5月15日(土)
ふと居間のテーブルの上に目を落とすと見慣れぬハードカバーが置いてあり、母になにこれと訊くと、「『告白』、湊かなえの」といった。巷で話題になっているし買ったのかと思ったが、すでに文庫化された今日にハードカバーとは少々不経済だと思った。よく見ればそれはほんの少しだけユーズド感が認められ、どうやら買ったわけではなさそうだ。誰か知人にでも借りたのかと予想した上で、これどしたん? と尋ねると、曰く、妹に頼んで、通っている高校の図書室から借りてきてもらったらしい。本を裏返せばなるほど図書館の蔵書を示すラベルが貼られていて合点がいき、次の瞬間、きょうびの高校の図書室でも市立や県立の図書館よろしくバーコードで読み取ることですべての情報がデータ化されているのだと知って驚いた。
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もはや図書カードなどというアナログなものは存在しないのだろうか。そして、あれは確か「代本板」と呼ばれていた代物だった――。僕が小学校のとき各自に渡された平均的ハードカバーの大きさ、厚さに仕上げられた木の板(それには背表紙にあたる部分に学年と名前を記す)。「図書室で本を借りたときは、抜き取った本の代わりにこれを差し込むこと」と先生は釘をさした。みんなが本を借りすぎたら本棚がすかすかになって収拾がつかなくなるかもしれない――。教諭陣はおそらくそんな心配をしていたのかもしれないが、あれは確実に杞憂だった。そもそも当時、図書室で本を借りようとする小学生などほとんどいなかったのだから。かくいう僕も、恥ずかしながら「代本板」を正しい用法で使ったことがない。
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直筆の図書カードがなくなることはハイテク化が進む上で当然のことかもしれないが、それとは関係のない「代本板」、あのシステムは全国的にメジャーなものだったのだろうか。少なくとも、あれ以降、僕はそれを目にしたことがない。謎といえば謎である。
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予定外のノスタルジーに多くの行を割いてしまった。それにしても、高校の図書室に目をつけた母はなかなかの策士かもしれない。確かに市立図書館の類では、話題の本をその場で借りることなど到底不可能だ。人のことはいえないが、高校生とはこれほど本を読まないものなのか? 妹に訊いてみれば、「別に、予約もなしに簡単に借りれたで。やっぱ誰も読まへんのちゃう?」と今どきのノリで高校生の図書室事情を教えてくれた。確かに、手もとのハードカバーはほとんど手垢がついていない。それでもコンピュータでのデータ管理システムを取り入れたり、新刊を毎月仕入れたりとごく少ない(であろう)需要に一生懸命な学校の姿勢に切実な感動を覚える。あぁ、僕もとうとうこちら側に来たのだ。
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母が読みたいといっていた『告白』だ。しかし母が手をつける前に僕が「つまみ読み」してしまったのが良かったのか悪かったのか……。なるほど噂に偽りなくそれはとてもおもしろく、止めるに止められなかった。母より先に手を出したくせにのんびり読むわけにもいかない、という気持ちもあったが、それ以上に本が中断しようという気にさせてくれないせいで結局3時間ほどかけて一気呵成に読了した。「決して良くはない読後感」との触れ込みがあったけれど、個人的にはそんなことはなかった。母は読むのが早く、だから遅くとも2,3日後には読み終わっているだろう。母の感想を聞いてみたい。妹はきっと読まないから。高校の図書室が穴場だと知った夜。