丸墓山古墳:かつて上杉謙信もここに居た | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

さきたま古墳群のネタ。

今日は丸墓山古墳という円墳のお話です。

 

 

直径約105mの円墳で築造は6世紀前半。

かつては日本一の規模を誇る円墳でしたが

最近、奈良の富雄丸山古墳の調査が進み

その地位を譲ってしまいました。

 

 

但し、この古墳は高さが約17mで

円墳としてはやたらと墳頂が高い。

当然使用した土の量は膨大で

前回ご紹介した埼玉県で一番大きい

二子山古墳を凌ぐ量の土が盛られたそうです。

でも何故にこれほどの標高が必要だったのか?

それはのちほど・・・・・・・🤔

 

 

墳丘に登って行田市の中心地を望むと

忍城の御三階櫓(黄色い矢印)が見える。

古墳から約3キロ程の距離で

1590年の秀吉の‟小田原攻め”の際

石田三成が丸墓山古墳に陣を張って

城を水攻めにしたのは有名な話です。

実はそれ以前にも上杉謙信が

同じ場所に陣を二度ほど構えています。

丸墓山古墳が軍事的要衝であった証でしょう。

 

 

隣の稲荷山古墳から撮影しました。↑

墳頂をこれ程高くしたのは

視覚的な効果を狙っているのでは?

丸墓山古墳は古墳群の最も西側に位置するので

ひょっとすると利根川や南の荒川に繋がる

河川が西側に流れていたのでは?

この仮説を採れば、古墳群の主要な古墳が

揃って北東を向いている事の説明が付きます。

なにも富士山のロケーションだけが

古墳の方向を決めた訳ではないのかも?🤔

 

 

折角行田市を訪れたのだから

忍城に行かない手はない。

今回二度目の訪問です。

本丸跡の郷土博物館を覗いてきました。

そして目に留まったのは・・・・・・

 

 

おおお~っ!! なんと!!😱

これは江戸時代の忍城を再現した模型。

周囲は沼地だらけで

水の上に城が浮いている感じです。🏯

‟忍の浮城”とはよく言ったもの。

縄張りは北の利根川と南の荒川に挟まれ

その距離が比較的近い事から

両河川と水運で繋がっていたのでは?

 

そもそも忍城は岩槻や川越と並び

関東三城の一つとして重要視されました。

老中を輩出した阿部家や

「知恵伊豆」の異名をとる松平信綱も

かつて忍藩を治めています。

要するに物流の要衝でもあった訳だな。

 

 

俄然忍城に興味が湧いてきたオヤジ。

早速「のぼうの城」を読みました。

なかなか面白い小説です。

忍城を知る事でさきたま古墳群の

エッセンスを知る事が出来そう?

もっと忍藩の事を知らねばなりません。

リベンジです。

 

 

最後にグルメのお話。

今回のランチは「おおしま」さんという

和食のお店で釜飯を頂きました。

今迄経験した事の無い釜飯。

なんと! 鯖の釜飯なのです!!😍🤩

 

 

これ(↑)が鯖の釜めしです。

最初は「?」と思いましたが

実際食べると予想以上に旨い!

ああ、これなら次回も食べてみたい。

しかも定食セットで1,450円はお得だと思う。

ごちそうさまでした🙏

 

 

お土産は前玉神社参道脇の金沢製菓さん。

「如何にも」って感じの古墳最中です。

ムチャクチャ美味いという訳でも無いけれど

コスパは良いと思います。

でも一番はこれ↓

 

 

塩あん餅(びん)という塩餡の入った餅。
砂糖が高価で庶民には手に入らなかった時代に

お菓子替わりに食べたものらしい。

さっぱりした塩餡とコシのある餅との相性は

抜群と言っても良いと思う。

始めて頂きましたが、これは美味い!😍

甘くない和菓子も結構イケます。

また食べたいなぁ~・・・・・・・

こちらも、ごちそうさまでした🙏