岡崎城:神君出生の城 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

1泊2日の新城市と岡崎市の散策。

今日は二日目の岡崎城のお話。

プロローグでもご紹介したこの画像は

城に隣接する宿泊したホテルの

レストランから撮影しました。

天守閣を眺めながら頂く朝食。

お陰さまで贅沢な時間を過ごせました。

 

 

岡崎城は徳川家康生誕の地ですが

徳川家が入城する前から

城の存在が確認されています。

東海道(図の左側赤いライン)と

乙川(右側の大きな川)に挟まれた

築城には至極相応しい立地ですから

有力者がこの地を見過ごす筈は無いと思う。

 

 

これ(↑)は家康の産湯の井戸。

石碑には家康を「東照公」と刻んでいます。

「東照」は「アズマテラス」とも読める訳で

「アマテラス」を意識しているのは当然。

天海あたりのアイデアじゃないのかなぁ?

家康は死後「東照大権現」という

アマテラスを凌ぐ神様になる事で

徳川による統治の正当性を

担保したと言えそうです。🤔

 

 

掘の跡も良く残っています。

江戸時代の岡崎城は譜代大名が城を守り

石高は5万石と言われています。

ちなみに5万石の「石(こく)」は

一人の人間が年間に消費する米の量で

5万石という事は5万人の領民を

養う事が出来るという意味です。(諸説あり)

更に合戦の時は、1万人あたり約250人の兵を

動員出来ると考えられています。(諸説あり)

知っておくと戦国時代が面白くなる!?

 

 

有名な「しかみ像」の石像版です。

石材は花崗岩(御影石)だと思います。

岡崎市は良質な花崗岩の産地で

日本3大石品生産地のひとつみたい。

ちなみに3大石品生産地とは

岡崎市、香川県庵治町牟礼町、茨城県真壁町。

花崗岩は岡崎のエッセンスでもありまして

旅行記の最後にもう一度出てきます。

 

 

昭和34年(1959年)に復元された天守。

明治6~7年に取り壊された元の天守を

忠実に復元しているそうです。

 

 

夜はライトアップされてこんな感じ。↑

岡崎城は‟小じんまり”とした城ですが

なかなか良い姿をしています。

 

朝食時のホテルのレストランで

天守閣に目を凝らす白人のカップルが

とても印象的でした。

 

次回は滝山寺。