氷川神社:武蔵国一宮も出雲族 | オヤジのおもちゃ箱

オヤジのおもちゃ箱

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

GWのお話です・・・・・

今回のGWは電車を利用して🚞

さいたま市の氷川神社に向かいました。

合併により、さいたま市が発足する以前

氷川神社は旧大宮市に位置してました。

 

 

実は大宮で2回に渡り

延べ10年程仕事をしていたオヤジ。

氷川神社にも20年程前に参拝しています。

 

今回は新緑が始まり空気も清々しい。🌿

予想以上に参拝客は多かった。

さすが!武蔵の国一宮です。🤩

 

 

 

氷川神社の由緒は前回参拝した

鷲宮神社と同様に出雲族に繋がります。

神社のHPによりますと

「出雲族の兄多毛比命(エタモヒ)が

朝廷の命により武蔵国造となって

当社を奉崇し・・・」と書かれています。🤔

神社名は出雲の斐伊川(ヒイカワ)に

語源を発するという説もあり

出雲の開拓民が移住した可能性は高そう。

全国に約280社が鳥居を構える同神社は

荒川沿いに最も多く分布します。

 

それにしても兄多毛比命という名前。

こういう母音が強調される音からすると

ひょっとして、縄文系じゃないのかなぁ?🤔

特に根拠はありませんが・・・・・

 

 

境内はこんな(↑)感じ。

 

 

楼門の手前に神池が広がり

中島には摂社の宗像神社が・・・・😲

こちらは海神(海の神様)を祀ります。

内陸部に海の神様というパーターンは

埼玉県東部の史跡に共通する現象。

東京湾から川を遡上して移り住んだ

渡来系開拓民の痕跡なのでしょうか?🤔

 

 

風格のある楼門。

 

 

楼門に向かって左側に回り込むと

「蛇の池」という湧水があります。💦

以前は禁足地だったそうです。

湧水が無いと人々は集住しませんからね。

 

 

厳かな雰囲気の拝殿。

皆さん、ちゃ~んと並んでお詣りしています。

関西の神社仏閣を回った時に感じました。

畿内の参拝客の方がお詣りの仕方が

ディープだと思います。

それだけ保守的なのでしょう。🙆

 

 

氷川神社の中核部分から外れた場所に

聞き慣れない名称の摂社が(左側)・・・・

 

 

門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)と書かれており

ヤマタノオロチの生贄にされそうになったクシナダヒメの

両親であるアシナヅチとテナヅチを祀ります。

 

気になるのは門客人神社という名称で

言わば「お客様の神様」という意図なのか?

ストレートに言えば「よそもの」という事?

でも本当は「お客様」どころか

古代氷川神社の土着の神ではないでしょうか?

 

出雲族がこの地を開拓した際に

土着の民は融合したものの居れば

駆逐された者も居た筈です。🤔

先住民は氷川神社だけではなく

阿蘇や高千穂は‟鬼八”だったし

東北では磐司・磐三郎で

畿内は長髄彦や土蜘蛛。

駆逐された方はこのような名称で蔑視され

排除したものが祟りを恐れて鎮魂する。

とオヤジは独断と偏見で考えています。

アメリカのインディアンと同じだと思う。😒

 

門客人神社は‟アラハバキ”という

縄文、或いは蝦夷の神との説もあり

氷川神社のエッセンスかもしれないぞぉ~!

 

 

神社の広大な境内は大宮公園として

野球場や競輪場まで備わります。

目立つのが池(沼)が多い事。

 

 

埼玉県立歴史と民俗の博物館前の大きな池。

この池は天然じゃないのかなぁ?😲

 

 

標高図を見ますと氷川神社が13mくらいで

池や野球場や競輪場は9m程です。

 

古来より関東平野は

‟べちゃべちゃ”の湿地帯ですが

水上物流は侮れないものがあったと思う。🚣

 

家康が江戸に領地替になった際

大変な苦労をして湿地帯を

江戸100万都市に変えた訳ですが

もしも土地に潜在力が無ければ

あれほど大きな土木工事をする筈も無い。

 

為政者の歴史は鵜呑みに出来ないぞ!😁