丹後に伝わる日本最古の天女、伊勢の神となる | 運の良い座敷童子的な生き方

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こんにちは。

さて、わたくし蘭子の本名は天女から名付けられております😅

皆さまが聞いたことがないような「音」でして、小学生のころから、自分の名前を探そうとすると、出てくるのは、古典の〇〇物語ばかりでした。

だから、わたしは古典が好きなのですね😅

 

 

 

 

かごめかごめ

 

 

 

 

籠の中の鳥は

 

 

  

 

いついつ出やる

 

 

 

 

夜明けの晩に…

 

 

 

 

という遊び歌がありますが、「籠目」というのは、竹で編まれた六芒星の紋様を指します。

よく古代イスラエルとの類似性を言われていますが、なんと縄文時代前期の8000年前から、日本では竹で編まれた籠目が発掘されているのです😅

 

 

 

籠目って、名前の通り、「目」に見えるのですが👁️

こういった紋様は、古代から魔除けとして呪術に用いられたりしていたのですね。

こういった「カゴメ」や「天女」や「竹取物語」や「浦島太郎」などの古代の伝説を多く残しているのが、丹後地方なのです。

 

 

 

丹後、丹波、但馬。

 

 

 

これをまとめてタニハと呼びます😅

その中でも、京都の京丹後市は、日本最古の羽衣伝説が伝わっているのです。

 

 

 

 

 

丹後地方は「古代史の闇」でして、非常に多くの歴史を内包している場所となります。

というのも、京丹後というのは、対馬海流が流れ着く、渡来人の上陸地だったりするのです。

 

 

 

だから、

 

 

 

 

大江山付近って、「鬼伝説」が多いのですよ👹

 

 

 

 

特に大江山はがとれる鉱山でしたから。

大和朝廷の威光が高まるにつれ、各地では勢力争いが起こったのです。

 

 

 

この辺りに元伊勢と呼ばれる、伊勢神宮の元宮が点在しているのも、偶然ではありません。

伊勢の神は、海からやってきた。

だから、「海=あま」でもあるのですね😅

 

 

 

天神というのは、「海からやってきた神」なのであります。

 

 

 

 

さて、京都の京丹後市には古代から羽衣伝説がございます。

ここには2300年前の遺跡も見つかっているので、この地に伝わる羽衣伝説は、日本最古の天女でもあるのですね。

 

 

 

その日本最古の天女こそ、

 

 

 

 

伊勢神宮外宮の祭神、豊受大神(トヨウケノオオカミ)であります😆✨

 

 

※外宮

 

 

 

天女の羽衣を奪われ、老夫婦に追い出された天女は、悲しみながらも、京丹後に住み、酒作りで土地を豊かにして、やがてその地で鎮まったのですが、

 

 

 

 

この天女を、第21代雄略天皇の夢枕に立ったアマテラス大神が、

「丹波国の比治の真名井に坐す豊受大神を呼び寄せて欲しい」

とお告げを下し、食事を司る宮として創建されたのが伊勢神宮の外宮であります。

 

 

 

 

この雄略天皇は、倭国五王の「武」であり、実在が証明されている最初の天皇でありますね。

西暦471年には実在されておりました。

まさに5世紀後半、今から1500年前、伊勢神宮外宮が創健されたのであります。

 

 

 

なお、内宮が今の場所に創健されたのは、第40代天武天皇(飛鳥時代)のころで、それまでは滝原宮にあったのですよ。

縄文時代の鎮守の森はアマテラスの元宮なのですね✨

 

 

 

 

それにしても、なぜアマテラスは豊受大神を呼び寄せたのでしょう?

 

 

 

 

その答えは、先代旧事本紀(通称くじき)という古文書にありました。

これは古事記や日本書紀と同じ歴史書なのですが、物部氏が書いたものだとされています。

 

 

 

国家祭祀権を、中臣氏(のちの藤原家)に奪われそうになったときに、その正当性を主張するために書いたものです。

 

 

 

 

古事記が本居宣長によって表に出てきたのが江戸時代なのですが、それまではこの先代旧事本紀がスタンダードだったのです。

 

 

 

 

この、「くじき」に、

 

 

 

 

「アマテラスとツクヨミは五十鈴川の河上で並んで坐す」

 

 

 

 

「伊勢に斎き祀る大神という」

 

 

 

と書かれているのです😅

なお、スサノオは「出雲国の熊野の杵築神宮に坐す」と書かれておりますが、これは熊野大社のことですね。

 

 

※熊野大社の節分祭(土曜日)

 

 

 

伊勢神宮というのは、この天武天皇の時代に、「古代道教」と「神道」が習合しているのです。

 

 

 

 

天武天皇は道教にとても関心があり、仏教を保護して、国家仏教を推進したのです。

なお、「神道」と「仏教」が習合したのは、もっと後の時代の話です。

 

 

 

 

そこで始めたのが、神道の整備です。

つまり神道の最高神・アマテラスと、道教の最高神の統合です。

 

 

 

これが、

 

 

 

北極星の神格化、「太一」です。

 

 

 

北極星とは、真北に輝く星のことですね。

 

 

 

 

古神道の神、アマテラスオオカミは、古道教の太一と習合して、北極星の象徴となり、北斗七星は「八星」となったのですね。

 

 

 

 

太一は太極とも同じで、「陰陽全体」のことを指します。

 

 

 

内宮=太陽(日)

 

 

 

外宮=太陰(月)

 

 

 

すなわち、太陽と月を合わせて、「太一」とする。

 

 

 

日と月の二元論は太極となり、渦を描き、究極の神となる。

 

 

 

 

この北極星信仰を、「北辰信仰」と呼びます。

平安時代初期にはすでに広まっておりましたが、広めたのは、北極星を信仰する海人族なのです。

 

 

 

北極星の神はアメノミナカヌシとされていますが、北辰神社に古社は含まれておりません。

 

 

 

2000年前後の歴史がある古社に祀られているのは、わたしたちの先祖だからです。

 

 

 

神社は心の故郷だ…

 

 

 

というのは、その通りなのですね😅

 

 

 

 

日本というのは、この道教の教えが深く根付いており、神道と仏教と道教が習合していた、のですね。

 

 

 

 

ということで、日本最古の天女は神となり、伊勢神宮の外宮におりますよ〜というお話でした✨✨

 

 

 

なお、天武天皇は三種の神器に祟られて、亡くなっております。

その草薙剣の移された先が、熱田神宮なのです😅💦

 

 

 

移されなければいけない理由が、あったのでしょう。

 

 

 

 

と言うことで、お伊勢さんにも歴史があるのね、でした😆✨