安土城(前篇) | オヤジのおもちゃ箱

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9月14日、三連休初日
オヤジは琵琶湖湖畔の二つの城
安土城と彦根城を訪れました。
まずは、安土城から。
 
上の地図にご注目を!(詳しい地図の方でご覧ください)
安土城の位置、これ面白いですよねぇ~
京都から見ると東北(鬼門)の方角になります。
信長はわざと、この位置に城を構えた様な気がしてなりません。
 
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見学コースの大手道。
オヤジは城マニアではないので、詳しい事は分かりませんが
一般的に、城というものは防御を考えて作られている筈なので
このようなエントランスは、珍しいのではないでしょうか?
これでは敵が、ほぼ一直線に本丸に攻め込む事が出来そうです。
安土城は“防御”より“威圧”をテーマとして作られた城だったような気がします。
標高約199メートルの頂上にそびえ立っていた天守閣を
一直線に登る大手道越しに見れば、信長の“権力”を充分に演出できそうですね。
 
イメージ 2
 
これ(上の画像)は仏足石と言われる仏様の足型で
その昔、信仰の対象になっていたそうです。
 
仏教徒にとっては、たいへん尊い石。
しかし、現実主義の信長の手にかかると、加工の手間が省けるので
築城の石材になっていたそうです。
このほか、大手道の階段には
石仏が材料に用いられている個所がいくつかありました。
登城する際、仏様を踏みつけて階段を上っていく事にもなりかねない・・・・・・・・
なんだか、信長の“気”を感じてしまいますよねぇ~
心無しか、緊張してきました。
 
イメージ 3
 
台風が近づく湿度の高い空気の中
大手道を上ると、汗が噴き出してきます。あせる
登り始めて、15分くらいで二の丸に到着です。
上の画像は信長の墓。
墓と言っても、本能寺の変の際
信長の遺骸は発見されていませんので、正確には供養塔でしょう。
墓石の上に置かれた石は、墓に眠るものが神的な人物である事を示しているとか。
織田信長という男、明らかに天皇を超えて“神”になろうと考えていたふしがある。
凄いヤツですわ。本当に・・・・・・・・・・
 
イメージ 4
 
二の丸から本丸をやり過ごし、やっと辿り着いた天守跡です。
礎石が綺麗に残っていますねぇ~
地上6階、地下1階で、吹き抜けまで供えられていた安土城の天守。
天守も防御的な機能は希薄で、自らの権威を誇示するような作り方です。
石垣なんて八角形の形をしており、これって古代の天皇の古墳の様な形。
“八”というのは“全世界”という意味もあるので、信長は明らかに天下を取り
世界に君臨する事を考えていた訳ですね。
正に“やる気満々”です”。DASH!
 
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天守址から眺める琵琶湖の風景。
ガスで良く見えませんが、晴れていれば
琵琶湖越しに比叡山が見える筈です。
ここで最初の地図を思い出してください。
安土城は京都の鬼門(東北)の方角にあります。
平安京(京都)は風水を考えて作られていますので、鬼門の方角には厄払いの寺社を置いている。
言うまでも無く、比叡山延暦寺。
信長はそれを承知で、わざと威圧的な城を安土に築いたのではないでしょうか?
自らが“鬼”となり、延暦寺を山ごと焼き払う。
そして、“鬼信長”が住まう館は奇怪な形をして安土山の頂上から
公家や天皇を威圧する・・・・・・・・・・・
 
当時の公家なんて、お歯黒で真黒になった歯をガチガチ言わせて
ビビりまくったろうなぁ~
 
安土城は鬼が住む神殿という印象でした。
 
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つづく。