すっかり春も盛りを終えました。
むしろ夏。この時期の北海道は本州より暑いことが多いですね。
とはいえ、札幌では芍薬はまだ蕾だし、紫陽花もまだ葉っぱしかないし、菖蒲はまだ咲き始めたばかりだし、という感じですが。
気温だけがバカみたいに高いんだよな。ふざけんなよ
ダービーが終わりましたね。
最近(最近?)わたしは短歌を詠むのが好きです。なぜかというと、31音、文字数で言えば20字前後とかで済むからです。
20字前後で済むと何がいいかというと、スマホでぽちぽちっと打てます。なんなら信号待ちの間とかにも。仕事の合間に浮かんだフレーズも、それぐらいならこそっとメモしておいてあとから歌の形にまとめたりすることができます。
小説をスマホで書くのはけっこうしんどいけど、短歌はがしがし詠めるもんね。
まあ逆に、パソコンで短歌を詠むのは少し難しいのですが。
比喩のセンスがあまりないので、抽象的な歌を詠むのはあまり得意ではなく、出来上がるものははわりとストレートで面白味の少ないものが多いですが、最近は面白味がなくても好きだな、と自分で思えるようなものが溜まってきた感があります。
昨日までの週末、ダービーだなあ、と思って競馬をテーマに詠んだもの、ダービーを見た後にうわ…と思って詠んだものが少しあるので、この記事ではそれを少し紹介させてください。で、競馬を知らない人のために少しだけ解説させてください。
前日、競馬という概念について詠んだものについて。
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いつか見た夢は今でも続いてていつまでだってターフは青い
強くなく格好よくもなく生きてきた人でも夢を買うことはできる
蹄跡を飛び石みたいに辿ったらいつかは会えること信じてる
ふりむくな ふりむいた先に立っているわたしのことなどどうか気付くな
夢乗せるひとびとの罪ゆるさずにそれでもどうか走り続けろ
雨の日に泥だらけの芝切り裂いた君が作った道を生きてる
夕焼けをファンファーレとして天かけろ夜空で夢の十一レース
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全体を通して:競馬好きで文学に興味があったらまあ寺山修司にぶつかるでしょ。
競馬と夢を結びつける思考、「ふりむくな」というフレーズは寺山修司からのインスピレーションです。財布をはたいて夢を買うし、自分を買う、そういうものです、競馬は。
一首目:競走馬にとっての競走生活はたかだか数年しかないけど、人間たちにとっての競馬は長い年月の積み重ねなんですよね。きっとこれからもずっとターフは青い。
三首目:2007年のダービー馬、ウオッカに寄せました。今もこれ書きながら泣いてる。わたしが一番尊敬している牝馬です。理想の女。いつか会いに行くと思っていたのに死んでしまいました。これだから馬は。わたしも強い女になりてえ。
四・五首目は、馬という動物種に対してわたしが向けている感情です。
とても巨大な感情です。
関係あるのかないのかわからないけど、馬と刀って似てますよね。以下は昨年秋にわたしが書いた一節です。
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鉄って自然状態では酸化物としてしか存在しないじゃないですか。それからあの手この手で酸素を除いて純粋に近い鉄を作って、さらにそれを熱したり叩いたり削ったりして整形して、出来上がったあとも日々錆びないように油塗って粉叩いて手入れして、その結果、もしくは過程がいま現存する刀なんですよ。これって、馬じゃないですか?
酸化鉄を鉄にして刀にしてそれを手入れするのって、野生馬を改良して調教して毎日お世話するのと同じじゃないですか?たぶん同じだろ。
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あとこれもまた過去に馬について書いたものの引用です。
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文明の発達を支えてくれて今のわたしたちの生活を作ってくれた生き物、そしてそのために選抜育種を重ね、並行して土地をどんどん開拓したことによってもう野生としては生きられない、生きる場所もほとんどなくなってしまった彼らの面倒を見続ける責任が人類にはある、と思っています。競馬はその責任の取り方のひとつだとも思っています。わたし、競馬好きだしなくなって欲しくないんですけど、その理由のひとつは「責任を取る方法がひとつ減ってしまうから(そしてこのひとつが今の、特に日本においては大きな方法だから)」です。馬を利用してここまでやってきて、彼らの戻る場所もなくなってしまった以上、利用し続けなければならないと思っています。
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そういうわけで、わたしは馬が好きで、刀が好きです。そして、好きじゃなくなったとしても忘れちゃいけないものだと思っています。一頭一頭じゃなくて、馬という動物種全体についての話をしています。でも、そういう望みそのもののことはあまりきれいなものだと思うことができない。ので、ふりむかないでほしい、ただ後姿を見て祈ることだけ許してほしい、という歌です。
六首目、これはもうあれですね、2009年のダービー優勝馬、田んぼとか言われるくらいに土砂降りでぐちゃぐちゃの馬場の中を突き抜けたロジユニヴァースのお話ですね。あっちょっとまって馬名打っただけで泣けてきた(今わたしはストゼロ一本空けて酔っています。)
中学校に上がって少ししたころ(2007年秋くらい?)から本格的に競馬を見始めて、初めて2歳のころからきちんと応援しててダービー馬になったのがロジユニヴァースです。
あっまってほんとにいま涙腺がだめなやつ
彼のことが本当に好きで、現役の時に一回レースを見に行ったし(リニューアル前の札幌記念で、それがわたしにとって初めての競馬場だった)、牧場にも会いに行ったし、彼のお母さんにも会ったし、そのときのこととロジに関するでかい感情のことを作文にしたらなんか賞を貰ってお金とか連載とかもらえて、そこからたくさんのコネと自信を与えてもらって、だから今でもわたしは自分の人生が彼のおかげでこんなふうに続いていると思っている。彼にあてて詠みました。
七首目は2015年のJRAブランド広告「夢の11レース」にあてて。
「夢の11レース」とは、
『1984年のグレード制(GIとかGIIとか)導入時、もしくはそれ以降に現役で競走馬として走った馬を対象に、CM制作当時までに引退し、特に秀でた実績、あるいは強烈な印象を残した名馬18頭が一緒に走るという”幻のレース”。競馬ファンなら誰もが一度は想像するであろう”夢のレース”』です。
サイレンススズカ(90年代後半活躍)、ミスターシービー(1982年三冠)、オグリキャップ(80年代後半活躍)、オルフェーヴル(2011年三冠)、といった、活躍した年代が全然違う、そして大半がもうこの世にいない、名馬たちが、もしいちどに戦ったらどのようだったか、という夢。
ウオッカやディープがいなくなってしまったことをいまだに引きずっています。
ディープに関しては、上記とは別に
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アルストロメリア献じた白昼にあなたが走った日を夢想した
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というのも詠んでいます。昨年の夏、札幌競馬場に白いアルストロメリアを献花したことを思い出しながら。
PATの口座を持ってないので実は中央の馬券は全然買っていません。だからダービーはレース中継を見ただけです。それも、家にテレビがないからネットで無課金NHK+の劣悪な画面で。(あとでJRAの動画は見たけれども…)
でもさー…よかったからさ……レース始まる前にもうクライマックスみたいな感じだったし……終わった後に、今年のダービーにあてても少し詠みました。
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辿るべきレールはすでに敷設した ここから先はお前次第だ
今ならばやさしく祝福してやれる 勝者に虹の花輪をわたそう
作られた身体でつくられた道を走ると決めた邪魔はさせない
背後から七千二百六十一頭の地響き、走るしかない
真っ青に白いクレヨン一本線空を割くのは君の特権
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全て別の立場に沿って、時系列にそって詠みました。
一首目の主題は血統と環境について。ぼんやりしたイメージでは、ディープインパクト(今回の勝ち馬の父親)目線?という感じ。血統背景があり、それを見込んで馬を買ったオーナーがいて育てた人たちがいて、進むべき道筋はデビュー前からほとんど決まっている。でも、当馬がそのレールに乗ってくれるかどうかは、馬自信が決めることです。「決められたレールを走るだけの人生なんて」とかいうけど、脱線しないで走るのってけっこうな決意と努力がいる、たいへんな仕事だと思うんですよね。
二首目、二首目は、うぇ……また泣いているんですけど、これはサクセスブロッケンについての歌です。
彼は08年のダービーに出走し(まあビリだったんですけど)、その後ダートで活躍した馬です。もともとダート馬だったし、芝に向いていなかったんだな。
引退後は誘導馬になったんだけど、ちょっと神経質なところがあったので大舞台での仕事は少なくて、それが、今年、ダービー誘導のお仕事。映像見て「あれっこれもしかしてサクセ…(中継の司会者が誘導馬の名前をアナウンス)サクセスブロッケンだーーーー!!!!!ああーーーー!!!!」となってしまいました。レースより感動してしまった。
歓声が苦手らしいので、無観客だからこそ表に出られたのかもしれませんね。であれば、この無観客開催も意味があったというものか。
でも、え?あいつがダービー出てたのもう12年前?!そっか…そっか…
という気持ちをこめて詠んだものです。
「虹の花輪」は、彼の馬名由来「ブロッケン現象」から。空に現れる虹色の光輪です。
三首目は今回の出走馬たちについて。
一首目と似た主題で目線を買えたものです。彼らが競走馬として生まれたのは彼らの宿命でありわたしたちの業ですが、彼らが競走馬としていま生きていることは彼らが選択した結果だと信じたいのです。
四首目、7261+1=7262は今年のダービーに出走できるかもしれなかった、2017年生まれのサラブレッドの数だそうです。日本ダービーというのは、その年に3歳になった馬(のなかでも精鋭18頭)しか出られない、彼らにとっては一度きりのレースなのです。
この数字を使いたかった。そして、この歌はその頂点に立つことになった今回の勝ち馬、コントレイルにあてて。競馬場で、馬たちがゴールに向かって迫ってくる足音って、歓声が合わさるからかもしれないけどすごく大きく聞こえます。スタンドにこだまして聞こえるその地響きは7262頭分のものかもしれなくて、だからあのとき彼は7261頭分の足音を背負ってゴールしたのかもしれない。
五首目はわたしから、コントレイル(馬名由来:飛行機雲)へ。
ちょうどブルーインパルスが飛んだ直後だったしな。
何もない空に自由に線を引くことができるのは一番速いものの特権ですね。
これからも好きなように、自由な線を引いてほしいと思いました。
これからも、夢を見ることを許してください。
帯広の某大学院で馬と競馬をやっています。春から社会人として牛にかかわります。
高校在学時に週刊Gallopエッセー大賞、
大学学部時に優駿エッセイ賞佳作をいただきました。文章を書くおしごと等いただけると喜びます。