歌会始に見る‟シャーマン”としての天皇 | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

 

上の画像は14年ほど前に伊豆で撮影したもの。

我ながら良く撮れたと思っています。

偶然ですけどね・・・・・・・😁

ところで1月19日に歌会始が催されました。

いつも気にしている訳では無いけれど

たまたま愛子様の歌が目に留まりました。

 

幾年(いくとせ)の 難き時代を 乗り越えて

和歌のことばは 我に響きぬ

 

さすが、愛子様は卒論のテーマが和歌とあって

よく学んでらっしゃいます。

(素人が偉そうな事を書いてスミマセン)

 

いつもの独断と偏見ですが

日本人にとって歌は「おまじない」だと思う。

万葉集の中の舒明天皇の‟国見”の歌。

 

大和には 群山あれど とりよろふ

天の香具山のぼり立ち

国見をすれば国原は 煙たち立つ

海原は 鴎たち立つ 

うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は

 

「天皇が天の香具山から下界を見下ろせば

炊飯の煙が立ち、鴎が飛んで

人々が平和に暮らしておりました。」という意味ですが

実際は平和でなくとも和歌で天皇が

言葉を発する事で平和が訪れるという

‟おまじない”であり‟言霊信仰”だと思います。

つまり天皇は‟シャーマン”なのでしょうね。

 

ただこういう国はリスク管理が弱そうだな。

「都合の悪い事を言葉にすると本当に起きてしまう。」

という言霊の論理では

防災は後回しにされそうな気がするのです。

 

元日の北陸の地震で亡くなられた方々の

ご冥福をお祈りすると同時に

被災された方々には

心よりお見舞い申し上げますが

避難所で雑魚寝する光景は

とても先進国とは思えない。

また同じ状況を目にするような気がします。

災害だらけの日本に言霊信仰が存在するのは

皮肉以外の何物でもないですよね。

 

 

3年前に撮影した天香具山。↑

このアングルが最も美しい。