em na(えむ)さんの投稿からスピンオフして,北海道ドライブの記事をシリーズ投稿続けています。
今回は別の地域に関して,em na(えむ)さんの投稿からスピンオフさせいただきます。
縄文時代に隠岐の島の黒曜石を丸木舟で本土まで運搬していたという仮説を実証するために作られた丸木舟からむしII号。
昭和50年代。私は,ヨット外洋艇のクルーをやっていて,当時開催されていた下関~釜山ヨットレースなどにも参加してみたいと思っていたので,興味深くニュースを見ていたかすかな記憶が残っています。
古墳時代から隠岐国と本土との行き来があった事は確実みたいですね。
戦国時代には,出雲藩・松江藩の所轄地。
当然,船での行き来は盛んだったことでしょう。
em na(えむ)さんの投稿に書いてあるもう一つの話題。
松本清張氏の「砂の器」の犯人捜しのカギとなる出雲の方言。
同じ島根県でも,
石見国=石見部(いわみべ)は広島弁と似かよった言葉。
出雲国=出雲部(いずもべ)は東北弁・ズーズー弁のような言葉。
その違いをしったのも,昭和50年代に読んだ浜田の釣場ガイドの本からでした。
石見部の石見銀山の銀積出し港が温泉津(ゆのつ)の沖泊港です。
沖泊周辺の海岸の磯釣り場には,面白いと言うか,怖いと言うか,そんな名前がついています。
アバヤ・犬戻し・唐人島・おどろ・ちぎり
地元の人に聞いた話では,大陸からの密航者が上陸したけれど島から渡れないように見張って餓死させた島だから「唐人島」だとか,処刑場だったから「ちぎり」だとか,そんな話を聞いたと思います。
このあたりから西側。長門までの海岸には,昔,遭難して流れ着いた人・大陸からの渡航者の伝説が残っています。
有名な所では
仁摩の鳴き砂海岸「琴ヶ浜」には琴姫伝説。
長門・油谷の向津具(むかつく)の二尊院に残る楊貴妃伝説
土居ヶ浜に残る遺跡=これは史実ですね。
とりとめのない投稿になりました。
ここらへんで終わります。