前回からの続きです・・・・・・
さきたま古墳のついでに忍城を訪れ
江戸時代の城郭の模型(↑)を見て
ハッとしたオヤジ!😮
埼玉県行田市という関東平野内陸部に
どうしてこれ程の湿地帯が存在するのか?
案外さいたま古墳群のエッセンスに
繋がるのかもしれないなぁ~?
そう考えて再度行田市を訪れました。😁
またまた忍城の御三階櫓をパチリ。📷
青空に映えてなかなか綺麗ですねぇ~
今回は郷土資料館で「忍城今昔地図」を購入。
2016年の都市計画図に
1825年の忍城絵図を重ねた優れものです。😲
江戸時代の城郭が色分けされており
今回はこの地図を片手に
忍城周辺を散策する事にしました。
ちなみに地図はA3サイズで50円也。
‟ブラタモリ”ならぬ‟ブラオヤジ”ですね。😁
画像の御三階櫓は
江戸時代に建てられた場所とは
異なる位置に再現されています。
櫓から一旦北上して
旧諏訪曲輪へ向かいます。
旧諏訪曲輪には
諏訪大社と東照宮が鎮座します。
忍藩は格式の高い藩で
徳川幕府内では御三家と御三卿に次ぐ家格。
場所的にチョークポイントなのでしょう。
公爵徳川家達(いえさと)の文字。
家里は徳川家16代の当主で
世が世であれば征夷大将軍です。
旧諏訪曲輪から再度櫓へ戻り
更に南側の水城公園に向かって歩きます。
地図の青い部分は沼地だったエリア。
地図からも忍城が‟浮き城”と呼ばれた理由が
良~く理解できます。🤔
水城公園の入り口付近には
「隠居所跡」と書かれた石碑が・・・・
そしてその向かい側に
旧御三階櫓が聳えていた筈です。🏯
公園内の‟しのぶ池”。
江戸時代の公園は全て沼地です。
明治以降に埋め立て工事が行われ
城を囲んでいた沼地の存在は想像し難い。
唯一この池が古の姿を留めているようです。
しのぶ池の東側は微高地で
沼地内の‟浮島”にあたる場所。
ここには旧忍町信用組合の建物があります。
行田市は足袋の一大生産地で
かつては国内シェアが
80%を超えた時期もあったとか。😲
日本の資本主義の黎明期には
決済のインフラが不足していたので
有力業者が自ら金融機関を設立しました。
ミツカン(旧中野酢店)の中野銀行と
松坂屋(伊藤家)の伊藤銀行が母体となって
東海銀行が発足したのは有名な話です。
忍城を再訪する前に読んだ「のぼうの城」。
主人公は‟のぼう様”こと成田長親ですが
もう一人の主人公である
正木丹波守利英が開いた高源寺が
城郭の南東に佇んでいました。
1590年の秀吉の小田原征伐で
後北条の敗北と同時に忍城は開城します。
その際、戦いの犠牲者を弔うために
正木が建立したのが高源寺だといいます。
ただ、正木自身は翌年に死去。
ひよっとして死期を悟っていたのかなぁ?🤔
映画「のぼうの城」の効果か?
参拝する人が増えたのでしょうね。
境内の正木の墓地です。↑
もしも小説を読んでいなければ
この寺を参拝する事も無いし
正木の存在を知る事も無かった筈。
歴史的な知識があれば
何処に行っても面白い。😃
高源寺から旧町人の町へ北上します。
地図のピンクの部分が町人の町。
町人の町には八幡神社。
八幡神社から更に北上すると十万石のお店が。
こちらの「十万石饅頭」は埼玉県の銘菓です。
十万石は忍藩の石高に因んだもの。
恐らく10万の領民を有していたのでしょう。
「1万石で250人」の法則(?)からすれば
石田三成の水攻めの際に
籠城したのは2,500人位でしょうか?🤔
これ(↑)が十万石饅頭。
お店のHPには・・・・・・
「お気づきでしょうか?
しっとりした皮からほんのり“山芋”の香りがすることを。
厳選した国産つくね芋を毎朝すりおろし
新潟県産コシヒカリの粉を使った薯蕷皮と
厳選された北海道十勝産小豆を自家炊きしたこしあんが
絶妙のバランスでしっとりしたおいしさを演出しています。
これが十万石のこだわりの原点です。」
ふむふむ、確かに確かに・・・・・🤩😍
これは想像以上に旨い!
もう一度食べても良さそうです。
更にもう一つ‟忍グルメ”のご紹介。
山本食品工業さんの奈良漬です。
「なんで埼玉で奈良漬なの?」と思って
試しに500円の奈良漬パックを購入しました。
これが超ビックリ!!!🤩😍🤩
歯応えが良く、コクのあるお味で
奈良漬としてのレベルはかなり高い!
こういう食べ物が埼玉で手に入るとはねぇ~
「ダ埼玉」も捨てたもんじゃないぞっ!😀
興味深いのが奈良漬の商品名です。
なんと!「埼玉の小舟」なのです。
これには深~い意味があります。
詳細はあらためて・・・・・・・
ごちそうさまでした。🙏
まだまだ行田から目が離せません。
旧城郭の至る所に‟おもてなし”が・・・・🤩