Do You Want to Know a Secret?

Do You Want to Know a Secret?

馬に乗るズワイガニのブログです

帯広競馬場、場外、他の地方競馬場、十勝管内ホテル・観光案内所などで無料配布中のばんえいフリーマガジン「Pommele」 vol.2および9にちょっぴり載せていただきました。素敵なフリーマガジンなので全号集めて読んでね


帯広の某大学院で馬と競馬をやっています。春から社会人として牛にかかわります。

高校在学時に週刊Gallopエッセー大賞、
大学学部時に優駿エッセイ賞佳作をいただきました。文章を書くおしごと等いただけると喜びます。
Amebaでブログを始めよう!

すっかり春も盛りを終えました。
むしろ夏。この時期の北海道は本州より暑いことが多いですね。
とはいえ、札幌では芍薬はまだ蕾だし、紫陽花もまだ葉っぱしかないし、菖蒲はまだ咲き始めたばかりだし、という感じですが。
気温だけがバカみたいに高いんだよな。ふざけんなよ


ダービーが終わりましたね。

最近(最近?)わたしは短歌を詠むのが好きです。なぜかというと、31音、文字数で言えば20字前後とかで済むからです。
20字前後で済むと何がいいかというと、スマホでぽちぽちっと打てます。なんなら信号待ちの間とかにも。仕事の合間に浮かんだフレーズも、それぐらいならこそっとメモしておいてあとから歌の形にまとめたりすることができます。
小説をスマホで書くのはけっこうしんどいけど、短歌はがしがし詠めるもんね。
まあ逆に、パソコンで短歌を詠むのは少し難しいのですが。


比喩のセンスがあまりないので、抽象的な歌を詠むのはあまり得意ではなく、出来上がるものははわりとストレートで面白味の少ないものが多いですが、最近は面白味がなくても好きだな、と自分で思えるようなものが溜まってきた感があります。



昨日までの週末、ダービーだなあ、と思って競馬をテーマに詠んだもの、ダービーを見た後にうわ…と思って詠んだものが少しあるので、この記事ではそれを少し紹介させてください。で、競馬を知らない人のために少しだけ解説させてください。


前日、競馬という概念について詠んだものについて。

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いつか見た夢は今でも続いてていつまでだってターフは青い

強くなく格好よくもなく生きてきた人でも夢を買うことはできる

蹄跡を飛び石みたいに辿ったらいつかは会えること信じてる

ふりむくな ふりむいた先に立っているわたしのことなどどうか気付くな

夢乗せるひとびとの罪ゆるさずにそれでもどうか走り続けろ

雨の日に泥だらけの芝切り裂いた君が作った道を生きてる

夕焼けをファンファーレとして天かけろ夜空で夢の十一レース

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全体を通して:競馬好きで文学に興味があったらまあ寺山修司にぶつかるでしょ。
競馬と夢を結びつける思考、「ふりむくな」というフレーズは寺山修司からのインスピレーションです。財布をはたいて夢を買うし、自分を買う、そういうものです、競馬は。


一首目:競走馬にとっての競走生活はたかだか数年しかないけど、人間たちにとっての競馬は長い年月の積み重ねなんですよね。きっとこれからもずっとターフは青い。

三首目:2007年のダービー馬、ウオッカに寄せました。今もこれ書きながら泣いてる。わたしが一番尊敬している牝馬です。理想の女。いつか会いに行くと思っていたのに死んでしまいました。これだから馬は。わたしも強い女になりてえ。

四・五首目は、馬という動物種に対してわたしが向けている感情です。
とても巨大な感情です。
関係あるのかないのかわからないけど、馬と刀って似てますよね。以下は昨年秋にわたしが書いた一節です。
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鉄って自然状態では酸化物としてしか存在しないじゃないですか。それからあの手この手で酸素を除いて純粋に近い鉄を作って、さらにそれを熱したり叩いたり削ったりして整形して、出来上がったあとも日々錆びないように油塗って粉叩いて手入れして、その結果、もしくは過程がいま現存する刀なんですよ。これって、馬じゃないですか?
酸化鉄を鉄にして刀にしてそれを手入れするのって、野生馬を改良して調教して毎日お世話するのと同じじゃないですか?たぶん同じだろ。
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あとこれもまた過去に馬について書いたものの引用です。

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文明の発達を支えてくれて今のわたしたちの生活を作ってくれた生き物、そしてそのために選抜育種を重ね、並行して土地をどんどん開拓したことによってもう野生としては生きられない、生きる場所もほとんどなくなってしまった彼らの面倒を見続ける責任が人類にはある、と思っています。競馬はその責任の取り方のひとつだとも思っています。わたし、競馬好きだしなくなって欲しくないんですけど、その理由のひとつは「責任を取る方法がひとつ減ってしまうから(そしてこのひとつが今の、特に日本においては大きな方法だから)」です。馬を利用してここまでやってきて、彼らの戻る場所もなくなってしまった以上、利用し続けなければならないと思っています。
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そういうわけで、わたしは馬が好きで、刀が好きです。そして、好きじゃなくなったとしても忘れちゃいけないものだと思っています。一頭一頭じゃなくて、馬という動物種全体についての話をしています。でも、そういう望みそのもののことはあまりきれいなものだと思うことができない。ので、ふりむかないでほしい、ただ後姿を見て祈ることだけ許してほしい、という歌です。

六首目、これはもうあれですね、2009年のダービー優勝馬、田んぼとか言われるくらいに土砂降りでぐちゃぐちゃの馬場の中を突き抜けたロジユニヴァースのお話ですね。あっちょっとまって馬名打っただけで泣けてきた(今わたしはストゼロ一本空けて酔っています。)

中学校に上がって少ししたころ(2007年秋くらい?)から本格的に競馬を見始めて、初めて2歳のころからきちんと応援しててダービー馬になったのがロジユニヴァースです。
あっまってほんとにいま涙腺がだめなやつ

彼のことが本当に好きで、現役の時に一回レースを見に行ったし(リニューアル前の札幌記念で、それがわたしにとって初めての競馬場だった)、牧場にも会いに行ったし、彼のお母さんにも会ったし、そのときのこととロジに関するでかい感情のことを作文にしたらなんか賞を貰ってお金とか連載とかもらえて、そこからたくさんのコネと自信を与えてもらって、だから今でもわたしは自分の人生が彼のおかげでこんなふうに続いていると思っている。彼にあてて詠みました。

七首目は2015年のJRAブランド広告「夢の11レース」にあてて。
「夢の11レース」とは、
『1984年のグレード制(GIとかGIIとか)導入時、もしくはそれ以降に現役で競走馬として走った馬を対象に、CM制作当時までに引退し、特に秀でた実績、あるいは強烈な印象を残した名馬18頭が一緒に走るという”幻のレース”。競馬ファンなら誰もが一度は想像するであろう”夢のレース”』です。

サイレンススズカ(90年代後半活躍)、ミスターシービー(1982年三冠)、オグリキャップ(80年代後半活躍)、オルフェーヴル(2011年三冠)、といった、活躍した年代が全然違う、そして大半がもうこの世にいない、名馬たちが、もしいちどに戦ったらどのようだったか、という夢。
ウオッカやディープがいなくなってしまったことをいまだに引きずっています。

ディープに関しては、上記とは別に
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アルストロメリア献じた白昼にあなたが走った日を夢想した
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というのも詠んでいます。昨年の夏、札幌競馬場に白いアルストロメリアを献花したことを思い出しながら。


PATの口座を持ってないので実は中央の馬券は全然買っていません。だからダービーはレース中継を見ただけです。それも、家にテレビがないからネットで無課金NHK+の劣悪な画面で。(あとでJRAの動画は見たけれども…)

でもさー…よかったからさ……レース始まる前にもうクライマックスみたいな感じだったし……終わった後に、今年のダービーにあてても少し詠みました。


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辿るべきレールはすでに敷設した ここから先はお前次第だ

今ならばやさしく祝福してやれる 勝者に虹の花輪をわたそう

作られた身体でつくられた道を走ると決めた邪魔はさせない

背後から七千二百六十一頭の地響き、走るしかない

真っ青に白いクレヨン一本線空を割くのは君の特権
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全て別の立場に沿って、時系列にそって詠みました。

一首目の主題は血統と環境について。ぼんやりしたイメージでは、ディープインパクト(今回の勝ち馬の父親)目線?という感じ。血統背景があり、それを見込んで馬を買ったオーナーがいて育てた人たちがいて、進むべき道筋はデビュー前からほとんど決まっている。でも、当馬がそのレールに乗ってくれるかどうかは、馬自信が決めることです。「決められたレールを走るだけの人生なんて」とかいうけど、脱線しないで走るのってけっこうな決意と努力がいる、たいへんな仕事だと思うんですよね。

二首目、二首目は、うぇ……また泣いているんですけど、これはサクセスブロッケンについての歌です。
彼は08年のダービーに出走し(まあビリだったんですけど)、その後ダートで活躍した馬です。もともとダート馬だったし、芝に向いていなかったんだな。
引退後は誘導馬になったんだけど、ちょっと神経質なところがあったので大舞台での仕事は少なくて、それが、今年、ダービー誘導のお仕事。映像見て「あれっこれもしかしてサクセ…(中継の司会者が誘導馬の名前をアナウンス)サクセスブロッケンだーーーー!!!!!ああーーーー!!!!」となってしまいました。レースより感動してしまった。

歓声が苦手らしいので、無観客だからこそ表に出られたのかもしれませんね。であれば、この無観客開催も意味があったというものか。
でも、え?あいつがダービー出てたのもう12年前?!そっか…そっか…

という気持ちをこめて詠んだものです。
「虹の花輪」は、彼の馬名由来「ブロッケン現象」から。空に現れる虹色の光輪です。


三首目は今回の出走馬たちについて。
一首目と似た主題で目線を買えたものです。彼らが競走馬として生まれたのは彼らの宿命でありわたしたちの業ですが、彼らが競走馬としていま生きていることは彼らが選択した結果だと信じたいのです。

四首目、7261+1=7262は今年のダービーに出走できるかもしれなかった、2017年生まれのサラブレッドの数だそうです。日本ダービーというのは、その年に3歳になった馬(のなかでも精鋭18頭)しか出られない、彼らにとっては一度きりのレースなのです。
この数字を使いたかった。そして、この歌はその頂点に立つことになった今回の勝ち馬、コントレイルにあてて。競馬場で、馬たちがゴールに向かって迫ってくる足音って、歓声が合わさるからかもしれないけどすごく大きく聞こえます。スタンドにこだまして聞こえるその地響きは7262頭分のものかもしれなくて、だからあのとき彼は7261頭分の足音を背負ってゴールしたのかもしれない。

五首目はわたしから、コントレイル(馬名由来:飛行機雲)へ。
ちょうどブルーインパルスが飛んだ直後だったしな。
何もない空に自由に線を引くことができるのは一番速いものの特権ですね。
これからも好きなように、自由な線を引いてほしいと思いました。

これからも、夢を見ることを許してください。


 

あけましておめでとうございました。

今年もよろしくお願いします。以下の文章は帯広から札幌に向かう電車の中で書いていた日記のようなものです。いまは帰宅している。



今年は27日に仕事を納めてからまっすぐ実家に帰省し、年明けて元旦には札幌へ戻り、2日早朝には札幌を出て今日まで帯広で競馬をしていた。

寒かろうと思ってダウンを着たが、それでも寒いものは寒い。十勝の冬は風がなければ気温が低くても過ごしやすいが、この2日間は風も吹いていた。ヒィ。


車もないしわざわざレンタカーを使うほどのこともないので、現地での移動は徒歩である。寒い。でも特に苦になるわけでもないのは、徒歩ばかりの札幌生活のおかげだろうか。車を手放し都会の女になってから、わたしはよく歩くようになった。岩見沢駅から岩見沢競馬場跡まで歩いたり、中標津市街から中標津空港まで歩いたり、小樽市街をひたすら何もせず一時間歩き続けたり(なにやってんだ?)

それらに比べたら、帯広駅から帯広競馬場、隣接レベルの近さである。


競馬場で時間を過ごすのは、11月の佐賀以来だった。Aibaには少し行ったけど。

札幌開催中にも思っていたことだが、競馬場で競馬をするのはとても贅沢なことだと思う。座るところがなくて足が痛くなったり、うざいおっさんに絡まれて嫌な思いをしたりしても。なにしろ競馬場にいると競馬しかしない。いや、あまり強く限定すると語弊があるが。

レースとレースの間の時間、パドック見て馬券買ってもまだ20分以上余る何もない時間、この暇さ。

この暇のあいだ、わたしは場内をぶらついて知った顔に笑顔を向けてもいいし(ふれあい動物園に行くと、毎回調教師先生に「まーたお前ひとりで来たのか!いつ嫁に行くのよ!次は彼氏連れてこい」と言われるのが恒例になっており、強い実家みを感じる)、他場の馬券を買ってもいいし、シャボン玉を吹いてガキどもを集めてもいいし(帯広ではやめておこう、佐賀なら場内でシャボン玉セット売ってるくらいだし大丈夫だと思う)、ベンチに座って微睡んでもいいし、虚空を見つめて「何もしない」をしてもいい。わたしは「何もしない」をするのが好きだ。なんなら馬券も買わずに何もしないをやっていることさえある。まさに「空気を吸いに来てる」という感じ。わたしは競馬場の空気が好きだ。

都会の人間が空の広さを感じたいと思ったら、行くべきは田舎ではなく競馬場だと思う。スタンドからコースを見渡すとき、視界の大部分が空である。今回の帯広競馬は特に強くそれを感じた。見慣れてしまった札幌の空は狭い。まあ、最初にこれを感じたのは札幌開催のときだったけど。


何かを見てきれいだとか美しいとか思うとき、何がどのような形でどんな色をしているのを美しいと思ったのか、と語彙にしようと尽力すると、(実際に語彙にできるかどうかはともかく)よりその対象をいとおしく思うことができる。競馬場と空、というのはそういう点でわたしにとってはとてもいとおしく思うテーマである。なにしろずっと見ているので。空を見ては、これは何色と言い表すのだろうかとか、暮れかけの青色と薄紫の間はストレートなグラデーションではなくてあいだに無色に近いような色が挟まっているんだなとか、あの雲は楽しそうな顔で羽をばたつかせるアヒルみたいだとか、ずっと考えている。午前も午後も夜も良いし、晴れていても晴れていなくても良い。それでも日没前後のまだ明るい、でも昼間よりは確実に夜を感じる時間、つきはじめたイルミネーションが色付いた空を背景に光るのを見るとき、そしてそこにBGIのファンファーレなんかが重なるとき、とりわけ泣きたいような気持ちになるのは3月の刷り込みだろうか。レースを終えた馬たちを見送り、入れ替わりにはじまる次のレースのパドックまで見てスタンドに戻るとき、建物の上に星が光るのを見つけて、わたしは初めて夜を認識した。帯広記念はあたま2頭の馬複を持っていた。


トータルでの馬券の収支はボロボロだった。心当たりはなくもない。元日の鍛刀キャンペーンで日向くんを一本釣りし、これで山鳥毛を除く全実装刀剣を入手したわたしは、とても喜んだ。近侍の山姥切国広くんに向かって満面の笑みで感謝を述べ、ここで運使っちゃったら明日からの馬券当たらなくなっちゃうよ〜!とニコニコした。山姥切国広くんは、「関係ないさ、でももしそうだとしても、まあ、俺のせいにしておけばいい」と微笑んだので、わたしは少し逡巡したあと、いい、と言った。日向くんを引いてくれたのは山姥切国広くんで、わたしは山姥切国広くんがわたしの神様である限り、一生馬券が紙ゴミになる呪いに囚われても構わない、と言った(ここまですべて限界夢女の幻覚です)。だからかもしれない。わたしが刀の神様にそんなことを言うので、競馬の神様が拗ねたのかも。いや、しかしわたしは競馬の神様などというものを信仰していない。もし信仰するとしても、それは個人の当たり外れを左右する神ではなくレースに出る・関わる人馬を見守る神である。ので、普通にわたしの馬券がクソザコであったのだろう。それにしても酷かったな。

全自動大河原和雄買うマシーンをやってる限り避けられないことだが、某N騎手を買って馬券をゴミにするだけの修行みたいなのをずっと繰り返している。修行というか石積みというか。天馬賞はその積年の怨恨(というのは少し大袈裟だが)のせいでグンシンを推すか非常に迷った。結局買ったが、まあ、ダメだった。とはいえミスタカシマとアアモンドグンシン2頭軸でその他2頭に流した三連複を買って外しているので、これは完全にわたしが下手。馬券的には2着なら悪くないし馬はめっちゃかっこよかった。騎手のせいにするな。はい。


おそらく次回の十勝訪問はばんえい記念になるだろうと思う。その前にもう一回くらい行きたいけど、無理だろうな。


年末の大掃除をしていない。明日明後日で多少は掃除らしいことをしたい。





唐突に何か書きたくなることがあり、書くことにした。お久しぶりです。

帰省した。犬がかわいい。帰ってきたのは一昨日の夜で、これから書くのは昨日考えたことである。

美容室に行った。先客がおり、忙しそうだった。キリキリ働く美容室のひとたちを見るのは楽しかったが、わたしの真顔はむすっとして見えがちなので、ここの人間たちがわたしが待たされて怒っているように思ってしまっては申し訳ないな、と口元をもごもごさせてしまった。まあ誤解はされていないと思う。なにせわたしはこの美容室に自力で椅子に上がれない幼児の頃から通っており、幼児の頃のわたしはびっくりするほど無愛想であったので。

美容室に行くと「髪増えたね〜!」と言われるのが恒例であったが(実際に増えていたので)、今回は言われなかった。たしかに前回髪を切った時からあまり増えていないなと思う。髪が増えたねと言われなかった回は過去にも一度あり、それは学生のときだった。あのころのわたしよりも今のわたしはストレスの少ない幸せな生活をしているはずだが、栄養の問題だろうか。そういえば最近は自宅であまり動物性タンパク質を摂取していなかった。面倒なので。肉を食おう。


美容室はいつも有線放送を流しており、今回ももちろんそうだった。毛先を揃えてもらっている間、DA PUMPU.S.A.が流れていた。それでわたしは考えた。音楽作品における「アメリカ」の存在について。


少し調べると、U.S.A.DA PUMPのオリジナル曲ではないことがわかった。原曲はイタリア人がリリースしていたが、歌詞は英語だった。歌詞のニュアンスは日本語とかなり異なっていた。歯の浮くようなラブソングである。どこぞの伊達男に歌ってほしい。爆笑必至である。ともかく、わたしはDA PUMPの歌詞のほうが好きだ。ネットで調べていたら、DA PUMP版の歌詞を「意味が無くて、ダサくて、笑える」と言う人もいたけれど(たしかにわたしもダサいとは思う)


「アメリカ」は様々な概念の象徴である。

ウエストサイドストーリーにおけるAmericaは讃歌だった。アメリカ最高!故国は海に沈んじまえ、と歌われた。差別も貧乏も歌われたが、それにもかかわらず自由と豊かさの象徴だった。これが1950年代のこと。

サイモンとガーファンクルのAmericaは喪失感と不安を比喩していた。戦争や差別など、それまで見えなかったものが目に見えるようになり、アメリカ人が自国に不信感を抱き始めた時代。"I’m empty and aching and I don’t know why"というフレーズが、1960年代の「アメリカ」が象徴していたものであるように思う。

上記はアメリカ人によるアメリカ観。外の人間から見たアメリカは、かつて憧憬の対象だった、という懐古の象徴である。憧憬そのものよりも、憧憬の懐古のほうが歌にしたとき受け入れられやすいのではないかと思う。それがDA PUMPU.S.A.であり、斉藤和義のアメリカであり、浜田省吾のAMERICAなのだろう。ちなみにわたしのいちばん好きな「アメリカ」楽曲はスティング&シャギーのDreaming in the U.S.A.であり、これもまた憧憬の懐古である。アメリカというのは奇特な概念だなあと思う。わたしはアメリカを憧憬したことがないから、アメリカへの憧憬を見聞きするのが面白い。

そんなふうに考えていたら美容師のおいちゃんに前髪をアレンジされていた。楽しそうでなによりである。


帰り道、唐突に幼少期のことを思い出した。わたしが幼かったころ、町から女子高生がひとり消えた。女子高生は今も見つかっておらず、捜索の看板が市内にいくつか残っている。警察が一軒一軒家を回って聞き込み調査をしていて、うちにも警察が来て母が応対していた記憶がある。それと時期を同じくして、わたしは当時の遊び場だった空き地にマフラーが落ちているのを見つけた。どこから来たのかわからないタータンチェックのマフラーは、しばらく我々子供たちの遊び道具だったが、その後どうなったのかは覚えていない。消えた女子高生は、最後に目撃されたときバーバリーのチェックのマフラーをしていたという。女子高生がアルバイトしていたというパン屋は当時のわたしの家の近くにあり、何度か親に連れられて入った記憶はあるが、どんなパンを買っていたのか、どんな味だったかは何も覚えていない。パン屋は随分前に潰れた。わたしは潰れたパン屋と尋ね人の看板の横を歩いて習い事に通い、消えた女子高生が通っていたのと同じ高校に進み、卒業した。高校はバイト禁止だったが、当時は禁止ではなかったのだろうか。わたしたちが遊び道具にしていたチェックのマフラーはあの女子高生のものだったのだろうか。そんなことを思い出していた。

こんにちは、審神者です。本業としてのOLの傍ら、毎晩副業で歴史を守っています。高校の時は地理選択でした。


今日は、西洋の歴史改変モノ映画が公開されたということで、観に行ってきました。はい、「イエスタデイ」ですね。


ビートルズの存在しない世界に飛んでしまった主人公が、誰も知らないのをいいことにビートルズの曲を歌いまくって大ヒットする、まあありがちなストーリーの映画です。蟹くん、そういえば審神者より前に強火のビートルズオタクだったもんね。あ、本記事はめっちゃ内容に言及します。ストーリーの中身そのものや結末にはあまり触れませんが、ネタバレとか気にする方はとりあえず映画見てきてから読んでください。いや読む必要もないですけど。


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ありがとう、制作者。ありがとう、「イエスタデイ」の世界。ありがとう……


めっちゃ泣きました。あるひとつのシーンでめちゃくちゃに泣いて、そのあとエンドロールでそのシーンのこと思い出してもう一回泣きました。てかエンドロールは本家ビートルズの曲が流れるんですけど、映画館の音響であれ聴けるだけでも行った価値あったわ。映画館ででかい音で聴くと、楽器とかコーラスとかいろんな音がそれぞれ独立して聴こえるんだよね。最高でした。




一番、というかほぼ唯一泣いた部分。ジョン(のそっくりおじいちゃん)が出てくる。え????

けっこう雰囲気似てて笑ったし、でもそれどころじゃなく泣きました。音楽とは無縁の生活をしている、津波が来たら即死しそうな海辺の小さな小屋に暮らす、(映画内では)78歳のジョン……有名でもなんでもなくそのまま閉じていくであろう自分の人生を、現在を、幸せであると言うジョン……うわ思い出してまた泣けてきた


ジャック(主人公)が「よくここまで生きてくれた」「ハグしても?」みたいなこと言ってるとき、わたしもぴったり全く同じ気持ちでした。この世界線を生んでくれた制作者、ほんとうにありがとう、ありがとうございます……


もういっこ、泣くまでいかなかったけどだいぶやばかったところ、ジャックがリバプールに行ったところ。具体的にはストロベリー・フィールドに。あそこ工事中なんですね……知らなかった……しょももんとしてしまった。実際改装工事中っぽいです。先日わたしは岩見沢競馬場跡地を見に岩見沢まで行き、駅から徒歩で競馬場跡地まで行くという愚行の挙句に工事現場にたどり着くというやつをやったんですが(しかもそのあとめっちゃ雨降ってきて洪水に巻き込まれてえらい目に遭った)、その時と似た気持ちになりました。

映画としては、曲で有名にもならなかったから、老朽化により取り壊し中、みたいな図だったのかもしれない。しんどいですね。




映画の良かったポイントも書いておきましょう。


リリー・ジェームズかわいすぎて死ぬかと思いました。「マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー」で気付いてたけどわたしこのひとかなり好き。「イエスタデイ」ではちょっとだけリリー・ジェームズが歌ってる姿を見ることができます。うれしいね。


その他ビートルマニアならぴくっとするようなポイントがたくさんありましたね。歯医者の会話、マックスウェル、ルーフトップ、悪夢のシーンの裸足、モスクワライブ。

あとCarry that weightが流れたシーン、ウワーッて思いました。あそこにあの曲持ってこようと決めた人と握手したい。えっこんな序盤にアビー・ロードの曲出す?って一瞬思ったけど、でも曲があまりにどんぴしゃなので。以前ポールのライブの感想で書いたけど、わたしは、もう、というかあのライブのときやっと、B面ラストメドレーが「人生」であること、Carry that weightの歌詞がhave to でもmustでもshouldでもない、gonnaであることに気付いて、それで世界が変わっています。そのことを思い出したりもしました。


演出の面では、エリナー・リグビーの歌詞を思い出そうとするシーンがよかった。笑えたし、そして、そもそも「エリナー・リグビー」は花嫁ではないんですよ。でも花嫁のイメージがめっちゃ出てくる。その違和感を、ラストで回収してくれたのもよかった。あれ回収してくれなかったらただもやもやして終わってたけど、ちゃんと拾ってくれたおかげであの一連のシーンを面白かったなあとニコニコ思い出すことができます。

あとエド・シーランかなり好きになりました。よく知らない人だったけどこれから聴きたい。マ!ヒ!の(ラ!サ!みたいな言い方をするな)シェールみたいな枠かなと思ったら普通に大事な登場人物でしたね。自分の楽曲着メロにしてるの笑った。


もやったところも一応書いておくか。

製作者、ビートルズの偉大なところをメロディライン(と、コード進行、歌詞も?)だけだと思ってませんか? たしかに偉大だけども。かれらの偉大さの一端は、メロディやコードや歌詞だけじゃない、あの時代、まだロックというジャンルが赤ちゃんだった頃において、そのスタンダードを作りながら自分たちでぶち壊して新しいものを作り続けたことだと思うのです。つまり、冒頭で変なびよーんて音鳴らしてみたり、ストリングス入れてみたり、サイケ路線に走ってみたり、クラシックの要素を持ち込んでみたりというのを、あの時代に、やったということが。だからこそビートルズは多くの人に影響を与えたのだと思っています。

だから、もしこの映画の目的が「ビートルズの偉大さを伝えたい」なら、それに関してはふーん……って感じです。もっとやりようがあったんじゃないの、と思います。

ヒメーシュ・パテルの歌はめっちゃ上手くてすげえと思ったけど。というか、あんまり上手いので、本家はそんなに上手くないよなでも上手い下手じゃない鮮烈さがあったから残ってるんだよな……ってむしろ考えてしまうくらいでした。




さて、この映画はわたしの初期刀であるところの山姥切国広くんをはじめとする数振りの刀とともに観に行ったので、映画が終わったときぐずぐず泣いているわたしを見て彼らはかなり戸惑っているようでした(これらはすべて限界オタク女の脳が生み出した幻覚です)

改変を防ぐ仕事をしてるのに、改変後の世界を見て何を泣いているんだお前は、ということですね。

まあ、映画だからいいんだよ、の一言で終了なんですけど。現実(現実ではないが)、もしもわたしが審神者やってる世界で改変が起きて、ビートルズなくしてジョンも死なない世界になっちゃいました、元に戻してって言われたら、わたしは、じゃあ戻そうかってわたしの刀に言うと思いますし。なぜならすべての現在と未来は過去の続きであり、過去は現在と未来のためにのみ存在し、まあ要するに過去のために今が、未来が変わっちゃいけないからです。

だから安心してね、わたしの刀たちよ(幻覚です)


活撃/刀剣乱舞(アニメ)では刀のみんなが戦いながら敵の思惑や作戦について一生懸命考える姿がかっこよかったですね。というわけで、わたしも考えてみようと思います。「イエスタデイ」の世界に改変した修正主義者は、一体何を目的とし、どこをどのように改変したのか?どこに介入すれば、もとのビートルズが存在する世界に戻せるのか?

(映画ではビートルズ関係ない他の概念もちらほら消えてる描写があるので、たぶんなんかもっと都合のいい何かの力によって消えてるだけだと思います。ここからはすべてわたしの妄想です)


方法、目的、いずれにしても可能性の話なので無限にあるのでしょうが。


まず方法から。

ジョンがいる、ということは、メンバーが生まれなかったことにはしなかったようです。ジョンだけ生存してて残りが生まれなかったことにする、だけではビートルズ(に類する大きな存在、またはそれらの楽曲)の誕生を阻止できなかった可能性があるからです。グループ組まなくてもあんな才能あったら周りがほっとかないでしょ。ほっとくなよ。ということで、たぶんみんなこの世に存在してはいそう。


まず、メンバーに音楽やらせたらもう失敗だと思うんですよね。ぜってー才能あるんだから。クオリーメン出来たらもうお終いよ。もうなし崩しに聖ピーターズ教会でジョンとポール出会っちゃうじゃん。直後にジョージ合流しちゃうじゃん。そのうちリンゴも来るじゃん。だめ。というか、彼らが出会わなくても、各々が音楽に出会ってしまっていたら、メンバー共作でないいくつかの曲は世に出てヒットしている可能性がある。ややこしくなるのでだめ!


なので、音楽から全力で遠ざけていきましょう。

有力候補は、スキッフルの誕生阻止です。スキッフルというのは音楽ジャンルの一種で、ブルースとかジャズとかに端を発した、有り体に言えば労働者階級向けの音楽です。「向け」というのは、聴く側としてではなく、演奏する側として。有り合わせの、時には手作りの、時には代用品(洗濯板とか)の楽器を用いた音楽は、高価な楽器を持っていない人や上手に弾けない人でも気軽に参加しやすく、めちゃくちゃ人気がありました。Wikipediaによると、50年代後半にはイギリスだけで35万のスキッフルバンドが存在したとか。人口じゃないですよ。バンドの数だけでこれ。ってことはスキッフル人口はもっともっと多かった。当時のイギリス人口約5000万人、うち音楽を嗜みそうな年代で、ブルースやジャズを好み、スキッフルバンドを組むことを禁止されなさそうな階級で……と絞ったら何万人になるのかはよくわかんないですけど(調べるの諦めた)、少なくともメジャーなジャンルではあったでしょう。存在するのに触れないのは、難しそう。かなり。

なので、このジャンルが存在せず、音楽をやることのハードルが高いままであれば、うっかりチャック・ベリーなんて聴いちゃっても、楽器を買ってバンド組もうとは……いや……なるかな……自信ねえな……


やっぱ安全なのはそもそもブルースもロックンロールも生まれないようにすることなんですよね。クッソつまんねえ世界になりそうだな。

えーでもそのへんのルーツってアフリカ系民族音楽だし、もう奴隷貿易をやめさせて音楽の流入時期を遅らせるとかしか……どんどん壮大になっちゃうな……いやでも映画でストーンズ消えてなかったからやっぱ黒人音楽消えちゃダメだ……ブルースは温存しなきゃだ……



1950年代までの大きな歴史の流れを変えずにメンバーの才能開花を阻止するには、きっとあとは周りの環境を変えるしかない。

映画に出てたからとりあえずジョンの話に絞りましょう。

ジョンは実親が離婚したりなんだりなんやかんやで叔母夫婦に育てられています。で、ときどき実母の家に通っていました。Wikipediaによると、再婚相手にバンジョーを教わった実母がジョンにもコードを教えてあげたって……あっこれもうこれじゃん!!!両親の離婚阻止すりゃいいんだ!!そしたら楽器教える再婚相手も出現しないし!……そういえば映画のジョンおじいちゃんは、元船乗りでしたね。ジョンの実父も、船乗りだったね……


わたし、映画館を出て帰るとき、製作者ありがとうジョンが生きてる世界ありがとうという気持ちとともに、もし史実通り実母が事故死しているとしたら、実母を事故で亡くしたジョン少年に音楽が寄り添えなかったということじゃん……音楽がないなら何がジョン少年を慰めてくれたんだろう……と考えてたんですけど、離婚回避してたらこの事故だって回避ワンチャンありますよね??両親と仲良く暮らして(父は船乗りだから家を空けがちとしても)、事故の日に母親がその場所を通らず、死なない可能性が。

あれれ??もしかして、もしかしてだけど、これ、目的、「ジョンに穏やかで幸せな人生を送らせる」では????

あっうわ…………やば…………泣くじゃん…………

ヒィ…………


ビートルズがないからオアシスもなかったし、消えてなかったアーティストも、たとえばストーンズはI wanna be your manを歌わず、ボウイはAcross the  Universeを歌わなかっただろうし、日本のグループサウンズやロックも変わっていたかも、矢沢永吉はサブウェイ特急を作らなかったしそもそもデビューしてもいないかも、他にも多くのアーティストが生まれず終わったかもしれない、巡り巡ってジャニ◯ズ事務所のアイドルが新◯誠映画のサントラやってたかもしれない。あとジャンル問わず、レコードやCDに歌詞カードがつかないのがデフォなままだったかもしれない。日本だけでこの有様、世界規模で見たらもっと大変な変化や欠落がありそう。それら全部見過ごしても世界を変えたかった理由がそれなら、わたしは、そういうの、大好き……………………



気の向くままに書いてたらもうなんの話してたか思い出せなくなっちゃった、まあいいや、とりあえず見てない人は見るといいと思います、「イエスタデイ」。



ほぼ半年ぶりくらいになってしまいました。

生きてます。社会人になりました。社会人をやっています。

 

仕事はかなり楽しくて、でもわたしが入る前にうちの部署は4人別部署に引き抜かれてしまっていて、入ってきたのはわたし含めて2人しかいないので、結局-2、でももう1人は近隣部署から異動で来た人だけどわたしはほんとに何も知らない新卒でまだまだひとりでできない仕事だらけだから実質-3、の状態で、先輩方は残業が常態化、わたしはまだ定時に帰ってるけど、少しずつひとりでこなせる仕事も増えてきたら残業するようになるのも時間の問題……とびくびくしています。

 

部署の中にはまだ小さな子供のいる親である人も複数いるので、そういう人が気軽に仕事を空けられるようになんでもバリバリできるようになりたいのですが(結婚したいとか子供を持ちたいという気持ちは皆無なのですが、すでに子供がいる人を「お子様に何かあったら急に休んでも大丈夫ですからね!病気とか怪我とかに限らず保育園や学校のイベントでも!ここはわたしに任せてください!」と仕事面で支えることで子育てにかかわりたいみたいな気持ちはある)。全体的な仕事量からみると、これわたしひとりが仕事すごくできるようになってもこのひとたち残業するだろうな……ともにゃもにゃしています。

でもまあ楽しい。乳牛関係の仕事をしているのですが、こんな牛さんがいるんだなあ……とか、こんな農家さんもあるんだなあ……とか、そのほか研修会とか勉強会とかもあるのでいろんな面で知識がアップデートされてる感があります。あと勤務環境も気に入っているし。みんな仲良しだしわからないことがあれば気兼ねなくすぐ聞きに行けるけど、余計な雑談はほとんどしないみたいなのが。

 

ええと、ブログさぼってた間もいろいろありました。

無事に卒業したとか。卒業式の日、わたしが学生時代一番お世話になった馬に会いに行けるよう後輩たちが取り計らってくれたこととか。クラス(といっても一桁人数ですが)のなかで成績一番だったから卒業式で登壇して学位記もらったこととか。研究室では毎年追い込んでボウリングに行くのが伝統になってて、わたし学部3年生の時から毎年最下位だったから4年連続ビリを狙ってたらまさかのスコア1差でブービーだったこととか。わたしよりボウリング下手な人類存在したのか……

 

そうそう、ピアノも無事に引っ越し先に持ち込みました。引っ越してきた翌日にはもう搬入しました。日程の都合上わたしの引っ越しは業者を使わず宅急便で済ませたのですが(学生時代の6年間で家具家電はだいぶ使い古したし、しかもそれでも引き取ってくれる人がいたので、大きいものは全部手放して買い換えました)、その荷物より先にピアノが来た。うれしくてしばらくの間毎日2時間くらい弾き続けてましたね。最近は現実に慣れてきたのとあと普通に手持ちの楽譜に飽きてきたので、週数回、各1時間前後ずつといった感じですが。でも音楽に対する感受性も昔ピアノを習って弾いていたころよりずいぶんアップデートされていて、チェルニーの練習曲でさえうわ美し……となるし、バッハのインヴェンションはいまのほうがわたしのいちばんいいと思える弾き方で弾けます。こういう音が良い、と考えてバッハを弾けるようになったってだけでもすごいことです、わたしのなかでは。

 

帯広にはすでに2回帰りました。実家にも1回しか帰ってないのにな(そのかわりGW中の1週間まるまる滞在したけど)。そのうち1回は大学にも寄りました。また先生の車の助手席に乗せてもらえるとは……って感動したけどこの調子だと普通にこれからも助手席乗れそうだな(先生は普段使いの車がハイエースで、シートも少し高めにカスタマイズされてるやつなので、わたしはその助手席によじ登るのが大好きなのでした)。

そしてまた帰ります明日。グランプリあるからな。宿泊費がクソ高くて、あ、夏休み……となっています。

 

4月には東京に飛んでリンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのライブを見てきました。なにあれめっちゃ良かったんですけど。イエロー・サブマリンってあんなに盛り上がる曲なの????あと完全に失念してたんだけどそういえばWith a Little Help From My Friendsってめっちゃコール&レスポンスな曲じゃん…?!めっちゃコールできるじゃん…!?しました。泣いた。だってできるなんて思ってなかったんだもん……小中学生のころの、ひとりでビートルズ聴いてた頃の自分に教えてやりたいです。24歳のお前はリンゴ本人に向かって"Do you need anybody?"って歌いかけるよって。あと予習してなくてもちゃんと歌えたのは当時の自分がちゃんと暗記するくらい聞いてたおかげなのでお礼を言いたい。ありがとな。

いや、予習してなかったわけではないんですけどね。でもこのライブに関しては、ビートルズやリンゴ関連以外の曲も演奏されるので、そっちの予習で忙しかったので。だってビートルズ関連の曲とか、イントロ3秒でわかるから予習不要だし……

というわけで予習して行ったTotoのAfrica最高でした。もしかしてこの曲聞くために来たのかもしれないって錯覚するくらいには。予習とライブのせいでTotoのことかなり好きになってしまった……ライブにはギターのおじさんしかいなかったのに……

Men at WorkもSantanaもかなり好きになりました。退勤時とかめっちゃ聴いてる。

 

 

あ、先日浴衣と下駄を買いました。買ったんですけど一緒に出掛ける相手はもちろんいないし祭りとかに行く気もないので、行ける場所競馬場しかなくない……?になり、競馬場に行きました。暑い日だったので大丈夫かなと少し心配でしたが、ちゃんと衣紋抜けたし帯板に保冷剤入れてたらほどよくひんやりして4時間くらいは持ったし、日傘も持ってたし、案外快適じゃん!となりました。たぶん今シーズンあと1,2回は浴衣競馬やると思います。

足焼けるの嫌でレース足袋履いたらめっちゃ滑って鼻緒食い込んで(特に下り坂とかで)やべえいてえ……となったりもしましたが。そこはなんかうまいこと対処していきたい。ディープインパクトに献花するためにアルストロメリアを持っていたので、浴衣で花持って送迎バスに乗るわたしはだいぶ浮いていました。ほかの一部乗客にぎょっとした顔されたの面白かったな。そうしてわたしは競馬を続けています。死んでいく馬たちが残していくものを拾い続けていきます。

 

わたしはディープもキンカメも、現役時代をリアルタイムで見てはいませんでした。それでも知っている。競走馬としての様子を、父馬としての様子を。これからもどんどん知っていくでしょう。それは、だんだん、血統表の右側に細く寄っていくでしょうが。

わたしは馬に人生狂わされたタイプの人間で、きっかけは乗馬だったけど、以後はかなり競馬に影響されています。ほんとは文系に進むはずだったのに……でも、たぶん文系行ってたら今頃生きてる確率はかなり低いと思うし人間嫌いなまま人生苦痛なまま生きてた可能性もあるので、狂わされてよかった。推しがいることは人生を豊かにします。わたしは泥だらけの生き物の美しさを知っているし、勝負服の色を世界に見つけて、たとえば黄色い花をみたらウオッカを思い出すことができる。ピンクと白の自転車にメイショウベルーガと名づけ、白い車にアオノレクサスと名づけることができる。好きなものがひとつあるだけで、好きは他のものにも広がります。好きがたくさんあるのは、人生を美しく感じさせます。記憶と記憶は紐づいて、たとえばディープのレース映像を見たら、それらを携帯に入れていつでも見られるようにしていた中高生時代を思い出すし、あのころの息苦しさを思い出して慈しむことができます。過去を慈しむことは、きっと今の自分が未来の自分から慈しまれているという自覚につながります。

 

それはそうとさ~~~~生き物なんて絶対死ぬようにできてんのに死んで当たり前なのに死んだら死んだで周りの生き物の感情が乱れるようにできてるこの機構、絶対世界のバグじゃんね~~~早く直せよ~~~~

 

最近はなんか夜中に外を走るのが趣味になりつつあります。この前走ってたら畑に落ちてめっちゃ笑ったし札幌で畑に落ちるって何、って思っていろんなところでこの話しちゃう。びっくりしたー、って言ったら職場の先輩に「たぶん畑もそう思ってると思うな」って言われてんっふふ……となりました。

現場からは以上です。