阿蘇神社:神社は阿蘇君の仏壇か? | オヤジのおもちゃ箱

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行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・・・・

 

阿蘇山の中岳の次は阿蘇神社に向かいます。

ここは阿蘇氏の氏神様を祀ります。

阿蘇氏は神武天皇の孫にあたる

建磐龍命(たけいわたつのみこと)という

開拓神を祖神とし、その息子の

速瓶玉命(はやみかたまのみこと)

を阿蘇国造の起源とします。

 

 

 神社はカルデラの北側の盆地に位置する

阿蘇市内に位置します。

昔から神社の存在は知っていましたが

こんなに立派な境内を広げているとは

想像してもいなかった。😲

ただ冷静に考えれば阿蘇神社の南側には

豊後に抜ける豊後街道が走ります。

参勤交代の祭に細川藩は

この街道を利用して江戸に赴いたらしい。

古くからの交通の要衝なのでしょうね。

 

 

神社の創立は孝霊天皇9年(紀元前282年)で

約2,300年の歴史を持つ

全国約500社の「阿蘇神社」の総本社です。

阿蘇のカルデラは火山性の土壌なので

稲作には不向きの筈。

諏訪大社のような中央政府との

特殊な関係(物部守屋山等)

がある訳でもない。

 

そんな地に如何なる理由があって

こんな歴史ある神社が鎮座するのか?🤔

 

 

神社の北側には中通古墳群が広がります。

前方後円墳2基と円墳8基で構成されますが

かつては14基以上の古墳が存在したらしい。

NHKのブラタモリで放映された時

小規模の古墳群だろうと思っていました。

 

 

上の画像は上鞍掛塚一号墳。

2基の前方後円墳の内の一基で

墳丘の長さは70mを超えます。

そしてもう一基が長目塚古墳。

 

 

ここで長目塚古墳を始めとする

中通古墳群の場所について説明します。

阿蘇神社のほぼ真北に位置しており

神社は古墳群の仏壇みたいなもの。

恐らく中通古墳群は建磐龍命から始まる

阿蘇一族の古墳だと考えられます。

 

 

そして古墳群の主役が長目塚古墳!🤩

こちらの古墳は前方部が

河川工事の為に削られました。

工事前は墳丘が110mを超えていたらしく

熊本県で最大級の前方後円墳でした。

ちなみに前方部は削減前に調査され

女性の被葬者と副葬品が出土してます。

 

どうしてカルデラの中に

これ程大きな前方後円墳が存在するのか?

これにオヤジは興味をそそられ

飛行機に乗って阿蘇までやって来た訳です。

この疑問は旅の後半に解決します。

 

 

前方後円墳の‟くびれ”の痕跡が!

 

 

阿蘇五岳の根子岳を借景にした長目塚古墳。

本来は画面左側に前方部が伸びていました。

築造されたのは5世紀前半あたりか?😲

 

 

阿蘇五岳を背景にした中通古墳群。

遠方から五岳を見ると

横たわる涅槃像を連想します。

阿蘇一族の古墳とのコラボが意味深です。😲

 

 

中通古墳群で映画のロケも行われたそうです。

吉永小百合さんと竹中直人さん主演の

「まぼろしの邪馬台国」。

 

 

中通古墳群から更に北上すると

国造神社が鎮座します。

阿蘇神社にも祀られていた

速瓶玉命(はやみかたまのみこと)が

主な祭神となっています。

 

 

阿蘇神社のほぼ真北なので

「北宮」と呼ばれているそうです。

阿蘇神社が仏壇で国造神社は

さながら奥の院のような位置関係になります。

 

 

国造神社の境内には鯰(なまず)社も。

阿蘇のカルデラが大昔湖だった頃

健磐龍命が外輪山を蹴破ると

阿蘇谷の大鯰が姿をあらわしました。

命が「どいてくれないか」というと

鯰は首をうなだれて去っていきました。

その鯰を神社で祀っている訳です。

鯰は地震、つまり地殻変動を象徴する。

火山の神を鎮めるという意味合いなのかも。

 

 

神社から60m程離れた場所に

上御倉古墳と下御倉古墳があります。

時代は双方とも6世紀の中盤です。

上御倉古墳の方は横穴石室が見学可能です。

 

 

石室は奥行き10mにも及び

阿蘇の凝灰岩と安山岩で組まれています。

直径33mの円墳で被葬者は阿蘇君

つまり阿蘇国造の一族だとの見方も。

阿蘇神社の北宮に寄り添う古墳故

そう考えて当然でしょうね。

 

内部に入ろうとしましたが

懐中電灯を持っておらず断念。

内部の画像を掲載したサイトがあるので

リンクを貼っておきます。↓

 

石室内部の色合いは塗布されたベンガラか?

 

 

それにしても阿蘇神社や中通古墳群

そして北宮と上御倉古墳といい

どうして阿蘇氏はこれ程勢力を持てたのか?

これには何らかの「恵み」があったのでは?

徐々に阿蘇の核心に迫ります。