ヴィクトと呼ばれていた、傍らの機巧鎧の機士がおもむろに
イアンに問いかけてきた。

口調は落ち着いていたが、彼にそう尋ねられた瞬間、
イアンの全身はすくみ上がった。

どうする?何といえばいい?

ここに至ってイアンの中に、自分はとんでもないことを
してしまったのではないかという意識がにわかに沸き起こった。

いくら弾みだったとはいえ、
一介の戦闘奴隷に過ぎない身分でありながら、
機士にしか機乗を許されない機巧鎧に乗ってしまった。

それはもしかすると、
大きな罪に当たることなのではないか?

『失礼ながら、王女殿下の他に、その機体を乗りこなせる方がいらっしゃるとは思いませんでした。どこのどなたか、ぜひお伺いしたいのですが』

ヴィクトが、重ねて問いかけてくる。

イアンは背筋を冷たい汗が流れるのを感じた。
自分が今も窮地のただ中にあるのだということを、今更ながら悟る。

先ほど敵機に囲まれていたときは状況が異なるが、
危機の度合い、自分が追い詰められているという点に関しては、
同じようなものだった。
新たに登場した機巧鎧部隊は、指揮官機とおぼしき機体の合図に合わせ、
一斉に槍を構えると、鬨の声をあげばがらイアンのいるほうに向かって走ってきた。

『全機突撃!エシュリオンに敵を近づけさせるな!』

イアンはその数を数えた。全部で十機。

『こうなってはこちらが不利だ。やむを得ん、撤退するぞ』

対峙していた敵の機巧鎧のうちの一機がそう口にするのが聞こえ、
イアンは再び視線をそちらに戻した。

『ブルーノは?』

『回収している余裕はない。急げ!』

一機がイアンに背を向けて走り始めると、残りの二機もすぐに追随した。

先頭に立って向かってきていたリュクサリア王国軍の機巧鎧は、
イアンの横を走り抜け、そのまま逃げる敵機の追撃にかかる。

『半数はわしと一緒にこい!フォティオス卿、貴公は姫様を!』

『かしこまりました』

六機が敵を追って木々の中に姿を消し、イアンの周囲に四機が残った。

『あそこに倒れているドラードを確保してください』

そのうちの一機の指示で、三機が倒れていた敵機の下へ向かった。

「助かった・・・・・のか?」

どうやら窮地は脱したらしい。そう実感した途端、
イアンはたちまち激しい疲労感に全身が襲われるのを感じた。

このまま地面に頽れ、意識を失ってもおかしくない気さえする。
かろうじてそうならずに済んだのは、イアンの下に
一機の機巧鎧が歩み寄ってきためだった。

『お怪我はございませんか、王女殿下』

最初は何と言われたのかわからなかった。オウジョデンカ?
一拍遅れて、意味不明だった音の羅列が明確な意味を帯びる。
王女・・・・・・殿下・・・・・・王女殿下?

まさか、あの少女は。

イアンの意識がにわかに覚醒した。
あわてて周囲を見渡し、少女の姿を探す。見た目が同じような木ばかりで、
どこにいるのかすぐはわからなかった。

どこだ?どこにいる?

イアンの心の中で、あせりが不安となってみるみる膨れ上がっていく。

『殿下?』

傍らの機巧鎧の機士に怪訝そうに声をかけられたが、
答えている余裕はなかった。
イアンは少女を見つけ出すことに全ての神経を集中させた。

ややあって彼の目線は、一本の木の根元に吸い寄せられた。

「いた!」

彼らがいる場所から少し離れたところで、
少女は先ほどと同じ姿勢のまま、木の根元に背をもたせて座り込んでいた。

イアンは少女の下へ向かって歩き出そうとした。だが一歩踏み出した途端、
彼の乗った機巧鎧は体勢を崩し、よろけてしまう。

「しまった、足が・・・・・・」

傍らの機巧鎧が間髪入れずに近寄ってきて、
イアンの機体の肩の部分をつかんで支えてくれた。
イアンはかろうじて転倒せずに済んだ。

『その状態で無理に歩かれるのは危険です。右足がひどく損傷しています』

それを聞いたイアンは、無言で少女にいるほうを手で指し示した。

『あれは・・・・・・』

傍らの機巧鎧はイアンの示す方向に誰かいることに、すぐに気がついたようだ。

『すみません、どなたか、あの木のところへ向かっていただけますか』

『はっ!』

敵機を囲んだいた三機のうちの一機がイアンたちのほうを振り返り、
イアンの機体を支えている機巧鎧が指示する方向へと向かっていった。

イアンはその機巧鎧が少女の下へと近づいていく様子を、目を離さずに見守った。

『ヴィクト様、王女殿下です!殿下がここに!』

『ご無事かどうか確認してください』

少女に近づいていった機巧鎧の操縦席が開き、
中からひとりの機士が降り立って、少女の下にかがみ込むのが目に映った。

機士はすぐに立ち上がり、イアンたちのほうを振り向く。

「意識を失われているようですが、見たところお怪我をなさっているご様子はありません」

『そうですか、わかりました』

よかった・・・・・・

イアンは安堵のため息をつく。だがそれも束の間に過ぎなかった。

               


『ところで・・・・・・あなたはどなたですか』

『ブルーノ、平気か?しっかりしろ!』

敵機士の声を聞きながら、イアンは再び機体を起こした。
背後から迫ってきていたもう一機はイアンの脇を通り抜けて仲間の
そばに戻っており、今はイアンの目の前に三機が固まっている。

いずれも動かなくなった自分たちの仲間と、
イアンの機体を交互に見る素振りを示していた。

仲間を潰されたことで、敵意が増しているように思える。
数が一機少なくなったにもかかわらず、イアンの気持ちが楽になることはなかった。

むしろますます窮地に追い詰められた気さえした。

同じ手がもう一度通用するとはとても思えなかったからだ。
相手がそんな隙を見せるはずがない。
ただでさえ限られた選択肢が、またひとつ消えてしまった気がした。

だとすればどうするか?
考えても相変わらず明確な答えは出ないままだった。

『おのれ!よくもブルーノを!』

一機が足を踏み出し、近づいてこようとする。
イアンの背後から別の声が聞こえてきたのはそのときだった。

『ファウラー閣下、あれを』

『何と!ひ、姫様!』

イアンは声のしたほうを振り向いた。
木々の間から、リュクサリア王国軍の機巧鎧が次々と姿を現すのが目に入った。


イアンは体を落としながら、つかんできた相手の腕を逆に取って
自分のほうに引き寄せるのと同時に、無事な方にの足を胴体に当て、
力の限り蹴り上げた。

弾みについていた敵の機体が思い切り浮き上がる。

『何っ!』

その機巧鎧は投げたイアンが驚くほどの距離を飛び、
前方にいた二機の間をも抜け、頭から地面に突っ込んだ。

装甲のひしゃげる鈍い音が響き、仰向けになった状態で
そのまま動かなくなる。

イアンは地面に伸びた敵の機巧鎧を見、呆然となった。
相手の勢いをたmたまうまく利用したとはいえ、まさかこうも飛ぶとは思わなかったからだ。

考えた上での行動ではない。
今度は想像さえしている暇はなかった。

敵機が迫ってきたのに対し、反射的に取った対応の結果だった。

あの少女は敵機の下敷きにならなかっただろうか?

イアンは投げ飛ばした機巧鎧の周囲に少女がいないかどうか、
目で探した。

少なくとも視界内には見当たらないことを確認し、
ひとまず安堵する。
近づいてくる敵機の姿をとらえながら、イアンは朦朧となりかかった
頭を懸命に奮い立たせ、この後の事を想像しようとした。

とりあえず敵の目をこちらに引きつけることは成功したようだ。
このまま、あの子から引き離して―――

それからどうすればいいの?

問題はそこだった。いつまでもこうやって敵の攻撃を
かわし続けられるとは思えない。

かといって有効な反撃の手段があるわけでもなかった。
せめて武器でもあれば少しは抵抗のしようがあったかもしれないが、
イアンが乗っている機巧鎧は現れた当初からそういったものを何も持っていなかった。

どうする?どうすればいい??

何度も自問を繰り返すが、答えは出ない。

正面にいた一機が、腰に提げていた瓶のようなものを手に取り、
投げてきた。

瓶はイアンの機巧鎧の至近で爆発し、轟音と閃光を放つ。

一瞬空白になった意識をイアンが取り戻し、気配を感じて振り返ったときには、
既に背後に回りこんでいた二機が、彼の目の前まで距離を詰めていた。

まずい、と思ったときにはもう遅かった。

『もらった!』

一機が両手を伸ばし、体ごとつかみかかってきた。
かわそうとしたイアンだったが、踏み出した足が動かなくなっていた方だったため
踏ん張りが利かず、体を崩してしまう。

「くっ・・・・・・!」

すかさず敵機に腕をつかまれる。
装甲のきしむ音が聞こえ、機体が揺すぶられる振動がイアンの下に伝わってくる。

ここまでか、と思ったイアンの心中にみたび、姉の言葉が響き渡る。

『最後まであきらめないで』





―――こんなところでやられてたまるか!―――