こんにちは😃
関東圏には埼玉を中心に氷川神社がたくさんありますが、その中心地域はさいたま市大宮区にある武蔵国一宮、氷川神社です。
その氷川の神さまがどこからやってきたかが、わかりました😅
1828年の「新編武蔵国風土記」に、
「出雲国氷(ひ)の川に鎮座する杵築大社から神霊をうつし祀りし故、氷川神社の神号を賜れし」
と書かれていたのです。
これは、現在の出雲大社となります😅
※禁足地の八雲山
アメノホヒの11代後の子孫が出雲国造であり、出雲臣の祖の10代後が武蔵国造に任命されたので、武蔵国の国造は出雲の流れなのですね。
さいたまというのは、勾玉と同じように、古代の装飾から付けられているのですね✨
しかし、氷川神社の祭神はスサノオでありますが、現在の出雲大社の神さまはオオクニヌシであります。
しかし、平安時代前期から江戸時代までの800年間、出雲大社の祭神はスサノオだったのです。
そう、つまり氷川神社の祭神は、
出雲大社の本殿の後ろにある素鵞社、から移ってきた可能性があるのですね😅
※素鵞社
出雲には斐伊川と呼ばれる川がありますが、もともとは簸川(ひかわ)でありました。
スサノオは火にまつわる神でもあるので、氷川は本来は火の川🔥という意味だったのかもしれないですね。
しかあーし❗️
氷川神社はもともとは土着神が祀られていたのです。
いや、
おそらくさいたま市大宮区の氷川神社は、その土着神こそが鎮まっているのでは、と思っております😅
それは、
門客人(まろうど)社
に祀られている神ですが、なんと関東エリアの氷川神社はこの門客人(もんきゃくにん)神社がセットで勧請されているのです😅💦
この神さまこそ、アラハバキ神であります。
ハハなる神、つまり古代の竜蛇でありますよ。
ハハって、お母さん、という意味ですが、もともとはヘビの古語なのです🐍
つまり、氷川神社というのは二重構造になっていていて、
もともとはアラハバキ神の王宮であり、ある時からスサノオが主体の神社へと変わったのですね。
客人神というのは、ヤマト政権が征服の過程で、統合吸収した土着神のことなのです。
つまり、門番の神とすることで、もともとの神を客人とした、ということです。
なお、出雲大社の祭神がスサノオに変わったのは、仏教の古伝承では、スサノオが国造りを行ったとされるためだからです😅
ですが、出雲大社はかつての祭神であるオオクニヌシを取り戻すために、全国で最も早く、廃仏毀釈・神仏分離が行われ、仏教に関するあらゆるものが撤去され、スサノオの社は後ろに移された、のですね。
ここはもともとは北島館があったのですが、このタイミングで東に移ります。
つまり、素鵞社というのは、元は北島館であった場所に鎮座している、ということですね。
ということで、氷川の神は出雲大社の神さまですよ、というお話しでした✨✨
歴史が長い神社は、こういった二重構造、三重構造はけっこうあります😅
だから、古い神社で祭神名が聞いたことがない名前だったときは、氏子さんたちが名前を守った、のかもしれないですね✨