かったw


その中にある肉屋さん


ライブハウスの店長さんがどんな人かもわからないので、その店で揚げたメンチカツを買いながら話をしてみた

残念ながらその店長さんは出掛けたばかりって事で会う事が出来なかった

まだこの店長さんには会う時期ではないのかな?って思いながら、必ずライブハウスが完成したときには、バンドとしてお世話になろうって思った

そこの肉屋さんの従業員の方と、お仕事中にも関わらず色々話をさせてもらったんだけど

やっぱりみんな

「えがお」


その後、車に乗り込み

さっき会った店主さんがやっている

カレー屋さんに向かう事に


カレー屋に向かう途中

震災の爪跡を観ていた



見る度に、言葉では言い表せない感情が湧いてくる

どの建物も、本当に無残な姿で残って居た

骨組みだけの、鉄筋コンクリートの建物

ボロボロになった建物を資料館にしてる物もあった


あの日、この街では沢山の宝物が流された

テレビじゃない

その光景が、ダイレクトに自分の中に飛び込んで来る

目を逸らしたくない

全てを焼き付けようと、必死でその光景を観ていた



カレー屋に到着し、早速注文

その時に、先程の店主さんが来た

「えがお」

だった。

俺が注文したのは
photo:05


キーマカレー大盛り

やはり、岩手に来て食いまくってるw

美味かったよ、店主さん!!

必ずまた来るって決めた店!!

美味いからって言うよりも、岩手で出来た人との繋がり

それを本当に大切にしたいって思える人達ばかり

本当に絆って言葉を、自分自身で体験したいから

そう決めた


店主さんに、また必ず来るからって約束し、防潮堤のある田老地区へ向かう事に...


宮古市の中でも、特に酷い被害を受けた地区の一つ

向かってる途中も、津波の被害を受けた街を観ながら移動

峠を越えて、田老地区へ向かう

向かう途中、沢山の仮設住宅があった

その近くには、津波の被害からまぬがれた家もチラホラ見えた


あの津波で、沢山の大切な物を失った人

ギリギリで被害をまぬがれた人


心の中で格差が生まれてくるのは、そう言う所からなのかも知れない...



田老地区の看板と同時に、昭和三陸沖地震の時の津波はここまで来ましたって看板が見えた時...

目の前に見えた光景...



テレビやネットで見る、それより


何百倍も悲惨な景色だったよ...


本当の被災地

被災地の本当の今


自分の身体が強張ってるのがわかった



...続く










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