将軍山古墳と二子山古墳・さては‟馬”と‟水運”か? | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

さきたま古墳群の続きです。

古墳群の位置は上の地図のとおりで

北の利根川と南の荒川に挟まれた

水上交通の要衝と言える場所です。

 

 

今日は将軍山古墳(赤丸の古墳)のお話。

6世紀後半の前方後円墳で

噴長約90mの横穴式石室を備えています。

 

 

空から見るとこんな(↑)感じ。

稲荷山古墳同様に周濠が独特です。

更に造り出しもユニークな場所に

張り出しています。

熊本の江田船山古墳も同じ場所でした。

 

 

上空からだとそうでもありませんが

外堀の造り出しの面積がムチャクチャデカい!

そう言えば誰か言ってたなぁ~

時代が下るにつれて葬祭に参加する人が

近親者から広がって行くと・・・・・・

確かに古墳時代の後期なので

故人を悼む人々は大衆化していたのかも?

いつもの独断と偏見です。😁

 

 

後円部の造り出しは将軍山古墳も

次に紹介する二子山古墳もほぼ同じ位置です。

分譲住宅が建てられそうな広さ。😲

 

 

こちらの古墳もかなり破壊されていたので

西側は復元されています。

 

 

ただ東側は切り取られたままです。

現在将軍山古墳の内部はかつて

石材が庭石として運び出されたそうで

その最中に石室が発見され

今は資料館になっています。

 

 

さきたま古墳群周辺の地は平坦な地形で

牧(牧場)には非常に適していたと思う。

その為か、副雄品には馬具が目立ちます。

 

 

上の画像は将軍山古墳で出土した馬冑。

戦の際に馬が被る冑(かぶと)です。

鉄剣や馬冑・・・・・

まるで古墳時代は戦国時代のようです。

 

但し、榛名山や赤城山の裾野を利用した

広大な牧の経営が始まると・・・・・

どうなんでしょう?

さきたま地区は競争力を失ったのかも?

 

 

これは和歌山県の大谷古墳の副葬品です。

将軍山と比較すると微妙に形が違います。

工作精度は大谷古墳の方に軍配が上がりそう。

和歌山の馬の方が鼻の穴がデカいのか?

或いは中央(畿内)と地方の技術的な差か?

関連記事のリンクを貼っておきます。🤔

 

 

資料館で石室が再現されていました。

側面の石は房州石で

千葉県の鋸山あたりで産出した石だとか。

関東の水運を利用した

ネットワークが存在した訳だな。

 

 

お次は二子山古墳。

130mを超える墳丘を誇る前方後円墳。

時代は6世紀前半だといいます。

さきたま古墳群の大型古墳で

一番古いのは稲荷山古墳。

次が県内で一番大きな二子山古墳が続きます。

こちらの古墳も前方部が高く跳ねている。

 

 

古墳群のほぼ中央に位置します。

 

 

二子山古墳の周濠も個性的。

内側の周濠は盾形になっていますが

外側は方形に近く

こちらも巨大な造出しが設けられています。

 

 

前方部から撮影した図。

さすがにこのクラスは迫力あります。

稲荷山古墳よりも墳丘が10m長いだけですが

全長100m超えの古墳は

10mの差がやたらと大きく感じるもの。😲

 

 

好きなアングルです。↑

計測した訳ではありませんが

二子山古墳のあたりが古墳群の

最も標高が高いポイントだと思う。

やたらと風景のヌケが良い。

大きさからしてさきたま古墳群一族の

全盛時代に築かれたのかもしれないなぁ?

 

 

埼玉もなかなかやるじゃないか!と思いながら

古墳巡りをしている時、ふと足元を見ると

何やら埼玉県のマークが!!😲

 

勾玉を組み合わせた図柄なのです。

知らなかったなぁ~

埼玉県は以外にも考古学県でした。

 

つづく。