こんにちは。
昨日、平安京を守る結界について記事を書いたので、今日は安倍晴明をテーマにします♪
さて、わたしは小学生のときから平安時代が好きで、「なんて素敵にジャパネスク」などの平安時代をもとにした小説や漫画を読んでいました✨✨
平安時代の初期は、ホロスコープでいうと「火の時代」に当たり、
絢爛豪華な貴族が華やかに活躍した平和な時代だったのですが、
災害や戦乱の多い「地の時代」である、平安時代中期からボロボロになっていきます😅
平将門の反乱、藤原純友の反乱や、
※これを後に承平天慶の乱と言います。
富士山噴火
この混沌とした時代に活躍したのが、大陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)です。
この人の何がすごいのかと言うと、
担がれて陰陽師となった、圧倒的な資質がすでに幼少時からあった、という逸話でしょうか。
占星学や天文学を用いて、暦を占う機関なのですが、
かつて昔は災害とか不可思議な現象はすべて、妖怪や怨霊の仕業だと考えられていたのですね。
誰かが病気になっても怨霊…😅💦
それ、ウイルスに感染しただけやろ、と言いたいですけど、
現代ではすべて科学で説明できることも、この時代には不可思議な現象として捉えられていたのですね。
だからこそ、日本三大怨霊がこの時代に生まれたのです。
これこそまさに多くの人の恐れや不安が作り出した想念だ、と思います。
そのため、平安京は怨霊封じのために、五芒星の結界を用いて配置されました。
この五芒星こそ、古代中国の陰陽五行説の思想からできている陰陽道なのですね。
※平安京を守る五芒星の結界
かの太平洋戦争でも守られた、強力な呪術による結界は、未だに現代まで守りを固めているわけです。
そう、平安京の五芒星はまだ生きているのです。
それで、その怨霊や天災などの怪異を避けるためにはどうすればいいのか、
陰陽道に基づいて占っていたのが、陰陽寮と呼ばれる機関なのです。
わたしもここに就職したかったな😆✨✨
カレンダーなども手書きで作ったりしていたので、大変だったそうです。
安倍晴明はカレンダーを作っていたよ、というのはわたしも聞いたことがあります😅
さて、安倍晴明は陰陽師の一家に生まれた御曹司…ではないのです。
このお方、普通の貴族の子だったのです。
ただ、
占いがひどく当たる少年
として評判でした。
どうも貴族の個人的な占いをして、失せ物を見つけたりしていたようですね。
ヒーラーだったのでしょうね、晴明は😅
それを見込んで、賀茂忠行・保憲という陰陽師から陰陽道と天文学を習います。
才能が卓越していた晴明は陰陽寮に従事をして、村上天皇から直々に占いを命じられました。
占い師として有名だったのですね、晴明は‼️
そんな晴明さんが表舞台で活躍するのは、もっとずっとあとです。
40歳を過ぎてからなのです。
それまでは晴明さんは占いができる国家公務員だったのですが…😅
47歳で正式に陰陽師となります。
そして50歳で、陰陽師ではひとりしかなれない天文博士の称号を手にします。
なんとまだまだその後も活躍していき、
人々の病気を治したり、天災を塞いだり、天狗を封じたり、
その卓越した霊能力で、平安時代中期のパニックを鎮めてきたのです。
有名なのが、12体の式神を使役していたこと、ですかね。
蛇足ですが、式神というのは存在します。
作り方、わたし教えてもらいました😅←密教の一族の娘さんからね
ただ、12体は、まず普通の人間は無理です。
すごいエネルギー吸われてしまいますので、ギリギリで生かさなくてはこちらが食われてしまう。
式神のご飯って念とか想念なんですが、
そもそも宿主のエネルギーを使うのですよ🥶
よってエネルギー量が多く、それを上回る精神力がないとまず無理です。
そんな晴明を超える陰陽師は今も出ておりません。
唯一無二の大陰陽師であり、圧倒的な神秘性を持っていたのです。
それは、
葛の葉という白狐が母親である、という伝説も生まれるほどでした。
そう、人間とキツネのハーフなのですね✨✨
ロマンチックですね‼️
これほどまでの霊力を誇る晴明は、稲荷大明神の母親から霊力を預かった、と言われてもおかしくはないのかもしれません。
何より、安倍晴明の子孫は、明治時代まで陰陽師として日本の政治に深く関わってきました。
現代でも血脈は続いているのです。
そして今も、
日本の平安京…今の関西エリアを護り続けてくれているのです。
そんな、国の平安に努めた安倍晴明に感謝をしながら…
ぜひアベノハルカスを観光したいですね😆✨✨
以上、稀代のカリスマ陰陽師、安倍晴明でした❗️