えがお 5
*前回の続きです
朝早く起きて、ホテルで朝食
東北の漬物?なのかな?
何て名前は忘れたけど、とにかく美味かった!!
岩手に来て、かなり食い倒れてたけどw
どれもこれも美味いね!!
そして、レンタカーを借り
いざ宮古へ出発!!
車の中では、兄貴分がこの日の為に仕込んでくれた音楽を聴きながら移動
ロッキーのテーマはテンション上がるねw
宮古での目的は
いま宮古にライブハウスを造ってて
もし何かしらの作業をしてるなら、その作業を手伝う
そして、三陸宮古駅でも、ボランティアの方や地元の方が何か作業してるなら、それも手伝う
そして、兄貴が以前宮古へ伺った時に友達になった、中学生のノブ君に会いに行く
岩手県宮古市は、沿岸部に位置する街なんだけど
やはり、あの震災で甚大な被害を受けた街
関東を出発する前に、テレビやネットで色々調べてたんだけど...
被害状況などを知って、言葉にならなかった...
日本一の防潮堤があって、世界にもその名前がしれていた街
高さ10m
長さも何キロにも渡って建設された
世界にも稀な防潮堤
みんな、その防潮堤を信じてた...
昭和三陸沖地震の教訓を生かし、さらなる改良まで加えられていたみたい
でも、あの震災で起きた津波は
その防潮堤の高さをはるかにしのぐものだったみたい
多分、一度はテレビのニュースで見たことある人もいるんじゃないかな?
俺も、あの映像を観てたから...
本当に怖かった...
宮古へ向かうには、峠を越えて行かないといけない
三陸鉄道が、現在も復旧作業をしてるので、移動手段は車しかない
公共のバスは出てるみたいだけどね
盛岡から約2時間
道中の景色は
さすが東北って感じの雪景色
幸い、道路は雪が溶けていたし
路面も凍ってなかったので
雪道に慣れてない関東人でも運転出来た
行きの運転をしてくれた、yasuomiに感謝!!
峠を越えて、宮古市の看板が見えて来た辺りから、車内は静かになって来た
仮設住宅も沢山見えて来た
さらに進むと...
これが被災地なのかって思えて来た
建物の一階部分が流された建物
折れ曲がったフェンス
家の基礎しか残っていない跡地
テレビやネットで見た景色が拡がっている...
中には、改修工事が進んだ家もチラホラ見えた
少し安心した。
まずは、宮古に建設予定のライブハウスを探す事になったんだけど
調べて来た住所に行っても何もない
道行く人に聞いても、みんな知らないって...
でも、道行く人みんな
「えがお」
で応えてくれる
そして、みんな
「ごめんね?」
って
みんな優しいなぁ...
でも、その場所を探さないと意味がないので、ある建物の中に人が居るのが見えたのでその人に声をかけてみた
その建物も、津波の被害を受けたみたいで、その一階では以前焼き鳥屋が営業してたみたい
どうやら、声をかけたのは
その焼き鳥屋の店主の方
ライブハウスを探してる
何か手伝いたいと伝えると
ライブハウスは、その建物の隣に建設予定だよって教えてくれた
まだ何も手がついてない場所だった
その時、店主の方が
そのライブハウスの店長さんに電話してくれた!!
そこで、店長さんと話したんだけど、まだ設計図が出来上がった位なので、建設着工までにはまだ時間がかかると
ライブハウスは残念ながらまだ何もない状態で、手伝う事も無かった
でも、電話をかけてくれた店主さんが何か作業をしてたので話を聞くと
津波の被害を受けたので、その場所での焼き鳥屋はたたむ
その為に、作業をしてたみたい
それなら、何か手伝わせて下さい!!と話したんだけど、店主さんは他の場所にカレー屋さんもやっていると言う話し
良かったら、カレー屋に顔出してよって
そりゃ行くでしょ!!
突然押しかけた俺たちに、しかも店主さんの関係のない事での訪問にも関わらず、ライブハウスの店長さんに電話をしてくれた
後で伺いますと約束をし、次は宮古駅へ
三陸宮古駅に到着
そこには報道関係の中継車も止まっていた
3.11の前の日
何かの特番の為に来ていたんだろう
アナウンサーの福澤朗も駅に居た
そんな事どうでも良くて、宮古駅で何か手伝える事はないかと聞いてみたが、今は特にないとの事
確かに、宮古にも沢山のボランティアの方が来られていて
この一年間、一生懸命作業されていた
そのボランティアの方の頑張りで、駅の辺りはかなり綺麗だった
で、宮古駅でお土産を買う事に
そのお土産屋の人も、とても優しくて
本当に温かいし、みんな
「えがお」
その後、焼き鳥屋の店主さんから
ライブハウスの店長さんは、市場の肉屋で働いてるって聞いてたので、その市場へ向かう
市場の中は、三陸沖で採れた魚介類などを中心に、活気のある場所だった
中には見たこともないくらい、デカイ魚が売られていた
魚嫌いな俺は、怖かったw
その中にある肉屋さん
ライブハウスの店長さんがどんな人かもわからないので、その店で揚げたメンチカツを買いながら話をしてみた
残念ながらその店長さんは出掛けたばかりって事で会う事が出来なかった
まだこの店長さんには会う時期ではないのかな?って思いながら、必ずライブハウスが完成したときには、バンドとしてお世話になろうって思った
そこの肉屋さんの従業員の方と、お仕事中にも関わらず色々話をさせてもらったんだけど
やっぱりみんな
「えがお」
その後、車に乗り込み
さっき会った店主さんがやっている
カレー屋さんに向かう事に
カレー屋に向かう途中
震災の爪跡を観ていた
見る度に、言葉では言い表せない感情が湧いてくる
どの建物も、本当に無残な姿で残って居た
骨組みだけの、鉄筋コンクリートの建物
ボロボロになった建物を資料館にしてる物もあった
あの日、この街では沢山の宝物が流された
テレビじゃない
その光景が、ダイレクトに自分の中に飛び込んで来る
目を逸らしたくない
全てを焼き付けようと、必死でその光景を観ていた
カレー屋に到着し、早速注文
その時に、先程の店主さんが来た
「えがお」
だった。
俺が注文したのは
キーマカレー大盛り
やはり、岩手に来て食いまくってるw
美味かったよ、店主さん!!
必ずまた来るって決めた店!!
美味いからって言うよりも、岩手で出来た人との繋がり
それを本当に大切にしたいって思える人達ばかり
本当に絆って言葉を、自分自身で体験したいから
そう決めた
店主さんに、また必ず来るからって約束し、防潮堤のある田老地区へ向かう事に...
宮古市の中でも、特に酷い被害を受けた地区の一つ
向かってる途中も、津波の被害を受けた街を観ながら移動
峠を越えて、田老地区へ向かう
向かう途中、沢山の仮設住宅があった
その近くには、津波の被害からまぬがれた家もチラホラ見えた
あの津波で、沢山の大切な物を失った人
ギリギリで被害をまぬがれた人
心の中で格差が生まれてくるのは、そう言う所からなのかも知れない...
田老地区の看板と同時に、昭和三陸沖地震の時の津波はここまで来ましたって看板が見えた時...
目の前に見えた光景...
テレビやネットで見る、それより
何百倍も悲惨な景色だったよ...
本当の被災地
被災地の本当の今
自分の身体が強張ってるのがわかった
...続く
iPhoneからの投稿
朝早く起きて、ホテルで朝食
東北の漬物?なのかな?
何て名前は忘れたけど、とにかく美味かった!!
岩手に来て、かなり食い倒れてたけどw
どれもこれも美味いね!!
そして、レンタカーを借り
いざ宮古へ出発!!
車の中では、兄貴分がこの日の為に仕込んでくれた音楽を聴きながら移動
ロッキーのテーマはテンション上がるねw
宮古での目的は
いま宮古にライブハウスを造ってて
もし何かしらの作業をしてるなら、その作業を手伝う
そして、三陸宮古駅でも、ボランティアの方や地元の方が何か作業してるなら、それも手伝う
そして、兄貴が以前宮古へ伺った時に友達になった、中学生のノブ君に会いに行く
岩手県宮古市は、沿岸部に位置する街なんだけど
やはり、あの震災で甚大な被害を受けた街
関東を出発する前に、テレビやネットで色々調べてたんだけど...
被害状況などを知って、言葉にならなかった...
日本一の防潮堤があって、世界にもその名前がしれていた街
高さ10m
長さも何キロにも渡って建設された
世界にも稀な防潮堤
みんな、その防潮堤を信じてた...
昭和三陸沖地震の教訓を生かし、さらなる改良まで加えられていたみたい
でも、あの震災で起きた津波は
その防潮堤の高さをはるかにしのぐものだったみたい
多分、一度はテレビのニュースで見たことある人もいるんじゃないかな?
俺も、あの映像を観てたから...
本当に怖かった...
宮古へ向かうには、峠を越えて行かないといけない
三陸鉄道が、現在も復旧作業をしてるので、移動手段は車しかない
公共のバスは出てるみたいだけどね
盛岡から約2時間
道中の景色は
さすが東北って感じの雪景色
幸い、道路は雪が溶けていたし
路面も凍ってなかったので
雪道に慣れてない関東人でも運転出来た
行きの運転をしてくれた、yasuomiに感謝!!
峠を越えて、宮古市の看板が見えて来た辺りから、車内は静かになって来た
仮設住宅も沢山見えて来た
さらに進むと...
これが被災地なのかって思えて来た
建物の一階部分が流された建物
折れ曲がったフェンス
家の基礎しか残っていない跡地
テレビやネットで見た景色が拡がっている...
中には、改修工事が進んだ家もチラホラ見えた
少し安心した。
まずは、宮古に建設予定のライブハウスを探す事になったんだけど
調べて来た住所に行っても何もない
道行く人に聞いても、みんな知らないって...
でも、道行く人みんな
「えがお」
で応えてくれる
そして、みんな
「ごめんね?」
って
みんな優しいなぁ...
でも、その場所を探さないと意味がないので、ある建物の中に人が居るのが見えたのでその人に声をかけてみた
その建物も、津波の被害を受けたみたいで、その一階では以前焼き鳥屋が営業してたみたい
どうやら、声をかけたのは
その焼き鳥屋の店主の方
ライブハウスを探してる
何か手伝いたいと伝えると
ライブハウスは、その建物の隣に建設予定だよって教えてくれた
まだ何も手がついてない場所だった
その時、店主の方が
そのライブハウスの店長さんに電話してくれた!!
そこで、店長さんと話したんだけど、まだ設計図が出来上がった位なので、建設着工までにはまだ時間がかかると
ライブハウスは残念ながらまだ何もない状態で、手伝う事も無かった
でも、電話をかけてくれた店主さんが何か作業をしてたので話を聞くと
津波の被害を受けたので、その場所での焼き鳥屋はたたむ
その為に、作業をしてたみたい
それなら、何か手伝わせて下さい!!と話したんだけど、店主さんは他の場所にカレー屋さんもやっていると言う話し
良かったら、カレー屋に顔出してよって
そりゃ行くでしょ!!
突然押しかけた俺たちに、しかも店主さんの関係のない事での訪問にも関わらず、ライブハウスの店長さんに電話をしてくれた
後で伺いますと約束をし、次は宮古駅へ
三陸宮古駅に到着
そこには報道関係の中継車も止まっていた
3.11の前の日
何かの特番の為に来ていたんだろう
アナウンサーの福澤朗も駅に居た
そんな事どうでも良くて、宮古駅で何か手伝える事はないかと聞いてみたが、今は特にないとの事
確かに、宮古にも沢山のボランティアの方が来られていて
この一年間、一生懸命作業されていた
そのボランティアの方の頑張りで、駅の辺りはかなり綺麗だった
で、宮古駅でお土産を買う事に
そのお土産屋の人も、とても優しくて
本当に温かいし、みんな
「えがお」
その後、焼き鳥屋の店主さんから
ライブハウスの店長さんは、市場の肉屋で働いてるって聞いてたので、その市場へ向かう
市場の中は、三陸沖で採れた魚介類などを中心に、活気のある場所だった
中には見たこともないくらい、デカイ魚が売られていた
魚嫌いな俺は、怖かったw
その中にある肉屋さん
ライブハウスの店長さんがどんな人かもわからないので、その店で揚げたメンチカツを買いながら話をしてみた
残念ながらその店長さんは出掛けたばかりって事で会う事が出来なかった
まだこの店長さんには会う時期ではないのかな?って思いながら、必ずライブハウスが完成したときには、バンドとしてお世話になろうって思った
そこの肉屋さんの従業員の方と、お仕事中にも関わらず色々話をさせてもらったんだけど
やっぱりみんな
「えがお」
その後、車に乗り込み
さっき会った店主さんがやっている
カレー屋さんに向かう事に
カレー屋に向かう途中
震災の爪跡を観ていた
見る度に、言葉では言い表せない感情が湧いてくる
どの建物も、本当に無残な姿で残って居た
骨組みだけの、鉄筋コンクリートの建物
ボロボロになった建物を資料館にしてる物もあった
あの日、この街では沢山の宝物が流された
テレビじゃない
その光景が、ダイレクトに自分の中に飛び込んで来る
目を逸らしたくない
全てを焼き付けようと、必死でその光景を観ていた
カレー屋に到着し、早速注文
その時に、先程の店主さんが来た
「えがお」
だった。
俺が注文したのは
キーマカレー大盛り
やはり、岩手に来て食いまくってるw
美味かったよ、店主さん!!
必ずまた来るって決めた店!!
美味いからって言うよりも、岩手で出来た人との繋がり
それを本当に大切にしたいって思える人達ばかり
本当に絆って言葉を、自分自身で体験したいから
そう決めた
店主さんに、また必ず来るからって約束し、防潮堤のある田老地区へ向かう事に...
宮古市の中でも、特に酷い被害を受けた地区の一つ
向かってる途中も、津波の被害を受けた街を観ながら移動
峠を越えて、田老地区へ向かう
向かう途中、沢山の仮設住宅があった
その近くには、津波の被害からまぬがれた家もチラホラ見えた
あの津波で、沢山の大切な物を失った人
ギリギリで被害をまぬがれた人
心の中で格差が生まれてくるのは、そう言う所からなのかも知れない...
田老地区の看板と同時に、昭和三陸沖地震の時の津波はここまで来ましたって看板が見えた時...
目の前に見えた光景...
テレビやネットで見る、それより
何百倍も悲惨な景色だったよ...
本当の被災地
被災地の本当の今
自分の身体が強張ってるのがわかった
...続く
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