黄金町バザール2020に行ってきました。
須々木です。
今年も黄金町バザールに行ってきました。
今年は例年とは違って、第1部と第2部に会期が分かれていましたが、先日、第2部も見てきたので、軽くまとめておきます。
◆会期◆
第1部 ⇒ 2020.9.11~10.11
第2部 ⇒ 2020.11.6~11.29
そもそも黄金町バザールとは・・・みたいな話は割愛。
ググったり過去記事見たりしてくださいな。
《当ブログ内の関連過去記事》
▽ 今年も黄金町バザールに行ってきました。 (2018-10-24 by sho)
▽ 黄金町バザール2019に行ってきました。 (2019-10-31 by sho)
参考程度の写真と軽い所感を。
言うまでもなく、素人の静止画像と短い文章でお伝えできることは限られているので、その点はご了承ください。
現場に行ってこそです。
今年は当然、新型コロナ流行拡大の影響をもろに受けているので、そもそも開催されるのか心配でしたが、可能な限りの対策を講じた上で無事開催されました。
関係者の皆様の様々な努力のおかげだと思いますが、本当にありがたい限りです。
展覧会そのものへの影響もさることながら、会場で見られる作品にも直接間接的問わず、コロナの影響は随所で見られました。
「揺れたり掃いたり」(常木里早)[第1部/1の1スタジオ E]
触れることで壊れてしまう陶のつり革と、他人のタンスを満たす苔。
つり革は、接触を意識して生きざるを得ないコロナ禍において、一つの象徴として用いられています。
他者との繋がり、接触、制御不可能性、浄化などのキーワードが、日常的なオブジェクトで表現されています。
「A MAD TEA PARTY」(山本貴美子)[第1部/高架下スタジオSite-Aギャラリー]
「不思議の国のアリス」のお茶会からのインスピレーションで制作された、使えそうで使えない茶器たち。
日常的な行為とも言えるティータイムと、原作にも表現される「どこかイカれた感じ」のマッチングは、同時に2020年の日常にも通じるところがあるように感じます。
「黄金町での振る舞い」(カオ・ツネヨシ)[第2部/地域防犯拠点ステップ・スリー]
クアラルンプールを拠点とするアーティストですが、渡航制限により滞在制作ができない状況で当初のプランを変更。
このような状況下での「制作」そのものをテーマにしたビデオエッセイ作品として制作されました。
個人的には、黄金町バザール2020全体を通して、最も印象的な作品でした。
ビデオエッセイ作品とのことですが、メインは恐らくテキスト。
写真にあるような形式でテキストが表示される状態が標準、全体で30分のボリュームです。
こうやって聞くと、物凄く単調で退屈だと思われるでしょう。
というか、僕も普通に「30分は長いな・・・」と思って見始めました。
しかし、実際には、なぜかすぐに引き込まれ、30分があっという間でした。
はっきり言って、自分でも不思議です。
「なぜなんだろう?」とちょっと考えてみます。
まずは、言葉の巧みさ。
そこにBGMの巧みさが加わり、絶妙なタイミングでカットインの動画が入ります。
語られる内容は時系列が飛び飛びで、唐突に挿入される動画も非常に主観的なイメージの引用。
文脈はあるのに、その文脈はまったく掴ませず、「どこに向かっているんだろう?」という感覚で、ひたすら次に来るものを食い入るように見つめさせる。
そんなこんなで、シンプルな要素の組み合わせとなっていますが、単純に質の高さに圧倒されました。
質問と回答という基本的な単位に、俳句などを挿入していますが、感覚的には漫画的なヒキに通じるものを感じました。
漫画で次のコマへ進む推進力、ページをめくらせる推進力と同系統の、シンプルな構成物、シンプルな動きの連続を「魅せる」という点で、非常に面白かったです。
また、タイトルから垣間見えるとおり、テキストで言及している内容がメタ的であり、制作行為そのものを題材にしている点も、個人的に面白く感じるところでした。
アート界隈の言語は、しばしば閉じた界隈のみで通用する難解さをもち、それが敷居となってしまうことがあるように思いますが、本作はテキストメインでも、用いられている言語がアート的ではなく、日常的言語である点も特徴的でした。
それでいて、陳腐さ、ジャンクさはなく、ハッとさせられる。
こんな感じで、いろいろ挙げ連ねることはできますが、それでは結局何が魅力的だったのかと言うと、端的にはなかなか表現しがたいところです。
ただ、その表現しがたい感覚を直接感じられたという点が、大きな収穫だと思います。
「Sailormoonah」(アルフィア・ラディニ)[第2部/高架下スタジオSite-Aギャラリー]
宗教が日常に深く根差すインドネシア。
その宗教的ルールを反映させた「セーラームーン」の樹脂彫刻(肌の露出を抑えたムスリム的いでたち)をバンドンの街角に設置し、「彫像がこんな形をしていたらどう思いますか?」「好きですか、嫌いですか?」「安全ですか、危険でしょうか?」「壊すべきだと思いますか?」という4つの質問を用意。
人々の反応を収めた映像作品。
彫刻と映像作品、サブカルとアート、公共空間と個人的嗜好、宗教的価値観が根付く社会と日本。
様々な対比と融合が見事で、印象的な作品でした。
境界を超える文化と、超えた先でのローカライズは、進化論のような一定の法則性をもつと思いつつ、なかなか予想はできず刺激的なインプットになるように感じます。
「Bukas: open/tomorrow」(ラルフ・ルムブレス)[第2部/八番館]
タイトルの「Bukas」は、タガログ語で「開かれている状態」「明日」などの意味。
2030年に開けるタイムカプセル(古代フィリピンで埋葬に使われたマヌングル壺を模している)があり、この場で来訪者が未来へのメッセージを入れる。
また、黄金町のまちづくりに関わってきた人々に聞いた過去や現在や未来についての話は、SSDに保存され、同様にタイムカプセルに収められる。
2020年から2030年に思いを巡らせるとき、言われるまでもなく、現在の特殊な状況を意識することになります。
収められるのは、個別に見れば完全に個人に特化したものであり、黄金町という地球上の非常に狭い領域の話であるわけですが、その集合体は、2030年の世界で開けば、間違いなく2020年の“リアルな空気”となるのでしょう。
以上、たくさん素晴らしい作品がある中で、個人的な印象でチョイスした作品をいくつか紹介させていただきました。
「アートによるまちづくり」を標榜する黄金町で展開される「AIR(Artist in Residence)」。
今回の黄金町バザールでは、第1部が黄金町AIR参加アーティスト42組、第2部が国内外のゲストアーティスト9組によるもの。
コロナ禍により、第2部の9組中、滞在制作は4組で、残り5組はオンライン参加となりました。
滞在制作が大前提のプログラムにおいて、コロナ禍はイベントのアイデンティティに関わるものとなります。
この点は、訪れる前から大きな注目ポイントだと思っていましたが、やはり「滞在して制作する」というコンセプトの根本が揺さぶられたときの化学反応、というのを感じられました。
黄金町バザールに行くと、場の共有(空間の共有だけでなく、体験の共有なども含めて)の大切さを改めて実感できます。
そして、今年は、新型コロナの影響でそれがさらに強く感じられました。
新型コロナは様々なモノを奪い妨害してきたわけですが、皮肉にも、これだけ遍く世界に同時に影響を与えたことで、人類が本当の意味で「繋がっていること」「場を共有していること」を、強烈に印象付けているようにも思います。
たぶん、このレベルは、第二次世界大戦以来なのではないかと(日本国内ということなら、東日本大震災以来となるのだろうが)。
今回の黄金町バザールでは、滞在のハードルが高い状況で、AIRを根幹とする展覧会を実行するという、アイデンティティに関わるテーマを内包しています。
実際、海外在住のアーティストで、渡航困難により、黄金町に滞在することなく作品を発表している人もいました。
しかし、この新型コロナの状況下では、ある意味で、黄金町でも海の向こうの知らない土地でも、「場を共有している」という感覚があるように感じます。
だからこそ、違和感はほとんどなかったように思います。
(これが平時の際にこのスタイルをとったら、恐らくかなり浮いたものとなっただろう)
新型コロナは、通常ではもっとバラバラになっている全世界のリズムを同期させる「強力なシグナル」のように作用していると感じます。
表面的現象的には、移動の不自由さによる「分断」が目立ちますが、「同期」という側面も重要だと思います。
だからこそ、今後はこの「同期」が次の何に繋がっていくのかがポイントになるのだろうと。
世界中が同期したことで、世界中を同じ尺度で測れる機会を得てしまいました。
もちろん、積み重ねたITの下地があったわけで、傾向としては一貫していたわけですが、ある日唐突に全国一斉模試をするような感じで、現段階での偏差値が示されたようなもの。
喫緊の課題に取り組みつつ、この先をどうしていくのか、誰もが考えていくことになります。
このような文脈の中、黄金町バザール2020が、今後の黄金町バザールにどう繋がっていくのかという興味はかなり大きいです。
黄金町バザール2020のテーマは「アーティストとコミュニティ」。
普段なら、何を今更と言われてしまいそうなテーマですが、確かにこの2020年に求められるテーマだと思いました。
◆Instagramにも写真をあげています
sho