みなさま、文化の日いかにおすごしでしょうか?
さて今回は創作落語「つなよし」の連載2回目です。
ここから読んでもまったく問題ありません。
興味があればその1もお読みくださいませ。
連続創作落語「つなよし」その2
え~まいどばかばかしいお笑いに一席おつきあい願います。
なんですな、ことわざを読んでいて、ふと疑問に思うことがございます。
犬も歩けば棒に当たる なんてことを申しますが、わたくし何十年も生きてまいりましたが棒に当たった犬をまだ見たことがございません。
夫婦喧嘩は犬も食わない――喧嘩を食う犬がいるとは思えません。
それはそれとして、物の本によりますれば、なんでも初めて日本で犬を飼ったのは西郷隆盛だとか。これも明らかに間違いであります。犬の埴輪が出土しておりまして、ちゃんと首輪のようなものまでついております。
また歴史上の事実として、西郷隆盛より以前に犬はちゃんと飼われておりました。五代将軍徳川綱吉。かの人は東京郊外の中野というところに犬囲いを作り、なんと四万頭の犬を飼育させたのであります。
どうしてそうなったかと申しますとほかでもない、彼は戌年の生まれ。そして子供に恵まれないのは前世で殺生を繰り返したから、と高僧にそそのかされて、かの悪名高い生類憐れみの令を天下に発布いたします。犬から蚊にいたるまで殺生はまかりならん、とのきついお達しで苦しんだのは庶民でございます。
とりわけ犬に関しては厳しい取締りだったと言われております。犬を捨ててはならぬ。犬を虐めてはならぬ。犬に咬まれても殴ったりできないのでございます。江戸時代のことですから、犬に首輪なんかつけておりません。放し飼い。野良犬が町にうようよいたことでしょう。
ところがテレビの時代劇を観ていておかしいなと思います。野良犬の一匹すら出てまいりません。
伊勢屋 稲荷に 犬の糞
馬の糞ともいいますが、当時江戸に多かったもののたとえでございます。
そんな時代のお話で。
*
とある貧乏長屋に大家さんが家賃の催促に訪ねてきております。
「おおい、三吉、いるかい」
「いねぇよ」
「馬鹿だね、居留守をつかうなら黙っていればいいものを、いねぇよもねぇもんだ。ちょいとお邪魔するよ」
「なんだい、大家さんかい。いねぇって言ったのに勝手に入ってきちゃ困るぜ」
「困っているのはあたしの方だよ。いつになったら家賃を払ってくれるんだい? もう半年もためこんでいるんだ。今日という今日は少しでももらっていくからね。もらえるまであたしは帰らないよ」
「家賃? お金のことは、とりあえずこっちの方においておいて」
「おいておいてじゃないよ。払ってもらうからね」
「ねぇ袖は振れぬ、って言うじゃねぇか。ねぇものは明日までねばったって払えねぇってことよ」
「お前さんだって立派な大工じゃないか。なんでわずかな貯えがないんだい?」
「へっ、こちとら江戸っ子でぇ。宵越しの銭もつなんて格好の悪い真似ができるかってんでぇ」
「お前ね、今はまだ若いから粋がっていられるけど、年をとってごらんな。金がなければどうする? 野垂れ死にだ。悪いことは言わない。今からでも少しずつ貯えておきなさい」
「大家さんは信心深い方かい?」
「言うまでもないよ」
「んじゃあ仏教の十戒って知ってるかい?」
「もちろんだ。殺生をしてはいけない。盗んではいけない。嘘をついてはいけない。邪まな心をもってはいけない――」
「その中に、お金を貯めこんではいけない、ってのがある。俺はね、そいつを心に刻んで固く守っているのさ」
「そういうのを屁理屈というのだ。なにが十戒だね。知ったかぶって。わかった。家賃を払えないなら出てってもらう。それでいいのかい?」
「待った、まった、待った。これだから年よりはせっかちでいけねぇや。あわてる乞食はもらいが少ないっていうじゃねぇかよ」
「あたしは乞食じゃありませんよ。出て行くのかい、家賃を払うのかい?」
「ま、ま、ま、頭に血をのぼらせちゃあいけねぇ。落ち着いて話をしようじゃないですかい? その辺に座って、落ち着いて。ね? 払わねぇとは誰も言っていない。払えねぇといっているだけですんで」
「座るっていっても、どこも汚いねぇ。ちゃんと掃除はしているのかい? 男やもめに蛆がわくってな。嫁はもらわないつもりかい?」
「てやんでぇ、べらぼうめ。そんなめんどくせぇもんは結構でさぁ。かみさんがいたら気楽に暮らせねぇ」
「お前がその気ならあたしが世話してやってもいいんだよ? おっとここらがいくぶんましなところだね。じゃ失礼して座らせてもらおう。よっこいしゃ。おっととと、なんだい、この炭俵動いたよ!」
「大家さん、そいつは俵じゃねぇよ。俺っちの犬さね。おーよしよし、汚い尻を乗っけられて、かわいそうになぁ、よしよし」
「汚い尻で悪かったね」
「いいえ、だいたい尻ってのは汚いもんです」
「そいつは、お前さんの犬かい?」
「へぇ。そうなんで。変な奴が訪ねてきてね、犬を買えって。てきとうにあしらってやったら犬だけ置いていきやしてね。この犬がぼた餅が好きで。古いぼた餅やったら居ついちゃいました」
「ぼた餅って、結構値が張るだろうに。毎日ってわけにはいかないだろう? 餌はどうしているんだい?」
「何もやっていません」
「それにしちゃあずいぶんと肥えているねぇ」
「へぇ。そいつが不思議で」
「まぁごみ箱からあさって何か食っているのだろう」
「へぇ。たぶん、そんなところでしょう」
「名前は?」
「へぇ、あっしは三吉です」
「犬の名前に決まっているだろう? 話の流れを読みなさい」
「つなよし、って言います。ふだんはつな公って呼んでいますが」
「公方(将軍)様の名前じゃないか!」
「あっちは漢字の綱吉。この犬はひらがなでつなよし」
「お前ね、役人に知られたら打ち首ものだよ?」
「じゃ、つに点をつけて うなよしにします」
「まぁ、つなよしでなければいいよ。……で、家賃は払うつもりはあるが、今はない。こういうことかい?」
「早い話、そうです」
「じゃ、こうしよう。これから毎日あたしが夕刻、お前さんが大工仕事から帰ってくる頃にやってくるとしよう。そうしてお前から給金の少しずつを返してもらうとしよう。それでいいね? そうすればお前さんが残りの銭を全部使ってもあたしは困らない」
「な~るへそ。さすがは大家さん、伊達に年はとっちゃいねぇ」
「頭を叩くんじゃないよ。あたしもね、三吉がいてくれれば長屋の壊れたところを直してもらえるし、重宝しているんだよ」
「ほんとに大家さんは仏さんみてぇな人だ。後光がさしてる。いや、はげ頭が光ってるのか。ありがたや、ありがたや」
「抱きつくんじゃないよ。ま、ね、大家といえば親も同然だからね。困ったことがあれば何でも相談しにきなさい」
「大家といえば親も同然。いい言葉だね~。では父上、え~ちぃとばかし困ったことが……」
「なんだい?」
「懐がさみしくって。一分ほど貸してくんなせぇ」
「お金のことは、とりあえずそっちにおいておいて。じゃ、これで」
「なんでぇ」
*
この三吉の飼犬のうなよしは利発で長屋の住人にも可愛がられていたのでございますが、困ったことに、毎夜主の家を抜け出して大家の家の前で夜鳴きするのでございました。
わんわんわんわんわんわんわん
大家さんとても寝ていられません。
何日も寝不足が続いて挙句、ある夜とうとう我慢の限界に達した大家さん、こん棒を抱えて外に飛び出しまして、うなよしをこん棒で殴るなぐる殴る。
まぁ年寄りの大家さんのことですから全力で殴ってもたかがしれておりますが、それにしたって犬の方も逃げればいいものを逃げないで黙って叩かれております。
「可愛くない犬だね~。なんだい? もっと殴ってほしいのかい?」
さらに大きくこん棒を空に突き上げたところで大家さん人の気配に気づきました。
「これは、親分さん、こんばんは。いえね、この犬があたしの家の前で毎晩吠えるもので、ちょいと躾の意味で殴っているんですよ、へへへ」
親分というのは岡っ引きの源蔵というヤクザであります。ヤクザが奉行所公認の十手持ちというのも変でございますが、当時はこうした二束のわらじは普通でありました。源蔵はどうやら夜回りをしていたのでしょう。
「おめぇ、てーへんなことをしてくれたなぁ。え? こいつはちょいと事だぜ」
「事と言われましても、あたしはただ犬を叩いただけでございますよ」
「ははん、お前しらねぇんだな? ま、とにかく明日八丁堀の旦那と一緒に召し取りに来るからよ。神妙にしてお縄になるこった。逃げるんじゃねえぞ」
「お縄? なんであたしが? 逃げるも何も、何のことやらわかりません」
「それじゃあな」
源蔵は薄気味悪く笑うと闇の中へ溶けていく。
大家さんは不安な気持ちのまま、一睡もせず夜を明かすのでありました。
*
「家主甚兵衛とはその方であるか?」
翌朝北町奉行所の同心堀田某が源蔵を従えて長屋にやってまいりました。
「へ、へぇ。さようでございますが、手前が何か?」
「なにかではない。お犬様を苛めるという大罪を犯して悪びれた様子もないとは不届き千万である。源蔵こやつに縄をかけい!」
「ちょ、ちょっと待ってください、お役人様。犬を殴るなんて、みんな日常茶飯事でございますよ? なんであたしだけが」
「一昨日まではそうであった」
「はい?」
「お上が生類憐みの令をおだしになられたのだ。犬に限らず、あらゆる生き物を殴ったり殺したりしてはならんのだ。罪を犯した者は厳罰に処される」
「そ、そ、そんなこと、あたしは毛の先ほども知りませんでした、た、た」
現在なら新法が出来ますと官報やマスコミにより庶民に伝達されますが、江戸時代はそうではありません。お上は庶民のあずかり知らぬところで勝手に法律を作り熱心に庶民へ知らせることはしませんでした。
「知らぬではすまんのだ、甚兵衛。申したいことがあればお白州で申せばよかろう」
「ぐ……。そ、それでどのくらいの罪になるのでございましょうか? こんな老いぼれでございますから百叩きのうち五十で命尽きてしまいます」
大家は後ろ手に縛られながら罪の重さを尋ねます。
「安心しろ。よくて遠島。悪ければ死罪だろうな」
「ひいいいっ!」
甚兵衛さん白目をむいて卒倒しそうになった。その時、雷の速さで駆けつける犬が一匹。そして吠えることおびただしく。
わんわんわんわんわん
「う、うなよし。殴ったりしてあたしが悪かった。謝ってすむことではないかもしれんが、あたしをかみ殺して気がすむのなら咬んでおくれ。遠島や首を刎ねられるくらいなら、お前に咬み殺された方がまだましだ」
わんわんわんわんわん
うなよし大家の言葉で飛び掛りガブリと腕に咬みつきました。
「ぐあああっ! こ、この糞犬っ!」
さて、うなよしが咬みついたのは同心堀田様でございます。
「堀田様、糞犬はさすがにまずいかと」
岡っ引き源蔵が狼狽してまごまごしております。
「う、うむ。お、お犬様ちと痛うございます。お、お離しくだされっ! これ、源蔵、水をかけよっ!」
源蔵が防火用の桶を手にして水をうなよしにザブン。
なおかつ、うなよしは喰らいついたまま。
そしてようやく離れたと思ったら今度は岡っ引き源蔵の足に咬みついた。
「うがあああっ!、こ、この糞犬っ! なにしやがるうううっ!」
「これ、源蔵、糞犬はまずかろう」
「お、お犬さまあっ! おねがいですからお離しくだせぇっっっ!」
他人の不幸は蜜の味と申しますが、この様子を見ていた甚兵衛は大笑い。
そしてふと気づいたのであります。
「そうか、うなよしのやつは、このあたしを守っていてくれているんだ。夜中に吠えていたのもきっとそうだ。夜中に不審な奴があたしの家に近寄る。そうすると、うなよしが近寄るなとばかりに吠えてくれていたに違いないよ。でもなんであたしなんかを守るんだろう? うなよしは三吉の犬だというのに」
「そいつはね、うなよしが大家さんの話をちゃんと聞いていたからですよ」
大家が振り返ると三吉がいつの間にかいて大家の縄を解いている。
そして同心と岡っ引きは命からがら逃げていく。「こ、今回のこと、ひとまず不問といたす」と叫びながら。
「あたしが? あたしが何か言ったかい?」
「ええ、言いましたよ。ほら、大家といえば親も同然だって」
「あ! じゃあ、うなよしはあたしを三吉の親だと思って――。そうかぁ、そうだったのかぁ。あたしがあんなにうなよしを殴ったというのに……。すまない、本当にすまなかった、うなよし、ゆるしておくれ」
大家さん土下座してうなよしに謝罪をします。
そこへ猛烈な勢いで走ってきたうなよし、大家さんにガブリ。
「ひ、ひいいいっ!」
大丈夫。これは甘噛みというやつでして愛情表現。
*
この天晴れうなよしの大活躍はすぐに長屋といわず江戸中に知れ渡りました。人間よりも犬がえらいという生類憐れみの令に対し、庶民はひととき溜飲を下げたのでございます。
あと、このうなよしネズミ捕りの名人であることが判明します。うなよしが餌をもらわなくても健康的に太っていたのはネズミを栄養にしていたのですな。
え? 犬がネズミを捕るのはおかしい? いえいえ、イギリスのブルテリアという犬は一時間半で五百匹のネズミを捕らえたと記録にございます。
「ねぇ、三吉さん、うなよしをちょいとあたいに貸してくれない? うちにもネズミがいっぱい出て悩んでいるのさ」
ある日三吉の長屋の奥さんがひとり訪ねてまいりました。三吉答えていわく。
「あ、そいつはいけねぇや。うなよしは忠犬だ。
まさか、おかみの犬にはなりますまい」
おあとがよろしいようで
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