こんにちは。
今日はひろしま美術館にミュシャ展を観に行きました。
中世ヨーロッパのアール・ヌーヴォーの世界観に酔いしれましたよ😍
※この絵がもっともお気に入り🤩
なんと写真オッケーという太っ腹なひろしま美術館✨
十二星座をモデルにした絵もありました。
あれ?
これ…星座が逆じゃない😅?
と思ったりもしました。
さて、今日はちょっとおかしなタイトルですが、スサノオと飛鳥時代と祟り神について書いていきます。
さて、祟り神というと、怨霊などを祀っている神社のご神体…というイメージがあると思うのですが、
日本には古代から「御霊(ごりょう)信仰」というものがありまして、氏神信仰と並んで二大源流となっているのです。
この祀り方が始まったのは、古代の大和飛鳥です。
飛鳥時代は朝廷での権力争いがもっとも熾烈で、たくさんの古代豪族が滅び、死後に祀られて神となった経緯があります。
オオクニヌシ然り、
コトシロヌシ然り、
スサノオ然り、
そして、物部氏すらも。
※熊野大社
氏神信仰とは、死んだら神霊になるのだよ、わたしたちの祖先は神なのだ、ということで先祖を祀っていたのです。
これは、海人族がルーツの祀り方ですね。
御霊信仰は「荒ぶる神は祟り神」なので、祀ることにより守護を得ていたのです。
この、「荒ぶる神を祀る」という概念は、ヨーロッパなどの西洋信仰とは全くの真逆で、ヨーロッパは制圧して「広場」にして聖堂を建てることで、平和を維持してきたのです。
自然とは、脅威であり、対峙しなくてはならないもの、だったのですね。
西洋人にとって「悪魔は森にいる存在」だったからです。
制圧してそこに町が作られてきたのですね。
日本は真逆、「神は山の奥にいる」ということで、自然を神として、共存しようとしたのです。
もちろん山は禁足地となり、誰も立ち入ることなど許されず、遠くから拝むという遥拝をしていたのです。
三種の神器もまさに御霊信仰です。
ヤマタノオロチの尾から出た剣を、ご神体として祀ることにより、その霊力を取り込もうとしたのです。
古代の信仰について学びを深めていくと、日本の神さまはもともとは、荒ぶる神であり😅
だからこそ、丁重に祀り祈りを捧げてきたのですね。
荒む=すさむ=スサノオ
そんな三種の神器のひとつ、八咫の鏡は天皇に祟った。
鏡が宮中から出された理由は、荒ぶっておっかない、ということでひとりの皇女(トヨスキイリ姫)に手渡され、単独の社殿を設けながら、各地を転々としたのです。
それがヤマトヒメに渡り、各地を転々としたのちに建立されたのが伊勢神宮なのですね⛩
この、
カミ
という語源は、火と水を表し、もともとは火山や生命を生み出す海などでした。
クムというのは「隠れる」という意味でもあり、四隅を表す「スミ」でもあります。
神は隠れていて、その姿を見てはいけない。
だから、重要な神事は夜に行われて、神職が隠すのです。
まさに「禁足地」としての概念が強く根付いているのですね。
だから、「里宮」と呼ばれる社殿が、ふもとに建てられ、神を下ろすために「参道」が作られて、町が発展したのです。
ところが、
そう、禁足地とされていた山に入っていった時代があったのです。
これこそがまさに、古神道のターニングポイント、仏教の伝来ですね。
※富士山
いわゆる「開山」したのですね。
山をご神体として拝むという信仰の対象は同じ、ただ、アプローチが違っていたのです。
それを行ったのが、修験道の祖、役行者ですね。
富士山を開山したのも役行者です。
死して1000年、役行者はついに神として祀られることになったのです。
なお、修験道は神が住む山を霊山として仰ぎ、そこに入って厳しい修行を積むことで、己を鍛錬したのですが、
古神道と仏教のハイブリッドなのです。
どちらかを排除、ではないのですよ。
※ハイブリッドなんだ!
命をかけてケガレを祓う、というのは、神職が行う潔斎そのもので、祭りの概念を引き継いでいるのもわかります。
神が住む山をご神体として仰ぐ、という信仰の対象は同じでも、アプローチが違うと、歴史が変わってくる、のですね。
さて、飛鳥時代のターニングポイントは役行者が生まれたすぐ後、仏教が伝来するタイミングであります。
645年。
ここで、日本の氏族史上最大の事件が勃発しております。
最大の氏族であった藤原氏が、
それまでの最大の氏族であった蘇我氏を、
滅亡させて取って代わったのです。
大化の改新とも言います。
乙巳の変とも言いますね。
勝者である中大兄皇子は天智天皇となり、中臣鎌足は藤原家となりました。
敗れた蘇我入鹿は聖徳太子の死後から強い権力を誇っていたのですが、
まさにこの蘇我氏の氏神が、
スサノオノミコト
なのですね。
全国にあるそがさん(素鵞社)はスサノオを祀っておりますよ。
アスカの王=スサの王、
日本誕生の物語はまさに舞台は奈良であります。
というわけで、古代氏族のターニングポイントはまさに蘇我氏の滅亡(藤原氏の登場)、です。
飛鳥時代は物部氏も蘇我氏も滅びてしまいましたが、だからこそ血塗られた怨霊史が幕を開けた、というのでしょうか。
この舞台は、アスカであります。
そう、三輪山を中心とした大物主神の信仰圏でありますね。
この祭祀権は、物部氏によって、三輪山→石上神宮に移っていきますよ。
こういった歴史の上に日本書紀が書かれていますので、けっこうスサノオは悪い神だ、とみたいな書かれ方をしていますが😅
しかし、古事記ではスサノオの出雲神話が載っていたので、だからこそ古事記は江戸時代まで封印されていたのかもしれないですね。
ということで、そんなスサノオが坐すのは、出雲の熊野大社です✨
聖徳太子が生きていれば、また歴史は変わったのかもしれませんが…
歴史は勝者によって作られる。
歴史は深いですね😅