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ethical cosmeticのSHOKOです
人にも地球にも優しい循環を実現する
”エシカルコスメ”を広げる活動をしています。
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の続きです。
やっと書き終わりました(笑)
遅くなりましたが、完結編!!
昼食後は、滋賀県奥永源寺のさらに奥地
『君ヶ畑町(きみがはたちょう)』という限界集落に行きました。
実はこの過疎化地域には、
日本人にとって、ルーツと言っていいほどの
とても大切な歴史が眠っています。
みなさんは『木地師(きじし)』って
ご存知ですか??
実はこの君ヶ畑町という場所は、
木地師発祥の地として、とても有名な場所なのです。
木地師とは言わば、日本の『ものづくりの祖』を言われる、
木材を使った職人集団のことです。
現在でも世界に誇れるほど日本の工業技術の
レベルがダントツに高いのは、
この木地師たちから受け継がれる
ネジを寸分の狂いもなく作れるほどの繊細な「技術力」
があったからこそ。
日本経済を根底から支えてきた存在だったのです。
でも、私たちのほとんどが
そんな「木地師」という存在をあまり知りません。
それは何故なのか??
・・・実はそこには、執拗にかき消された
悲しい歴史があったのです。
今回、そんなお話を含め、
君ヶ畑町で木地師のガイドをしてくださったのは
実は、その昔全国で唯一、木地師の免状を発行できたのが
ここ、君ヶ畑町でした。
第55代文徳天皇の第一皇子である
惟喬親王(これたかしんのう)は
皇位継承争いに敗れ、この滋賀県奥永源寺へ
逃げてきました。
その当時、惟喬親王(これたかしんのう)が
お住まいだった場所が
この写真写っている金龍寺(高松御所)です。
お寺でありながら、唯一、菊の紋(皇族の家紋)
が飾られています。
こちらは、惟喬親王(これたかしんのう)のお墓です。
惟喬親王(これたかしんのう)は
この滋賀県の山奥に在住している際に
ある時不思議な夢をみて、
ふと目が覚めると法華経の巻物の紐がほどけて
巻物の軸が回転するのを見て
轆轤(ろくろ)を考案発明したと伝えられています。
そこから、木を使った盆や椀などを
作る技術をもった木地師を全国に輩出しました。
現在でも、木地師の子孫の多くの本籍地は
ここ、君ヶ畑町にしている方が多いみたいです。
あまりイメージがないかもしれませんが、
日本の国土の約7割はちかくは森林で
日本は昔から島国でありながら、
その多くは「森の民」でした。
森が清浄であってこそ、水や空気や生物が
生きとし生けるものが循環し合う。
そんな命の大切さを良く知り、
森に住み、生命の営みを
大切にしながら人々の暮らしを支えていたのが
木地師たちの存在だったそうです。
金龍寺(高松御所)の近くには
惟喬親王を祭神とする大皇器地祖神社があります。
とても静謐で、入った瞬間
びっくりするほど空気が変わります。
巨大な杉の木に囲まれ、
厳かな空気に満ちています。
この素晴らしい場所で、
なぜ、この木地師の存在がある時
突然歴史から消されてしまったのか。
そして、その話に繋がる
国歌『君が代』の本当の意味とは・・??
ここまでひっぱっておいて気になると思いますが(笑)
このお話は、きっとこの場所で聞くからこそ
意味があり理解できることなので、
ご興味がある方はぜひ現地で聞いてみて欲しいと思います。
この話の結末を聞くと、
自分が日本人であることを心から誇りに思うし、
私たちの祖先が何を大切にして、生きてきたのか??
が心底理解できます。
この消されてしまった歴史は
絶対に全員が知るべきだと思うし、
守り、伝えていかなければという
想いにもなりました。
わたしたちの祖先が
残し続けたかったものに、
ただただ、静かに感動します。
日本人のルーツを知った後は、
みんなで清流川遊び!!!
残念ながら少し雨が降っていたので
長居はできませんでしたが、
この川の水の清浄さは森が生み出し
やがて私たちの命を潤すお水になるんだなぁと思うと
この自然を守ることは、当たり前のことだし
本当に大切なことだと感じました。
今回のエシカルフィールドワーク@滋賀に
ご参加いただいたみなさま、
遠方からもお越しいただき、本当にありがとうございました♡
レポをみて、行きたかった~~!!!というお声を
たくさんいただいたので、
またタイミングが合えば来年も開催できたらと
思っています^^
政所茶の山形さん
ガイドをしてくださった前川
本当にありがとうございました。
滋賀県奥永源寺、本当に
一度は行ってみてくださいね~~♡
魂が震える経験になりますよ。