滝山寺:艶めかしい白いお肌 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

前回で岡崎城を散策した後は

滝山寺(たきさんじ)に向かいます。

役行者を開基とした1,300年を超える

なが~い歴史を持つ名刹です。

上の画像は鎌倉時代に創建された本堂。

屋根の傾斜が美しく心地良さを感じます。

 

 

鬼追い祭りで松明の火を消す

八丁味噌の巨大な樽が備えられている。

この日の最後の訪問地は

八丁味噌の工場見学を予定していますので

詳細はあらためて・・・・・・

 

 

修験道の古刹なので

神仏習合の痕跡を色濃く残します。

 

江戸時代初期の日吉山王社本殿。↑

天台宗の「日吉」が本堂の裏手に祀られるのは

江戸時代の怪僧、天海上人の仕業でしょう。

実は滝山寺には滝山東照宮が隣接しており

三代将軍家光の時世に建立されたそうです。

 

 

整然と組まれた側壁が美しい。😍

思わずズームで撮影しました。↑

 

 

滝山東照宮の拝殿です。

訪れた時は修復中でしたので

画像はネットからお借りしました。

 

 

そして奥に鎮座するのが東照宮本殿。

日光、久能山と並ぶ日本三大東照宮の一つです。

でも、他の二つと比べるとかなり小ぶりで

拍子抜けしそうな感じがします。

当初は大樹寺に建立される予定でだったとか。

それがどうしてこの場所なのか?🤔

その理由はのちほど・・・・・・

 

 

日吉山王社本殿の裏手の山道を登ると

湧水が流れる場所があり💧

「水体薬師如来御霊水」と書かれています。

恐らく滝山寺の起源はこの水場なのでしょう。

 

 

長篠城の記事でアップした地質図に

滝山寺の場所を加えてみました。(左側)

赤いラインの中央構造線の北側(内帯)と

南側(外帯)では地質が異なります。

北側は花崗岩で構成される領家帯ですから

質の高い湧水が確保出来ると思います。🤔

例の「南アルプスの天然水」のCMを

思い出して頂ければ良いかもしれません。

更に前回の岡崎城のネタで

岡崎が御影石の産地である事を書きましたが

花崗岩=御影石ですから

当然と言えば当然ですよね。

関連記事を貼り付けておきます。

 

 

ところで、今回の参拝の目的はこれ。↑

何故か滝山寺には

運慶と快慶父子の作品があります。

聖観世音菩薩立像(国重文)。😍🤩😍

この仏像の胎内に源頼朝の

顎鬚と歯が納められていると伝わる。

レントゲンで調査したところ

それらしきものが確認されたらしい。

後の時代に着色されているので

国宝登録はされていませんが

慶派独特の写実性は素人のオヤジでも

感じる事が出来ます。

 

やはり慶派は仏像の完成形だよなぁ。

「素晴らしい!!」の一言に尽きる。🤩😍

 

 

梵天立像。↑

「優美極めり!」といったお姿です。😍🤩

白いお肌は艶めかしさすら感じる。

 

ところで、どうして滝山寺に

運慶快慶の仏像が安置されているのか?🤔

 

実は寛伝という鎌倉時代の滝山寺の僧侶が

頼朝の三回忌の為に制作を依頼したそうです。

この寛伝という僧は頼朝の従弟にあたるらしく

頼朝の生前、様々な支援を受けたといいます。

ちなみに頼朝の母親は熱田神宮の宮司

藤原季範の娘である由良御前という方です。

 

 

帝釈天もいい仕事してます。

あれっ?何処かでお目にかかった事が・・😲

 

 

京都は東寺の帝釈天(↑)にそっくりです。

どうやら運慶・快慶父子は東寺の帝釈天の修復後に

滝山寺の帝釈天の製作に携わったそうです。

天才の脳裏に余韻が残っていたのでしょうか?

面白いエピソードですよね。😲

 

 

 滝山寺は天武天皇の命で

役行者が青木川で拾った薬師如来像を祀る

吉祥寺として創建したとされます。

その川底には花崗岩が露出していました。

 

花崗岩は地下深くでマグマが

ゆっくりと冷え固まったもの。

人は造山活動の上で踊っているだけ?🤔

 

見えざる神の手也。

 

次は味噌のお話です。