「おいしいラーメンを作るコツは、職人の冴えた技ではなく、細かい仕事を手抜きしないひたむきさにある」と理解しました。これはたいへんなことです。しかし、美味しいラーメンを作る店の主人は、口をそろえて「そんなことは当たり前」と言います。
(p251)

 

 これも「amazonマーケットプレイス」だと割高ですね…。古書店などで手ごろな値段で見かけた方はぜひ。

 

 私がラーメン食べ歩きを始めた頃には、SNSも食べログもなく、ラーメン好きが立ち上げたホームページが重要な情報源だった。大崎裕史さん主宰の「東京のラーメン屋さん(とらさん)」と、大村明彦さん主宰の「ジャンボのラーメン三昧」には掲示板機能があり、情報交換が活発に行われていた。北島秀一さんの「しうの電脳麺記」らと合わせ「ラーメン四天王」として「TOKYO 一週間」でラーメン企画が連載されていた頃の話。

 
 

 大村さんのホームページで「ラーメンは人なり」という連載企画が始まったのは1998年のこと。サイト主導でラーメン店主にインタビューする企画は、当時珍しい存在だった。大村さんと、親交があった垣東充生さんの2人で企画とインタビューを行い、文章を垣東さんが、ネットのレイアウトを大村さんが担当したとの事。その連載に書き下ろしを加えたものが本書になる。垣東さんはテレビ制作会社の企画やリサーチを担当し、私が出場した「TVチャンピオン ラーメン王選手権」や、他の人気ラーメン番組でプロデューサーを務めていた方。テレビ業界をよく知る者として「テレビや雑誌ではやらない、いや、やれない連載をしたい」というコンセプトの企画に関わったという。大村さんと垣東さんはラーメン好きであるのはもちろん、ゲーム好きという繋がりがあったと記憶している。また、私は垣東さんの自宅のすぐ近くに住んでいた事もあり、彼の自宅で夜明けまでラーメン談義をした事も何回かあった(笑)

閑話休題。この本には以下の10組へのインタビューが掲載されている。
 山田雄(麺屋武蔵)
 田村満儀(くじら軒)
 村中明子(らーめんの駅 純連 すみれ)
 菊池英之(バカうまラーメン 花の季)
 一条安雪(元祖一条流がんこラーメン)
 佐野実(支那そばや)
 檀上俊博(朱華園)
 井出つや子、紀夫(井出商店)
 山岸一雄(東池袋大勝軒)
 加藤圭吾(山加加藤ラーメン)


 2020年現在、村中さん、佐野さん、井出つや子さん、山岸さんは他界され、檀上さんの朱華園は閉店されている。それだけに歴史的な資料としても重要な一冊になっている。それぞれの店についてだけでなく、各自が生きた時代を含めてインタビューされているので、ラーメンの歴史を調べる上でも貴重な一冊になっている。

 「麺屋武蔵」と「くじら軒」は「96年組」として知られ、「がんこ」「支那そばや」の二人は、行列を作る人気店だった。「花の季」は、ラーメン好きからラーメン店主になり、村中さんは当時「らーめんの駅」を札幌市琴似で営業していた。「朱華園」や「井出商店」も、その店を目指してラーメン好きが足を運ぶ名店。最終章に「余話」として掲載された「山加加藤ラーメン」は製麺所で、父親が創業した「加藤ラーメン」を含めた、旭川ラーメンの歴史についてまとめている。

 それぞれの店主の生い立ち、ラーメンへの道、ラーメン店としての道のりが描かれ、店主の人となりを通じて、各々のラーメンに繋がっている。「こだわりのラーメン職人」として知られる佐野実さんの、この言葉は印象的だった。
 

「よく取材で『こだわりはなんですか』って聞かれますけど、一つや二つのこだわりを挙げることは意味がない。だって『それ以外はこだわってない』みたいじゃないですか。やっぱりおいしいものを作りたい、そのためにはあらゆる部分に最善を尽くす必要がある」

(p163)

 冒頭には掲げた引用部は「あとがき」から引いたが、それぞれの店主の「当たり前」を、改めて言葉にしていったこの功績は、ラーメン界にとっても決して小さくはなかったと思う。

 この本には10篇のインタビューが所収されていて、書き下ろしが2篇。そして、「ラーメンは人なり」には9人のインタビューが掲載されている。実は、サイトに掲載されたうち1本だけ、書籍への所収がかなわなかったインタビューがあった。大村さんが「ジャンボのラーメン三昧」を閉鎖された後もしばらくは、そのインタビューだけが残っていた。今はどうなっているだろう。これらの店に負けずに知名度があり、取材拒否で知られる名店ですが。