彼にできるのは、目の前の状況に対し、瞬間的に対応すること、
ただそれだけだった。

一機が鉾槍を振り下ろすのを、踏ん張りの利くほうの足を使って後方へと飛びのき、
すんでのところでかわす。

息をつく間もなく、二機目が剣の一突きを繰り出してくるのを、今度は横転で何とか避ける。

次は?さすがに逃げ切れないかもしれない。どうする?

そう思った途端、再びイアンの頭の中に、姉から聞かされた言葉が蘇った。

『だめだと思ったらそこで終わりよ。できると信じるの』

三機目も剣で、今度は足を横なぎで狙ってきた。
手近にあった木を両手でつかんで体を支え、動くほうの足で飛び跳ねてしのぐ。

四機目は最初に横をすり抜けた相手で、またしても鉾槍で一撃を
食らわせようとしてきた。

イアンは次の瞬間の自分の機巧鎧の動きを想像する。

思い切り横っ飛びをし、射程内から離脱することがで回避した。

『どういうことだ?さっきと動きが違う』

『ふざけた真似をして、我々を愚弄する気か』

わざと聞かせようとしているのか、それとも気づいていないのか、
敵機士が発する声は機巧鎧の外まで響き渡り、逐一イアンの耳にも入ってきた。

イアンはふざけてなどいなかった。
目の前の敵の攻撃に反応することに、ただ夢中なだけだった。
ほんのわずかな間に、操縦席の中の彼は息を荒げ、全身汗まみれにしていた。

瞬時に移り変わる状況に対し、最善と思われる自分の動きをただ思い浮かべるだけだった。

イアンの機巧鎧は手近ない地にあった木につかまり、体を支えた。

『ブルーノ、レクター、後ろに回り込め。四方から包み込んで動きを止めろ』

『了解』

ひとりの機士の言葉に合わせ、四機の機巧鎧のうちの二機が散開した。
残りの二機はそのままイアンに向かってきた。

斜面の方を右手に見る形で立っていたイアンの機巧鎧は、
木から木へと渡るようにして、後ろに下がっていった。


少女の今いる位置はちょうどイアンの背後にあたり、敵の視界を遮る形になっているはずだった。
イアンは少女が自分の真後ろにいることを意識した。
自分が機巧鎧に乗ってではなく、自らの二本の足で地面に立ち、
少女を背中でかばっているような感覚を覚える。

『数はこちらが多い。油断さえしなければ大丈夫だ。早く捕らえて、中を確認するぞ』

『はっ』

敵機が武器を構えたまま、一斉にイアンに向かって足を踏み出してきた。
それを見たイアンは、反射的に操縦席の背に体を押しつけた。
すかさず機巧鎧もそれに反応し、後ろに下がる素振りを見せる。

だめだ。

後ろにはあの子がいる!

イアンはあわてて体を前に出すようにして、背を浮かせた。
機巧鎧は後ろに下がることなく、その場に踏みとどまる。

ここからは一歩も下がれない。

イアンは自分に念押しするように言い聞かせた。

このまま下がれば、少女を機巧鎧の足で踏み潰してしまうかもしれない。
そんなことが許されるはずがない。

敵機は一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
間もなく、武器の射程内に入るだろう。

どうすればいい?

どうすれば―――――

頭の中が真っ白になる。
続いて取った行動は、彼自身も予測しないものだった。

イアンは真正面にいた敵機に向かい、自分から突っ込んでいた。

だがすぐに、自身の機体の違和感に気づく。

姿勢が安定せず、上体がぐらついたことで、
機体の右足の自由が利かないことがわかった。

咄嗟にイアンは機体を前転させ、敵機の横をすり抜けた。

『こいつ、何て真似を!』

『逃がすな!』

敵機士のあわてた声が夜の森に響き渡った。
イアンは立ち上がりながら背後を確認し、四機の敵機が武器を振り上げて彼のほうに殺到してくるのを見た。

もはや何も考えられなかった。
想像しろ。
イアンは己に言い聞かせた。
想像しろ。
この機巧鎧が動いているところを。
あの子を守って敵と戦うところを。
想像しろ。想像しろ。想像しろ!
イアンの気持ちに応えるように、機巧鎧が立ち上がった。

『あいつ、動いた!?』

イアンの頭の近くにあった管から、敵機士の声が響いてきた。
どうやら外の音を拾って、その管から中に流す仕組みになっているらしい。

「よし、次は!?」

操縦席の中で、イアンは叫んだ。
立ち上がっただけで喜んでいるわけにはいかない。
こうしている間も敵は間近にせまっている。

左だ。左を向くにはどうしたらいい?

イアンは左右の棒を振るように、軽く動かしてみた。機体の反応はない。
ならば、と強く動かしてみる。それでも動く気配はない。
どうしたんだ、とあせりが募る。

この棒を使って動かすのではないのか?

『どうしたんでしょう?あいつ、立ち上がったきり、動きませんが』

『何かやってくる気かもしれない。油断はするな』

敵機士同士の会話が聞こえてきた。イアンのあせりがさらに増す。

ええい、動けというのに!
左を向けばいいんだ!こう!

イアンは実演してみせるかのように、操縦席の中で自分の体をひねった。
すると機巧鎧がイアンの動きに合わせるかのように反応し、機体を彼の望んでいる方向へと向けた。

どうやらそうするのが正解だったらしい。
機巧鎧というのは、中に乗っている人間の体の動きを感知して動くものなのだろうか?

ようやく機体ごと左のほうを振り向いたイアンは、敵の機巧鎧が四機、
横一列に並んで身構えているのを確認した。

いずれも鉾槍(ハルバート)や剣などの武器を構えており、
今にもこちらに向かってきそうな勢いだった。

距離はかなり近い。危ないところだった。
もう少しもたついていたら、あっさり捕まっていたかもしれない。


それに――――――――――


あの子が見つからないようにしないと。

操縦席からは、扉の一部を透かして外の様子を普通に見ることができた。
機巧鎧の中にいる機士が視界をどうやって確保するのか、不思議に思ったこともあるイアンだったが、これなら心配はいらないようだ。

敵の機巧鎧が足早に接近してくる音が耳に入った。
急がないと、少女まで見つかってしまう。

イアンは両方の足を踏み板に乗せ、同時に左右の開いた穴に手を差し込んだ。
穴の中にある棒をつかむと、ぴたりと両手になじみ、まるで自分のためにあつらえられたかのような心地よさを感じる。
自分は以前にもこの感覚を味わったのでは?という既視感に、束の間とらわれた。
そんなことがあるはずはないのだが。

このとき、彼の脳裏を、六年前に離れ離れになってしまったエミリアの言葉がよぎった。
『いいこと、イアン。困難に打ち勝つのに必要なのは、自分がどうしたいのか想像することよ』
どのような状況でいわれたのか、今となっては詳しいことは思い出せない。だが姉のその言葉は、
今の自分がすべきことを何よりも的確に言い表しているようにイアンは思えた。
イアンは驚き、反射的に身をすくませた。

誰も乗っていないにもかかわらず、機巧鎧は右腕を持ち上げ、肘を折り曲げて拳を顔の近くへ持っていく動きを取っていた。それはちょうど、今しがたイアンが取った動作と酷似していた。

これは……

機巧鎧のその動きを見た瞬間、イアンは不意に自分の中で、何かがすとんと腑に落ちるのを感じた。

このペンダントを使えば、機巧鎧を動かせるのではないか?

イアンは右手につかんだペンダントと機巧鎧を交互に見た。後は決断するだけだった。やるか。やらないか。

イアンは心を決めた。

自分がこの機巧鎧に乗って、囮になる。それしかない。

『今の音は?』

『隊長、例の機体が向こうに!』

敵機士の発する緊迫した声が響いてきた。

とうとう見つかってしまった。

もはや少しの猶予も許されない。

イアンは少女の顔をもう一度見、声をかけた。

「ここにいて」

それからの彼の反応は速かった。さっと身を翻すや、機巧鎧の下へ走り寄り、操縦席に飛び込む。続いて、ペンダントを首から提げ、手を伸ばして操縦席の扉を閉めた。

イアンの首にかかった途端、ペンダントの輝きが増した。操縦席の中が、ペンダントの石から発せられる青い光に包まれる。