ごきげんよう♪
RAKU fellowのおおもりめぐみこともぐ子です。
「普通って、なんだろう?」と思ったことはないですか?わたしは40代になって、やっとこの【普通】の呪縛から放たれました。
社会人になった頃、私が思い描いていた“普通の人生”は、結婚して、子どもを育て、家庭と仕事を両立していくことでした。けれど実際は、違った…。
結婚しているから「普通」なのか。
子どもがいるから「普通」なのか。
逆に独身だから「普通じゃない」?
そんな線引きは、もう誰にもできない時代になっているのだと思います。でもなかなかそれを認められない自分がいる。今日はそんな自分を認められずにもがいたわたしがある気づきでラクになった話をします。

 わたしの「普通」


わたし自身、26で結婚しました。
でも、子どもを授かることはできませんでした。
そのことに悩んだ時期もありましたが、今では週3日は派遣社員として働き、残りの4日は好きなことを仕事にしています。これは多数派ではない。けれど、「普通」じゃないからといって不幸せなわけではありません。むしろ、自分のペースで暮らせることに大きな喜びを感じています。この経験を通して気づいたのは、世の中の基準に自分を当てはめる必要なんてない、ということ。誰かにとっての「普通」と、わたしの「普通」は違って当たり前なんです。でも「周りと同じが良い」と育ったわたしは、それに気づくまでかなり周り道をしました…。

 立場ごとに違う「働き方」と「価値観」


独身の人は、キャリアに集中して自分の可能性をどこまでも広げている。
子育て中の人は、家庭を中心に置きながらも、限られた時間の中で効率的に成果を出す工夫をしている。
結婚していても子どもを持たず、夫婦の時間や趣味を大切にしている人もいる。
どの立場にも、他にはない魅力と強みがある。
そして、そのどれもが「普通」であり「正解」なのだと思います。頭ではそうわかっているのに、自分ごとなるとなかなか認められない。そんな経験あなたにもありませんか?子供のいないわたしはいつも自分だけがたくさん働いて損をしているとさえ感じていました…。今思えば色んな「こうであるべき」に縛られていたんですよね




 すべての基盤にある「健康」


そんな時にただ一つ、誰にとっても共通していることがあると気づきました。それは「健康があってこそ」ということ。
キャリアを積むにも、家庭を守るにも、自分の夢を追いかけるにも。心身の健康がなければ、どんな選択も持続できません。そして身体の健康は心の健康があってこそなんです。
40代に入ると、体力の変化や小さな不調を感じることも増えてきます。20代の頃のように“気合いで乗り切る”だけでは難しくなり、心のメンテナンスも欠かせない。「ミッドナイトクライシス」という言葉を聞いたことがありますか?40〜50代が感じやすい焦燥感などを指すようです。それだけ揺れ動きやすい年代なんです。ますはそれを認めて、睡眠、食事、運動といった当たり前のことを、おろそかにしないことが、どの立場の私たちにとっても、一番の資産なのではないか?それに気づいた時初めて、やっと自分を認めて健康で日々過ごせる自分に感謝できたのです。

 「普通」は人の数だけある


結婚していても、していなくても。
子どもがいても、いなくても。
どんな立場であっても、自分らしく働き、暮らしていることが「普通」。だからこそ、人と比べて「私は普通じゃないのかも」と不安になる必要はないんです。日々健康に好きなものを食べいきていられる。そんな当たり前がある幸せに気づくだけでもグッとラクになりますよ。



 最後


社会の基準や周囲の声に縛られすぎず、自分のペースで、自分らしい生き方を選んでいい。その選択を支えるのは、やっぱり健康です。40代はまだまだこれから。とはいえ何もしなくては現状維持をできない年代となりました。「普通」という言葉に振り回されず、健康を土台に、自分の人生のリズムを見つけていきたいですね。じゃあ、あなた自身の“普通”を大切にするには?次回は、ラクアカで気づいた、そんな自分の“普通”を守るために欠かせない《価値観》について書いてみようと思います。よければまた読みに来てくださいね。

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

 

 

 

SNSや日常の会話の中で、

「この人とは分かり合えない」と感じる瞬間は誰にでもあります。

対立や分断という言葉が社会でよく語られる今、

違いに出会ったときにどう向き合うかは、

ますます大切なテーマになっていると感じます。

けれど、その違いにどう向き合うかで、

私たちの世界は狭くも広くもなるのです。

分断は、あなたの隣にもある

近年、世界的に「分断」という言葉を

よく耳にするようになりました。

アメリカでは政治的な対立が深まり、

日本でも選挙の結果が「社会の分裂」を

象徴するように報じられることがあります。

 

けれど、こうした分断は決して遠い国や

政治の話だけではありません。

私たちの日常にも、小さな分断の芽は潜んでいます。
たとえば、SNSでのやりとり。

違う意見に出会ったとき、

つい「わかり合えない人」と感じて距離を取ってしまう。

あるいは、職場や家庭でも

「なぜこんなことも理解してくれないのだろう」と苛立つ。

こうした積み重ねが、

人と人との間に見えない線を引いてしまいます。

働き方を変えて知った「多様性」の面白さ

介護職からフリーランスへと働き方を大きく変えたことで、

私はまったく新しい人たちと出会うようになりました。

介護の現場では、高齢者や障がいのある方、

そのご家族、関係職種の人たちと深く関わってきました。

そこで求められるのは、目の前の人に寄り添い、

その人にとって最適なサポートを一緒に探すこと。

人との関わりの密度が高く、

日々の対話や調整が欠かせない仕事でした。

 

一方で、フリーランスとして

イラストやデザインに関わる仕事を始めてからは、

これまで全く接点のなかったビジネス分野の方々と

共同で仕事をする機会が増えました。

介護現場で大切にしていた「人を支える」という姿勢は同じでも、

飛び交う言葉や求められる視点はまるで違います。

最初は戸惑うこともありましたが、

違いに触れるたびに、新しいことを知れる楽しさがありました。

自分の世界が少しずつ広がっていく感覚は、

働き方を変えたからこそ得られた大きな学びです。

違いを「優劣」で判断したとき、分断は始まる

大切なのは、違いそのものが分断を生むのではない、ということです。

人はそれぞれ異なる経験や背景を持って生きており、

意見が食い違うのは自然なことです。


分断が生まれるのは、その違いを怖れたり、

「正しい・間違っている」「上・下」といった

優劣をつけようとする時です。

相手を否定し、自分を守ろうとした瞬間に、

線が引かれてしまいます。


一方で、「なぜその人はそう考えるのか」と

一歩踏み込んで考えることができれば、

違いはむしろ自分を広げる材料になります。

分断を避けるのではなく、

違いとどう向き合うかが大事なのだと思うのです。

「アドバイス」する関係から、「一緒に考える」関係へ

分断を生まないために大切なのは、

関係性の持ち方です。

ラクアカでは最初に「わたしたちはアドバイスしたりされたりしない、

フラットな関係です」とお伝えしています。

 

「アドバイスしてあげる」「導いてあげる」という上下の感覚ではなく、

「対等に向き合い、一緒に考えてみる」 姿勢。

そうすることで、人は安心して

自分の意見や気持ちを出すことができます。

違いを優劣でジャッジするのではなく、

「そういう考え方もある」と受け止める。

このシンプルな姿勢が、

分断を越えて対話を続けるための小さな実践になるのだと思います。

 

今日からできる小さな実践

分断を避ける最初の一歩は、

相手を理解しようとすることではなく、

自分の反応に気づくことです。

たとえば、SNSで真逆の意見に出会ったとき。

すぐに「この人とは合わない」と切り捨てるのではなく、

まずは「自分は今どう感じたのか」を観察してみるのです。

 

「イラッとしたのはなぜだろう」
「不安になったのはどこから来ているんだろう」

 

そんなふうに立ち止まって、

自分の心の動きを丁寧に見つめることが、

違いと向き合う第一歩になります。

相手ではなく、自分の内側に目を向けるだけで、

世界の見え方が少しずつ変わっていきます。

まとめ

分断のない社会をつくるために必要なのは、

特別なリーダーや制度の改革だけではありません。
日常で出会う「違い」に対して、自分の反応をどう扱うか。

その小さな積み重ねが、分断を乗り越える力になります。
そしてその力は、誰か特別な人だけでなく、

私たち一人ひとりの中にすでに備わっているのだと思います。

 

 

ごきげんよう♪
RAKU fellowのおおもりめぐみこともぐ子です。仕事にもある程度の経験を積み、責任ある立場を任されるようになる40代。周囲からは「順調にキャリアを歩んでいるね」と言われても、未婚、子なしとなると、ふと一人になると押し寄せてくるのが将来への漠然とした不安です。「このまま今の働き方を続けられるのかな?」「パートナーがいなくなったら、私はどう生きていくんだろう?」そんな焦燥感は、努力家で真面目に走り続けてきた女性ほど強く抱くものとも言われてますが、もれなくわたしもそんな不安を抱く1人でした。今日はそんな不安から抜け出せた、【サードプレイス】を見つける為の正解例をお届けします。


 初めての一歩は、緊張と不安から始まった


私が初めて「サードプレイス」を体感したのは、自宅最寄駅の一駅隣で開かれた小さなファッションイベントでした。参加費は2500円ほど。主催者2人と数名の参加者という、こじんまりとした空間。「知らない人ばかりの中に入っていけるだろうか…」会場に向かう道すがら、正直、心臓がバクバクしていました。社会人になってから“初めましての人と一緒に学ぶ”ことは久しくなかったので、不安と緊張で足取りは重かったのを覚えています。

 目の前に広がった「新しい発見」


ところがイベントが始まると、気持ちは少しずつ変化していきました。
同じ服でも小物や着こなしを変えるだけで、まるで違う印象になる。その変化を実際に目の前で見たとき、「えっ、こんなに違うんだ!」と驚きとワクワクが同時に押し寄せてきました。
さらに、そのコーディネートを写真に撮る体験もありました。レンズを通して見ると、自分の中で「ただの服」だったものが「表現」へと変わっていく。その瞬間、学びが単なる知識ではなく、“やり続けたいこと”として刻まれたのです。自撮り人生はここから始まりました!



 不安が希望に変わるとき


気づけば、周囲の参加者とも自然に会話が生まれていました。「この小物の合わせ方、素敵ですね」
そんな一言を交わすだけで、最初に感じていた緊張が少しずつ溶けていきました。イベントが終わるころには、朝の自分とはまったく違う気持ちで会場を後にしていました。
「私はひとりじゃない。同じように学びや新しいことに挑戦したい人たちがいる」
そう実感できたとき、将来への不安がほんの少し希望へと姿を変えていたのです。

 サードプレイスの3つの条件


この経験から、私が感じる40代女性にとってのサードプレイスの条件は次の3つです。
1. 安心して自分を開示できる雰囲気
肩書きや成果ではなく、素の自分でいても認められる。
2. 価値観を共有できる仲間がいる
小さな共感を積み重ねることで、不安はやわらぎ希望に変わる。
3. 未来に繋がる刺激がある
誰かの挑戦や学びに触れることで、自分の可能性に気づける。

最初から全てを満たす場所を見つけるのは大変かもしれません。ですが、2は自分が好きなことや興味のあることから探せば必ず満たせますよ!




 最後に


40代は、キャリアも人生も「まだ続いていく」ことを実感する年代。だからこそ、焦燥感や孤独、不安を抱くのは自然なことです。でも、その気持ちを一人で抱え込む必要はないのです。
小さな一歩で構いません。わたしが参加した、身近で気軽に参加できる場から始めてみてください。そこにはきっと、同じ想いを抱える仲間と、新しい自分に出会える環境が待っています。
そして、そんな一歩を踏み出そうとするあなたを
ラクアカはいつも応援しています。

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最後まで読んでいただきありがとうございました