今日の言葉 -2ページ目

固定観念を捨てる

理論と実際が喰い違った時には先ず理論を疑うべきである。(谷川 俊太郎『ONCE』)

つい最近読んだDHBRに載っていた、精神科医の和田秀樹氏の論考で述べられていたことを思い出しました。以下は私のメモです。
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学校教育というものは、概して疑う力を奪うようにできているのです。なぜなら、「スキーマ」を植え付ける行為だからです。
スキーマとは、人間が経験を通じて習得する「定型的な認知の枠組み」であり、試行錯誤や推論という思考プロセスを省略する、つまり脳の情報処理スピードを高めるものでもありますので、決して悪いものではないのですが、スキーマに依存しすぎると、デジタル思考に陥りやすい。
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心理学的にも、自らが信じているスキーマ(理論)と実際に食い違いが起こった時に、自らのスキーマを疑うことはせず、実際に起こっている現実の方を否認してしまう傾向が強いようです。

「知識」を貪欲に吸収したがる人が多いわけですが、そういう人に限って「偏見」が強くなってしまうのではないでしょうか。
私の来年のテーマは「アンラーニング」にしようと思っています。

長期的な関係

あなたが他人に対して尊敬と思いやり、そして暖かい心を抱いていれば、それは気温や空気の香りのようにまざまざと相手に伝わります。そしてあなたの人間関係は肯定的なものとなります。(ロバート・コンクリン『説得力』)

自分の利益と顧客の利益のどちらを優先するか。大変難しい問題だと思います。大抵の会社は自らの利益を優先します。自らのステークホルダーのことを考えると当然の選択だと思います。
しかし、長期的な視点で見ればどうでしょうか。短期的に利益を出すために、自らの利益だけのために動いたならば、顧客との関係は終わってしまうかもしれません。そうなると、新規の顧客を獲得するコストを支払う代償が発生することになり、結果的には利潤の最大化には繋がらないのではないでしょうか。

個人的な関係においても、同様なのではないかと思います。自らの満足のために相手を犠牲にすれば、その関係は脆くも崩れ去ることでしょう。
逆に相手に対する思いやりに溢れていれば、長期的に魅力的な人間関係が築かれることになります。

自らより相手に対する思いやりを持つことで長期的に良好な関係が築かれるという法則は、社会に存在する「関係」全てに適応できるのではないでしょうか。

インプットとアウトプット

諸君が困難に遭い、どうしてよいかまったくわからないときは、いつでも机にむかってなにか書きつけるがよい。(作家 小泉 八雲)

インプットが上手い人とアウトプットが上手い人がいる。インプットが上手いというのは、つまり聞き上手ということ。逆にアウトプットは話し上手。
自分はどちらかというと、インプットは苦手でアウトプットの方が得意なのかもしれない。

インプットを入れる際に重要になるのが、「心の状態」なのかなと思います。つまり、自らの経験や知識が邪魔をしてしまわないよう、素直な心でインプットを入れること。これが大事なのではないでしょうか。
では、アウトプットはどうすれば良いか。それは、自らが得たインプットをきちんと整理すること。きちんと整理して、アウトプットに備えて準備することが大事なのだと思います。

心の状態が良い時にインプットを入れ、何か迷った時にはそれを活かすためにひたすらアウトプットを出す。そう考えると、困難に遭った時は「机に向かってなにか書きつける」ことも必要なのかも知れません。
ホントは、困難に遭う前に普段から準備しておきたいものですけどね。

陽転思考

事実は一つ。しかし、その事実を明暗どちらの面から見るかによって、結果に大きな違いが出てくる。(松下電器創業者 松下 幸之助)

物事には常に二つの側面があると思います。人は皆、この二つの側面のどちらかを見ています。どちらの面が見えるかは心のあり方次第。前向きな気持ちでいる時は明が見え、後ろ向きな気持ちでいる時は暗が見えるのではないでしょうか。

松下翁に直接教えを受けた私の師は、このことに対して「陽転思考」の考え方を提唱し、次のように述べています。

物事をありのままに受け止め、最善を尽くす努力をする。(小田 全宏)

心の状態に応じて見え方は異なりますが、物事は見えた通りにありのままに受け止めるしかなく、それを受け止めた上で最善を尽くす努力をするしかないのだと。
これが良い循環を保つための一番の方法なのかなと思います。

ちなみに、松下翁と同様のことをジョージ・バーナード・ショーは具体例を用いてこう表現しています。

グラスに入っているワインを見て『もう半分しか残っていない』と嘆くのが悲観主義者。『まだ半分も残っているじゃないか』と喜ぶのが楽観主義者である。(George Bernard Shaw)

常に物事を肯定的に捉えられる「楽観主義者」でいたいものですね。

追記:
松下幸之助翁はこのような言葉も残していますね。まさに「陽転思考」の考え方です。

逆境もよし、順境もよし。要はその与えられた境遇を素直に生き抜くことである。(松下電器創業者 松下 幸之助)

純粋な思い

「動機善なりや、私心なかりしか」(京セラ名誉会長 稲盛和夫)

稲盛和夫氏が第二電電(現KDDI)を起業する際、自らの思いに不純なものはないかと幾度となく問いかけたといいます。毎晩欠かさず半年間も自問自答を続けた後に通信事業に参入し、結果はご案内の通り。純粋な思いが、どんなに優れた知性にも勝る強大なパワーを持っているのです。
余談ですが、氏は私の師の事務所に訪れる際、帰り際には必ず茶菓子を差し出した事務職員にも深々と頭を下げるそうです。「ご馳走様でございました」と。
一代で二つもの大企業を創りあげた稲盛氏の精神的な根底にある「利他」の精神、「感謝」の精神を垣間見ることができるエピソードです。

何事をするにしても、純粋な思いに基づいて行動をしていくと同時に、周囲に対する感謝の気持ちを常に忘れずに生きていきたいものです。

疑問を持つ

「この地上に義(ただ)しい者は一人もいない」(伝導の書7章20)

ユダヤ教の教典の言葉で、ユダヤ教の根本的な思想になっている考え方だそうです。
ユダヤ社会では自分も含めて誰もがどこか間違っているということを前提に、議論を重ねていくそうです。日常の挨拶の言葉が「マニシュマ(あなたは何を聞かせてくれますか?)」だというから驚きです。

日本の教育制度では、正しい回答が一つ用意されていて、それを回答させることを目的に教育されているような気がします。自然科学なら当然ながら解はあるわけですが、人文系でも解を用意してしまいます。古典の解釈ですら答えが決められているわけですから、おかしなものです。
権力に対して必要以上に従属的になり、自らの判断ができず、不祥事を連発している企業が多いのは、そういう教育や文化的な背景からきているのかもしれないですね。

最近、前三重県知事で早稲田大学の北川教授や横浜市の中田市長の話を聞く機会がありましたが、彼らが口を揃えて言っていたのは、これまでの常識に疑問を持ち、行動していかなくてはいけないということでした。
これまでの常識に意見をすることは、異端児や変わり者と扱われてしまうリスクもあります。しかし、明治維新も当時の変人が起こしたものです。一人一人の地道な活動、社会の一隅を照らす活動がやがて社会を変えていくのだろうなと思います。

これまでの常識だけでなく、自らの考えですらどこか間違っている可能性があるのだ。そう肝に銘じて、常にいろいろな視点から物事を考え、行動していかなくてはいけないのだなと思います。

このブログについて

今日からamebloデビューです。
その日にふと出逢った言葉を書き留めておく、個人的なメモ代わりです。
なので、私のいままで積み重ねた経験(別名を偏見と言いますかね)を交えたコメントも書き込んでいくことになると思います。
ご覧になった方々の経験から、貴重なご意見などをいただけると、私にとってとても有意義だなと思って公開していくことにしました。

宜しくお願い致します。